実父 1

私は、父が50歳の時の子供。
自分の年で考えると、もし私に子供がいたとしたら、3・4歳ということになるだろう。
男性と、女性。時代の差。
そんな事も、加味しながら考えても、かわいくて仕方がなかったと思う。
母が、入院していた、産院には、毎日裏口から、見舞いに来ていたという。
父には、母の連れ子の、私の姉がいた。
姉いわく、とてもかわいがってもらっていたようだ。
欲しいものがあれば、寝転がれば、買ってくれる、眠くなれば、おんぶしてくれる、そんな優しい父だったようだ。
いつの頃からだろう?
父は、聴覚に障害があったようだ。
今考えれば・・・である。
気性の荒い母は(私は母似です)父の事をつ○ぼと呼び、私もそんな言葉を、浴びせていた。
私は父が嫌いだった。
きっと、いい人だったからだと思う。
そんな事を思い出させてくれたのは、うるとらまんさんのブログで紹介されている話を読んでからである。
http://kukurucafe.ti-da.net/e5895526.html
筆談という話だ。

父は、80歳を超えて、食道がんになった。
父には告知せず、医者も、もう手術はできないという。
本人も、手術だけが嫌だったようで、しないで済んだことに、喜んでいた。
おかしいなと思ったのは、父の日だった。
お互いの両親と一緒にすし屋に行って、もずく酢を食べたら、むせてしまって、大騒ぎをした。
その後も、たまに、のどに食べ物を詰まらせてしまう事があった。
私は、冗談で、「食道がんかもよ。
でもおじいさんの場合(私はおじいさんと呼んでいた)気がつかないまま、死んじゃうんじゃない」なんて家族と能天気な話をしていた。
町医者には、十二指腸潰瘍で長いことかかっていたし、あまり心配をしていなかった。
それが、夏が終わる頃、ふらつくようになる。
町医者でも、貧血と言われるようになった。
やっぱ、きちんと、もう少し大きな病院に行ったほうがいいかも、という話になり、私が、病院へ一緒について行くことになった。
症状を話しただけで、食道がんの、疑いがありますね。(父は、一応補聴器をつけてはいますが、父にはぜんぜん聞こえない)
とりあえず、胃カメラを、飲んでもらいましょう。
しかし胃カメラが入らない。
医者が言うには、父ののどは、「ご飯粒が、縦にひと粒入るぐらいしか、空いてないでしょう」と。
えー。だって毎日ちゃんとご飯食べてるよー。(私の心の声)
そんなわけで、即入院ということになった。
ちょっと待てよ。連休に温泉に行くため、もう宿も取ってある。
温泉に行ってからでは、いけませんか?ということで、入院を延ばしてもらった。(どこまで、能天気なのだろう)
姉の家族と、7人、もしかしたら、最後になるかもしれない、温泉旅行を楽しんだ。
父は、料理も、全て食べ、好きなお酒も、好きなだけ飲んだ。
そして入院。
その病院は、当時、放射線治療がなく、青○の○恵医大へ、通うこととなる。
地区の人や友人が、車を出してくれた。
元旦那さんも、極力仕事の合間に、送り迎えをしてくれた。
入院していた、看護婦さんには、○○さんは、朝になるとニコニコして、着替えて、さっさと出かけちゃうのよねーと言われる。
我が家へ、勤行をしに帰れるからだ。確か当時は五座だったような・・・
父は、病気に関しては、完全に無知な人。
自分の平熱さえ知らない。
果たして、自分の病気のことを、どこまでわかっていたのだろうか?
今でも、謎である。
入院中、耳の遠い父に、孫が、1冊のノートをくれた。
所謂、筆談ノートである。
看護婦さん(今は、看護師さんと言うのでしょうね)なども書いてくれるので、家族にとっては、とっても重宝した。
ある日の看護婦さん。
「○○さん、お経は、夜中はあげないでくださいね」
きっと、寝言で、お題目を唱えていたのでしょう。
家でも、そういう人でした。
とても素晴らしい父だったと、今では誇りに思います。

