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十法界妙因果抄  修羅界の因縁と種々の差別の因果

『だい4に しゅらどうとは しかんの 1に いわく
第四に修羅道とは止観の一に云く

もし そのこころ ねんねんに つねに かれに まさらん ことを ほっし
「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し

たえざれば ひとを くだし ほかを かろしめ
耐えざれば人を下し他を軽しめ

おのれを たっとぶこと とびの たかく とびて みおろすが ごとし 
己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し

しかも そとには じん ぎ れい ち しんを かかげて げぼんの ぜんしんを おこし
而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し

あしゅらの どうを ぎょうずるなり もん
阿修羅の道を行ずるなり」文。

(中略)

また 

8の まきに いわく
又八の巻に云く

もし また この きょうてんを じゅじするものを みて その かあくを ださん
「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん
もしは じつにも あれ もしは ふじつにも あれ

若は実にもあれ若は不実にもあれ

この ひとは げんせに びゃくらいの やまいを えん
此の人は現世に白癩の病を得ん

もし これを きょうしょうすること あらん ものは まさに よよに
若し之を軽笑すること有らん者は当に世世に

げしすきかけ みにくき くちびる たいらめる はな しゅきゃく りょうらいし がんもく かくらいに
牙歯疎欠・醜き脣・平める鼻・手脚繚戻し眼目角〓に

しんたい しゅうえにして あくそう のうけつ すいふく たんけ もろもろの あくじゅうびょう あるべし もん
身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気諸の悪重病あるべし」文、』


因果は 恐ろしいですね

以前は 開目抄の一部も 恐ろしくて拝読できない時期があったが 今は ありがたく拝せる

次元は 違うけれど SⅯAPを見ていて思った

過去の 罪は 深く反省し 同じ過ちを 繰り返さないことで罪障消滅できる 

大聖人様は 罪業を積ませないようにとの慈悲から たくさんの御書を残している

私は 人がどうであれ 大聖人様の 心を拝していきたいと思う




by tomotiyoo | 2016-12-28 00:00 | Comments(12)

Commented by tomotiyoo at 2016-12-28 06:57
おはようございます

『新しい前進は 新しい目標から!
人生は常に「今」「ここから」だ。
勝利の未来へ出発!』

「箱根駅伝 創価大学からのお願い」
よく読んでくださいね
創価大学は 今や 未入会の方も多くいます
創立者の心 大学の魅力にひかれ 学んでいる方たちです
私たちが お手本にならなくては思います
当日までのお題目とテレビで 応援しましょう(^^♪

「笑顔の絶えない人間共和の世界」
来年も 嫌なことがあっても ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \と笑い飛ばし
笑顔の一年でありたいですね

「苦労した人間には誰人もかなわない━戸田先生」
苦労はかってでもしろ
苦労知らずの私 もう少し 苦労しなくっちゃね

『93歳の父が入会
入会40年にして・・・
”今、病魔と闘っている婦人部の方に、弘教を通して励ましたい”
「私に勇気をください」との真剣な祈り』
本当におめでとうございます

『大事なのは「自由」でいること』
来年も 自由にやらさせていただきますよ~\(^o^)/

では (-人-) 南無南無・・
Commented by tomotiyoo at 2016-12-28 07:42
ありがとうございました

また8時から はじめますね
Commented by 赤鬼のパソ at 2016-12-28 08:24 x

06   第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し 耐えざれば人を下し他を軽
07 しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を
08 行ずるなり」文。
-----―
 第四に修羅道とは、摩訶止観巻一に「もしその心がいつも他人に勝ることを願って耐えられないので、人を見下し、他を軽んじて己を貴ぶことは、たとえば鵄が高く飛んで見下ろすようなものである。それでいて外面には、仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起こし、阿修羅の道を行うのである」とある。

