真実を語る

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ちよが、本音で語るブログです

空仮中の三諦

空諦 仮諦 中道
空諦は事物の性分、仮諦は事物のあらわれた姿・形
中道は事物の本質
人間生命でいえば、その人の性分・心は 空諦
姿・形は 仮諦 生命は中道
「たとえば水
お湯になろうが、氷になろうが 水蒸気になろうが そのものの本質には変わりがない。
2Оそれ自体は、中道であり、法身といえよう。
水蒸気となり、あるいは氷となり、あるいは冷水となる。
その姿・形は仮諦であり、応身である。
また、水は、表面張力があり、あるいは溶解力があり、そしてまた、零度以下では氷となり
百度以上では水蒸気になる等の性質を持つ。
それは、それは空諦であり、報身といえる。
実相をありのままに把握することが正しい認識である。
実相をそのままわが心に受け止め、それに対しどう価値創造していくか、どう対処するか、
それが智慧である。
人をどう評価していくかという場合も、まず、その人に対する正しい認識なくして、
どうして正しい判断が下しえようか。
その人の表面の姿・行動のみを見、その人の本質を見失えば、判断を誤る。
また、その人の本質はこういうものだときめつけて、時々刻々と移り変わる姿・行動を
ありのままに把握しないとすれば、やはり正しい認識とはいえない。
その人の、姿・行動も、その人の特質・個性も、その人の本質も、全部、そのまま受け止めることが大事となる。
信心を根本にして、一切を見通していけるのである。」

(池田会長全集5 御義口伝講義より)

はっきり言って ネットだけでは無理だよね\(^o^)/
だから 人の事なんて あーだ こーだと 言わない方がいいに決まっている(笑)
でも おせっかいな私
その人が 損をすると分かったら どうしても 黙っていられないんだよね~
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
会っていたって 昨日の私と 今日の私も 違うのにね(大笑)

だから リアルが大事に決まっている
バカボンパパは ネットをあまり信じない
でも 本当の事もあるんだよ
詩聖タゴールは、
「人間は孤立すると、自己を見失う。
すなわち人間は、広い人間関係のなかに、自らのより大きく、より真実な自己を見出すのである」
と述べている。
迷って 悩んで ネットを彷徨っている人もいる
心は 求めているのだと思う
だから私は 真剣に求める心のある人と 交流していきたいのだ

そして バカボンパパの 陰の協力があってこそ 今 私は 自由に行動できる
本当に感謝です



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Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 06:04
おはようございます

「冷え込む季節。
 配達員の皆様の 健康・無事故を祈る。
 偉大な無冠の同志に 幸福と勝利あれ!」
代配の方も 風邪ひかないでね

ボリビア凄いね~

「くじけず、腐らず、諦めず」
青いくまを 思い出しますね(笑)

『「広宣流布大誓堂は」牧口先生、戸田先生の「勇気のバトン」をうけついだ池田先生と、日本中、世界中に広がる同志との師弟のお城!
来れる日が 待ちどおしいよ
Commented by 久遠の凡夫 at 2015-10-23 07:54 x
「十如是を三回読むのはなぜか」の質問のときに、それは仮空中の三諦だからだよ。という回答を教わって以来
ずっと調べてますが、これ難しいですね。要するに「一念三千」のことだというのは、すぐわかったんですが

「認識せずして、評価するなかれ」
牧口先生の有名な言葉ですね
元々は、学会のことを知りもしないで、悪評を言うのは良くない。みたいなときに使われました
こういう使い方もされるんですね

相手がわかるまで何もしないでは「毒矢(毒蛇)のたとえ」のように、手遅れになるかもしれませんね

社説にありましたが、難民問題に国の枠を越えた善の連帯が必要ですね

一瞬、ボリビアの人が創価大学に来たのかと思った(笑)
Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 09:21
久遠の凡夫さん 
十如是の話 そうでしたね
戸田先生だったかな?
久遠の凡夫さんは よく学んでらっしゃいますね
尊敬します
池田先生の講義は 本当に分かりやすいです

そう 自分を分かってもらいたいと思ったら まず 相手を知ることでしょうね
相手のいいところだけ みていく
なかなか難しいですね(笑)

善の連帯を 広げていきたいです
まずは お題目から・・・
Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 09:26
ふなっしー 今 超 不調なんだって
3時間唱題に挑戦してから 魔の嵐
足が痺れて 立っているのが苦痛のようです
お題目の応援 お願いします

私も 風邪がぬけません
長いね~
今日の10時からの唱題会も 家でやる事にしました
Commented at 2015-10-23 14:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 15:34
非公開さん なるほど~(笑)
Commented by 福島の壮年 at 2015-10-23 16:19 x
ふなっしーさん、毎日祈っているからね。
めげないでね!
ガンバレー!!

