2001年 産経新聞の記事より
2001/9/17(月)1面掲載 「テロは宗教の自殺行為」 池田大作創価学会名誉会長本紙と会見
このなかで池田氏は、イスラム原理主義勢力によるとみられる米国中枢をねらった同時 多発テロについて、「テロは宗教の自殺行為だ」と述べ、対話の徹底による宗教対立の回避 の必要性を強調した。
池田氏は今回のテロについて、「いまこそ全世界の指導者たちが動き、大世論をつくることだ。
世論が時代と人間を動かす」とし、中東の宗教対立をめぐる憎悪と暴力の連鎖を断ち切るべきだと述べた。
ただ、かつては自身が靖国神社に参拝していたことも明らかにした。
過去に言論出版妨害事件などを起こした創価学会の体質問題については、組織の発展段階では戦闘的にならざるを得ない時期もあるとし、現在では批判された体質は払拭できていると主張した。
真相はいまだ不明だが、イスラム原理主義や宗教勢力のテロについて、どう考えるか。
断じて許されるべきではない。テロは宗教の自殺行為だ」
中東問題の 解決への取り組みを続けている。非常に入り組んだ問題だ。
あらゆる方法を考えなければならない。
国連が介入してもいい。
いまこそ全世界の大国の指導者が動いて、憎悪と暴力 の連鎖を断ち切るべきだ。
そして大世論をつくることだ。世論が時代と人間を動かす
答 世界の多くの人々と対話してきた経験から断言できるのは、『宗教が違っても分かりあ えるところは必ずある』ということだ。
ともかく対話に徹することが根本だ。
対話の活性化こそ、二十一世紀の宗教の目指すべき第一義的課題であると思っている
したがって、台湾問題は原則的に中国 の内政問題であるという立場だ。
そのうえでいえば、いまの中国は香港返還と同様に、武力統合のような強引な手段は極力避けるだろう。
台湾の人々の民意を踏まえて柔軟な対応をとることを信じている」
中国とつき合いをはじめた当初、国造りに着手したばかりであり混乱を避ける意味からも布教は遠慮してほしいと要請された。
私どもも信義を重んじ、約束を守 ってきた。
だが、儒教も仏教も道教もみんな日本に入ってきて、大きな文化貢献をしてくれた。
インドや中国から仏教が伝わってきたのと同じように、遠い将来、中国などへ広がっていくことも想像できるような気がする
人間が規制したりするのはよくないが、混乱を生むのは本意でない
会員も増えており、今月、新本部も開館する予定で、秋谷(栄之助)会長が訪台することになっている
第一世代の周恩来首相、第二世代の?小平氏、第三世代の江沢民主席、第四世代の胡錦涛副主席だ。
それでよく分かるのだが、中 国は百年先を見つめて進んでいる。
大きなビジョンをもっている。人類の五人に一人は中国人だ。
日本は、この巨大な隣人と仲よくする以外に生きてはいけない。
しかし、日本には、明治以来のアジア蔑視というか、軽く見るくせがまだ抜けていない
ただ、あくまで孫文が力説していたように漸進主義でいくべきだ。なにごとも急進的なやり方は破壊と混乱を招く
答 中国は日本にとって手に余る大国―横網になってしまった。日本は大関かと思ってい たら前頭ぐらいになってしまった。
日本の外交をどう強力なものにしていくか。これこそ政治家の責任だ。
政治の最高責任者が厳然たる方針、信念、外交感覚、政治哲学をもっているかどうかという話だ
ただ、アメリカは多様な国だ。力の政策の代表もアメリカなら、マーチン・ルーサー・キングらの公民権運動など非暴力への志向もある。
チャンネルを増やして、学ぶべき点は学ぶことが必要だ。
現在の日米基軸の方向性は軍事関係に偏重しすぎている。
これは遅かれ早かれ、時代遅れになると信じている
次回へ続く
by tomotiyoo | 2016-09-09 07:16 | Comments(10)
寛容を目指しても 許せない事がある
生命軽視 いじめ 私自身 絶対いけない事と 今から 心していきたいと思います
魔は 分断を好む
そして 魔も 団結する
善の連帯を勇気をもって広げていこうと思う
それには 折伏しかない
まずは 自分の弱い心を 折伏! ですね
憎悪と暴力 の連鎖 大人の世界から変えていかなくては 子どもの問題も変わらない
いじめを見て見ぬふりをするような 卑怯な人間にはなりたくない
言って 分からない人には 祈る! そして世論が時代と人間を動かす世界を 諦めないでいこうと思う
一人一人の学会員の自覚にかかっていますね まずは 自分から
中国の話で 思い出したのですが 私は 以前 バイトで行っていた 電気工事会社に 上海出身の友人がいて 当時 経理のための パソコン操作を教えていました
彼女は 夜は 歌舞伎町で働き 彼女が国へ帰っている間 私がその店に手伝いに行くのですが 時給は 彼女の2倍
そんなところも 今考えると アジア軽視なのかもしれませんね
その店にママは 彼女の事を話してくれました
私の事を 先生と呼んでいて 手書きのキーボードで お客さんがいない間 練習をしているんだって
立派な人は 国や 環境 一切関係ないですね
今は もう 会う事もないけど 思い出し 幸せであるよう祈ります
異なる価値観を認め合う事が 大切ですね
50年 100年先 私は多分この世にはいないと思うけど 今 私が行っている事は まぎれもなく 未来への基礎だと思う
あとは 若い人たちに 先生の思想・理念を伝えていくこと
自分の行動で 示していけるよう 頑張っていきます
またあとでね
明後日まで ちょっと難しいかも