Commented by 赤鬼のパソ at 2016-12-28 08:27 x

修羅道
 修羅界のこと。修羅(阿修羅)の世界。修羅の生命境涯。阿修羅はサンスクリットのアスラの音写。古代インドの神話に登場する神で、海辺あるいは海中に住むとされる。須弥山の周辺の天に住む神々の王である雷神インドラ(帝釈天)と覇を競ったとされる。修羅の特徴として、自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他の念」を強くもっていることが挙げられる。他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽んじる。そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができない。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって諂う。自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい謙虚なそぶりすら見せることもあるが、内面では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちている。「観心本尊抄」では「諂曲なるは修羅」(241㌻)とされ、人界所具の修羅界は諂曲なさまからうかがえるとされる。「諂曲」とは自身の本音を隠して相手に迎合していくことである。これに基づいて生命論では、勝他の念が強く諂曲である生命状態を修羅界とする。十界のうち、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に修羅を加えて、四悪趣とされる。また六道の中では、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に比べれば相対的にはよいので、人・天とともに三善道とされる。
―――
止観
 ①摩訶止観のこと。『止観』と略される。10巻。天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされる。本書で天台大師は、仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、サンスクリットで偉大なという意の「摩訶」がつけられている。「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。天台大師は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かした。②止観という瞑想修行のこと。「止」とは心を外界や迷いに動かされずに静止させることで、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。
Commented by 赤鬼のパソ at 2016-12-28 08:29 x
―――
仁・義・礼・智・信
 五常のこと。儒教の根本的な徳目。①仁は、分け隔てない親愛の情。②義は、道理にかなって正しいこと。③礼は、社会秩序を維持するための生活規範のこと。④智は、物事を識別する能力・智慧。⑤信は、偽らない誠のことで、誠実さ。
―――
下品
 ある者を上・中・下に分類した下のこと。
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 修羅道の報いを受ける因縁が明かされている。観心本尊抄には「諂曲なるは修羅」(0241-08)と仰せであり、諂い曲がった心を修羅界とされている。強い自我意識にとらわれているために物事を正しく見ることができず、また己を高くするために他と争いに陥る生命状態をいう。
 ここで大聖人は、摩訶止観巻一の「その心が常に他に勝つことばかりを願い、耐え忍ぶことができず、他人を軽蔑して己のみ尊しとする様子は、ちょうど、鵄が空高く飛んで下を見下ろすようである。それでいて、外面は五常を唱え、低い善心をもって修羅の道を行くのが修羅界である」との文を引かれている。
 この摩訶止観の文のように、自我意識が強く、他人に勝りたいという一念に執着して、他人より劣ることに耐えられない生命の状態で、他人を軽んじ、己を高くしようという境界が修羅界といえる。
 なお、五常とは、儒教で説かれた、人が常に守るべき五つの道をいい、一般には、仁・義・礼・智・信の五をいう。表面には、この五常等の道徳を唱え、実践しているようにみせながら、それでも自己を飾り他に勝るための手段にすぎないという、偽善的、独善的な境界が修羅界なのである。一代聖教大意には、「五常は修羅の引業」(0400-12)と述べられている。
 なお、天台大師は、仁王経疏巻上一のなかで不殺生を仁、不偸盗を智、不邪淫を義、不飲酒を礼、不妄語を信と、五戒を五常に配している。また、祈祷抄には「人間界に戒を持たず善を修する者なければ人間界の人死して多く修羅道に生ず」(1345-09)と仰せである。仏法の戒を持たず、善行を修することがなければ、死後に修羅界に生ずる、といわれているのである。
Commented by 赤鬼のパソ at 2016-12-28 08:30 x
つづきはあとで
Commented by 赤鬼のパソ at 2016-12-28 08:52 x
10   又八の巻に云く「若し復是の経典を受持する者を見て 其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の
11 人は現世に白癩の病を得ん若し之を軽笑すること有らん者は 当に世世に牙歯疎欠・醜き脣・平める鼻・手脚繚戻し
12 眼目角昧に身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気諸の悪重病あるべし」文、
-----―
 また法華経巻八勧発品第二十八に云「もしまた、この経典を受持する者をみて、その過失や悪を出したならば、たとえそれが事実であっても、事実でなくても、その人は現世で白癩の病を得るであろう。もしこれを軽笑する者は、まさにいつの世でも牙歯はすいて欠け、醜い唇、平らい鼻、手足はもつれて曲がり、眼目は眇となり、身体は臭く汚く、悪瘡ができて、膿や血がたまり、腹水病や短気などの諸の悪重病となるであろう」とある。
―――――――――
悪瘡
 悪性のできもの、はれもの。正法誹謗の罪によって起こるとされる悪重病のひとつ。
―――
膿血
 膿と血がたまること。正法誹謗の罪によって起こるとされる悪重病のひとつ。
―――
水腹
 腹部に濁水が充満する病気。正法誹謗の罪によって起こるとされる悪重病のひとつ。
―――
短気
 息が詰まり、呼吸が困難になること。ゼンソク。正法誹謗の罪によって起こるとされる悪重病のひとつ。
Commented by 赤鬼のパソ at 2016-12-28 08:55 x