但し、たとえ唱題であっても無理は厳禁。
体が辛いときは、布団やベッドに横たわってでも
題目はあげられるし、その功徳が小さくなるわけでは
ないからね。

肝心なのは、強き確信。
強盛な信心だよ。
Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 17:19
福島の壮年さん 感謝です
彼女に 伝えておきますね
強き確信 強情な信心!
Commented by うるとらまん at 2015-10-23 17:31 x
ふなっしーさん、
お大事に!
Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 18:40
うるとらまんさん ありがと~
Commented by 久遠の凡夫 at 2015-10-23 19:06 x
福島の壮年さん
この御指導ですね。ありがとうございます。

森田 :お題目は、横になってしてもいいのでしょうか。
名誉会長 :もちろんです。体調の悪いときには、無理に正座することは
ありません。「場合に応じて、読経はせず、唱題だけでもよいし、御本尊に
向かってしなくてもよいのですよ」と仰せの御書もあります〈1203ページ〉
大切なのは、題目をあげようという「心」です。聡明に判断すればいいのです。

月水御書〈1203ページ〉
御経をば・よませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし

僕も題目を贈りますからね
Commented by シャコタン at 2015-10-23 20:42 x
ちよさん、おこんばんわ、
今唱題会から帰ってきました。
ふなっしーさんの事、祈らせて頂きました。 
不調なと時はお互い様。 
お大事にされて下さいね。 
  

Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 21:39
久遠の凡夫さん ありがとう
自分が一番よく分かってるもんね
怠けなのか 本当にしんどいのかは・・・
今は 私の風邪がうつっては困るので 一緒にできてないけど うるとらまんさん家族とも一緒にあげたんですよ
彼女は 顔晴りやさんです(笑)
お題目 ありがとう
伝えておくね
Commented by tomotiyoo at 2015-10-23 21:40
シャコタン お帰り~
そして ありがとう
伝えておきますね
Commented by 久遠の凡夫 at 2015-10-27 15:55 x
法華経の智恵の、方便品第二で、初めて仮空中の三諦の説明を読んだときは、瞬間瞬間を撮影した、たくさんの写真が、たくさんつながって動画になるイメージでした

ところで、NHK新・映像の世紀の第1回を見たのですが、
冒頭で、今まで写真だったのが、無数の写真(フィルム)をつなぎ合わせて、映像(動画)になったことで、影響が格段に変わった。と言ってました。何このタイミング(笑)
そういや、創価新報の、まっとふくしまさんの法華経ツアーで、見たみたいな光景が出てきました。
見る前に、多少の覚悟は必要ですが、一度は見ておいて欲しい。と思いました

新映像の世紀(再)は、今夜0時です
Commented by tomotiyoo at 2015-10-27 16:46
久遠の凡夫さん なるほど~

0時? 私は起きてられるかな~\(^o^)/
Commented by うなぎ犬 at 2016-10-28 11:24 x
はじめてコメントします。
僕は15歳のとき、題目を唱えていると虚空会の儀式を体験しました。
南妙法蓮華経の「妙」の文字が金色にひかり、玲瓏たる月と燦然たる太陽を合わせたような圧倒的なそれでいてどこまでも優しい南妙法蓮華経のひかりにすべての人々の生命が照らし照らされていました。
日蓮大聖人の生命も、師匠の生命も、確かにそこに厳然といらっしゃいました。
空仮中の三諦でいうと、この状態の生命は何に当たるんでしょうか?
Commented by tomotiyoo at 2016-10-28 12:02
うなぎ犬さん こんにちは
見えたのは 多分 妄想でしょう

感じた事は 命で感じたのだから 中道ですかね~?
私には よくわからないから 詳しい人に 聞いてみましょうか?
少し 時間をいただければ・・・

コメント ありがとう
Commented by 福島の壮年 at 2016-10-28 14:29 x
<幻覚(hallucination)/医>
対象の存在しない知覚=五感(五識:眼耳鼻舌身)で識別し、
感じるべき外界からの入力信号がないのに、まるで、その信号が
あるかのような感覚を体験してしまう症状。

四感による感覚(聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を伴う症状も幻覚
に含まれるが、狭義では、視覚による「幻視」の意味で使用
されることが多い。

