所謂 私も 学会っ子
今では 5世までいると言われる 学会っ子
『しぶしぶ参加した様子の中学生の母親に「誰もが通る道よ」と人生の先輩』と 名字の言
今年102歳になる婦人部の方に 私は少年部の時からお世話になっていた
ある時 「うちの娘や ちーちゃん(私のこと)は 挫折を知っているからいいけど
sちゃんは(当時の地区婦人部長)みんなで 守ってあげないとね」 と
sちゃん 離婚して 違う区へ引っ越しました
でも その区で 今 頑張っていると 風の噂で聞きました
流石 婦人部の大先輩 よく人を見ていたものです
sちゃんは 先生に会うのが夢だった
引っ越し先の会合で 見事 先生にお会いする事になる
バカボンパパは 彼女のことを 機関車と言っていた
今でも 機関車のように 活躍していることであろう
子供は 親の背中を見て育つといいますが 私の時代は 親がいない(笑)
我が家の場合 私は 今と違って とっても聞き分けのいい子
夜の会合で 留守番をしていても 時間になれば 一人で寝てしまう
両親と姉は それをいい事に 焼肉屋や すし屋によって帰る
勘のいい私は 次の日 仏壇に置いた マッチで気づく
池田先生のことは 大好きで 「大いなる希望」を暗唱し 座談会では活発に発表する子であった
でも 何か違う
両親の生き方・・・
これが 学会員?・・・
一度は 思うことがあるのでは
それでも 私は いやいやでなかったので まだ 救われた(笑)
なかには 無理やり 笑いたくなくても 笑顔でいなくてはいけない
こうしなさい ああしなさいと 言われ続けて育った人もいるでしょう
親たちも みんな 人間革命の途中だったのです
とにかく ♪今日も又 明日もまた 折伏の♪です
それでも うちの両親は 楽しそうだった
ただ 母は 幹部が苦手のようだった
よく言っていたのが 今の幹部はいいわよ 優しいし・・・
私からすれば 一番怖いのは あなただよ と言いたかった(笑)
幹部の子供は なおかわいそう
立派な話を 会合でしても 家に帰ったら ただの親
そのギャップに 耐えられない人もいたであろう
でも そんな子供たちも みんな大人になる
大人になって考える
やっぱり その親たちがあったからこそ 今 自分たちは 学会の庭で ぬくぬくしていられるのだと
そして 自分の宿命を知らず知らずに転重軽受させていただいていることに気づくのだ
私は 学会ということで いじめられたことは 一度もなかった
そう 30歳を過ぎるまでは・・・
そんな経験をしたからこそ 今 こうやって 元気にいられることに感謝ができる
もし 親が信心していなかったら 批判的で 文句の多い私は たぶん 共産党員になっていたであろう
折伏されても 頑固な私は 信心できなかったであろう
だから 私は 両親に 心から感謝をしている
まだまだ 彷徨って 信心につけず ネットで愚癡っている人
本当に 気の毒だと思う
その人たちが 言うことの 共通点
お金と功徳
申し訳ないが 結局 餓鬼信心だったのであろうか?
信者であって 行者ではない
随分と 遠回りをしたけれど 今 幸せ!と言い切れる私の人生に ちょっとどや顔\(^o^)/
一日も早く帰れる日を 心から祈ってます