※ 母の名誉のために言いますが、今は、すっかり人間革命しました。
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Commented by いまいち at 2014-02-08 07:25 x
おはようฅ( ̳• ·̫ • ̳ฅ)にゃ♡
お父さんが50歳の時のお子さんなんだ♪
若い時とは全く違う思いがあったんだろうなぁ
わたしには、20と19の娘がいます
当時、わたしは21〜2歳?オイ!覚えてないのかよ!^^;
人それぞれでしょうが、その頃はちゃらんぽらん♪
今、授かれば、そりゃーちがいますもんねぇ+。(・ω‐人)・.。*゚
ま、こちら側目線でわ、の話ですけどね♪
子ども目線だと、友だちのパパと比べるまでもなく…
やはり、キライ!と、言われてしまいますでしょうか(笑)
それでも、愛情たっぷりに育てられたんですねえ♪
愛情に飢えてたわたしからすると、うらやましすぎるお話ですよ(。•ㅅ•。)♡

なぜか、夜中、12時回ってからくらいから、喉の痛みも、鼻のつまりも、熱っぽさも、スカッととれて、快調になったわたしです(^^)♪
帰って、一杯やるぞ!
その前に、同盟!頑張るぞ(。 ・`ω・´)シャキーン☆
Commented by ちよ at 2014-02-08 07:47 x
おーっ 風邪よくなりそうじゃん
同盟できるといいね

この父と私には、恥ずかしいちよの醜態が隠されてます
どこまで酷い 娘だったか・・・
心が曲がっていると、いい人も 嫌な人に見えちゃうんです
おやっ いまちゃんがいい人に見えるのは、私が曲がってるから・・・?
あれっ 
うーん
あっ そんなことないね ホッ(笑)
Commented by うるとらまん at 2014-02-08 12:47 x
寝言で題目とはすばらしいお父さんだね。
大学時代、夢で折伏している友人いたよ。声かけたら「池田先生はすごい」と返事して驚いた。
Commented by いまいち at 2014-02-08 12:58 x
うるとらまんさん
こんにちわ
はじめて折伏した時のこと、覚えてますか♪
わたしは、折伏に挑戦はしてはいますが、なかなか実りません
今すぐでなくてもかまいません
また、お話し聞かせてくださいm(o´・ω・`o)mペコリン
Commented by ちよ at 2014-02-08 12:59 x
うるとらまんさん こんにちわ
いい父でしょ それが分からなかったんだから、若気の至りでしょうか・・・?

またご友人 すごいですね
実際にも、折伏実ってるでしょうね
Commented by 福島の壮年 at 2015-02-02 15:53 x
もう7年~8年は前のことだと思いますが、
かかりつけの町医に薬を貰いに行った社内で、
NHKラジオを聴いていたら、高校生の作文コンクールで
入賞した作品が発表されていました。
以下、その中での、ある女子高校生の作品内容。
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私が同級生と一緒に高校から帰宅していた時、
同級生の一人は、お父さんが嫌いだと言って、
随分と悪口を言っていた。
もう一人の友人も、その同級生に賛同して、一緒に
お父さんの悪口で盛り上がっていた。

私は思った。
「お父さんが生きているだけで嬉しいことじゃないか」と。

私の父は、●年前に突然倒れ、そのまま入院をした。
検査をして分かったのは○○という難病だったこと。
それ以来、寝たきりの状態が続いた。
やがて、父は何も話せなくなり、ただ生きているだけ
という状態になった。
そして去年、そのまま父は帰らぬ人となった。

話ができなくてもいい。
寝たきりでもいい。
それでも私は、父に生きていて欲しかった。
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うろ憶えですが、確か、こういう内容でした。
そこまででクリニックに着いてしまったので、
それ以上は聴けませんでしたが、
自分の置かれている状況次第で、
物事の捉え方は、大きく変わるのだなということを
再認識させられた作品でした。
Commented by 福島の壮年 at 2015-02-02 15:55 x
「社内」は「車内」の誤りです。
失礼しました。
Commented by tomotiyoo at 2015-02-02 17:49
福島の壮年さん こんばんわ
いい話を ありがとうございます
親孝行 したい時には 親はなし
でしったけ?
人間て 失って始めて分かる事もあるんですよね
信心しているお陰様で 失う前に分かってよかった って
所なんですがね~
感謝の気持ちが薄れた時に 
人間て 落ちていくように思います
私のような人間は 親が信心していなかったら きっと
○産党員にでも なっていたと思います
それだけでも 親に感謝 感謝です
by tomotiyoo | 2014-02-08 00:01 | Comments(8)

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