<錯覚(illusion)>
外界からの入力信号は実際にあったものの、感覚情報を誤って
体験する症状は「錯覚」と呼ばれ、「幻覚」とは区別される。

<トランス(trance)>
この 状態の場合、通常の感覚は失われ、通常では感じることの
難しい感覚世界の中に入る。
「入神状態」「脱魂状態」「恍惚状態」などと表現される。
トランス状態では、脳の中で、アルファ波~シータ波が優勢に
なることが知られている。
また、トランス状態に入ると、五感が麻痺し、外界からの強い
刺激に反応しなくなることが珍しくない。
【例】直近でストロボを発光させても反応しない。
体に針を刺しても全く痛みを感じない。…など。

トランス状態に入るきっかけは、強い突発的ストレスや受け容れ
難い現実事象に遭遇した時などであるが、催眠療法や宗教儀式
等によって発現させ得る場合がある。

うなぎ犬さんの体験が事実であるなら、それは<トランス状態>
が引き起こされたものと思われます。

うなぎ犬さんは、仮諦からが遊離された空諦に入り込んだ状態
ではないでしょうかね?
但し、周囲でうなぎ犬さんを見ている人たちからは、放心状態
または、独り愉悦するあなたが見えているだけです。

突然、そういう姿を目の当たりにした他の人は、あなたに向って
大声で叫び、あなたの体を揺すり、現実世界に引き戻そうと
試みるでしょうね。

自分の中で感覚を失っただけで、仮諦は歴然と存在しているし、
仮諦と空諦を繋ぐ中諦に影響が及んでいるわけではありません
ので、何らかのきっかで三諦は和合します。
(あくまでも私見です)

Commented by tomotiyoo at 2016-10-28 16:04
福島の壮年さん
私見とはいえ 勉強になります
ありがとう
Commented by 通りすがり at 2017-02-22 10:49 x
>実相をそのままわが心に受け止め、それに対しどう価値創造していくか、どう対処するか、
それが智慧である。


実相を受け止めるとか外道の戯論ですよ。
そのまんまだと一闡提です。
題目を唱えるのは大地を的にして矢を射る如くなんでしょう。
矢を射るのは誰ですか?
題目を唱えるのは誰なんですか。
他でもない、自己自身じゃありませんか?
実相も同じ事です。
受け止めるなどと考えてるうちは、単なる自己暗示に過ぎないでしょう。
Commented by tomotiyoo at 2017-02-22 13:17
通りすがりさん こんにちは

池田先生は 読んだ人が分かりやすいように そのような 言い方をしたのだと思います
私にとっては 何の問題も ないのでは・・と思いました

詳しい人に 聞いた方がいいのであれば また コメントお待ちしてます

古い記事へのご意見 ありがとうございました
Commented by 福島の壮年 at 2017-02-22 15:16 x
>通りすがりさんへ

『実相をありのままに把握することが正しい認識である』とは

(1)「己身」に約していえば、
①表層的な身体的特徴や能力(仮諦)、
②内面的な性格や思考特性や嗜好など(空諦)
に由来する長所や短所に捉われて一喜一憂するのではなく、
自身が備えている清濁併せ持ったところの本来の姿(中諦=
生命の実相・真実)をありのままに見つめ、限りなき可能性を
信じ、どういう状況に身を置いていても、常に清浄なる高貴な
人格を心身に表現できるように人格を磨いていくことです。

(2)「他者」に約していえば、
相手の心身のみに拘泥して「こういう人物」と決めつける
ことなく、相手にもまた、自身と同じ実相と無限の可能性が
存在するということを認識し、相手の本質に向き会うと
いうことです。

(3)対峙している「事象面」に約していえば、
「諸法」(眼に見えている風景を中心に、五感で感じ、認識して
いるところの事象)の奥底に存在している「実相・真実」を
明らかに観じ、対応していくことです。

「実相・真実」を明らかに見通す力の源泉こそが、
「唱題行」です。

そのことが、
『実相をそのままわが心に受け止め、それに対しどう価値創造
していくか、どう対処するか、それが智慧である』
の意です。だから、
『その人の表面の姿・行動のみを見て、その人の本質を
見失えば、判断を誤る』ということになります。

更には、生命観としての三諦論や諸法実相も、宇宙観としての
諸法実相も、その「本質・真実」は「普遍的法則」によって
貫かれていますが、表層的な様相は「縁」に触れて時々刻々と
変化していきます。
それもまた真実です。
それが、
『その人の本質はこういうものだときめつけて、時々刻々と
移り変わる姿・行動をありのままに把握しないとすれば、
やはり正しい認識とはいえない』
ということです。
だからこそ、
『その人の、姿・行動も、その人の特質・個性も、その人の
本質も、全部、そのまま受け止めることが大事となる』
ということになります。

通りすがりさんのご主張と、何ら齟齬するところはありません。
by tomotiyoo | 2015-10-23 00:00 | Comments(23)

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