 また不賢菩薩勧発品第二十八では「法華経を受持する者を見て、その過去の過ちを言い出す者は、たとえそれが事実であっても、そうではなくても、その人は現世に癩病にかかるだろう。もしも軽蔑し笑う者は、いつの世でも歯が隙き欠け、唇は醜く、鼻は平らで、手や足は曲がって伸びず、眼はすがめになり、身体は臭く汚れ、悪いでき物や膿や血が溜まり、腹には水が溜まり、短気である、などのさまざまな重病にかかる」と説かれている。勧発品では、法華経を受持する者を見て、誹謗し軽んずる者は、我が身にその報いを受ける、という因果を明かしているのである。
 大智度論では、一般的な因果を説いており、それに対して法華経では、法華経および法華経信受の人を誹謗する、謗法の行為による因果が説かれているといえよう。
 佐渡御書に「高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり、日蓮は此因果にはあらず法華経の行者を過去に軽易せし故に法華経は月と月とを並べ星と星とをつらね華山に華山をかさね玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を或は上げ或は下て嘲弄せし故に此八種の大難に値るなり」(0960-02)と述べられているように、普通の因果よりも、法華経誹謗のほうが罪業が重く、したがって同種の苦報であっても、消滅することは容易ではないのである。
Commented by tomotiyoo at 2016-12-28 09:34
赤鬼のパソさん 
うちにあるのと 一緒かな?
第5巻下 だよね~

わざわざ ありがとう

うちの母はね 私が子供のころ
例えば 「牙歯はすいて欠け、醜い唇、平らい鼻、手足はもつれて曲がり、眼目は眇となり、身体は臭く汚く、悪瘡ができて、膿や血がたまり、腹水病や短気などの諸の悪重病」
の人を 見たとするでしょ
気持ち悪いとか 思っちゃいけないよ って言うんです
それから 私 ジロジロ見なくなりました
母は 謗法の恐ろしさを 私に教えてくれていたんですね
母が 肺炎を起こしかけて ベッドで横になっている姿を見ると いろいろなことを思い出します
最後には 感謝しかないんです
あれだけ嫌っていたようでも 本当は 私 大好きなんだな~って 実感します
両親のもとに生まれなかったら 私のような へそ曲がりで 頑固者は 信心できなかったことでしょう
心こそ大切なれ 因果を教えてくれた 母に 感謝です

いつも 見守ってくれる akaoni さんにも 感謝です

赤鬼のパソさん
♪友達なら そこのところ うまく 伝えて~♪
Commented by ハピネス at 2016-12-28 18:10 x
必ず変わるよ!
叩かれていきましょう。

それで、いいじゃん!
一緒に、泣こうよ^^
Commented by tomotiyoo at 2016-12-28 19:09
ハピちゃん 嫌よ 嫌 嫌 (笑)
やっぱ 私たちは
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
これでいかなくっちゃ\(^o^)/
Commented by tomotiyoo at 2016-12-28 21:59
地震は 大丈夫?
こっちは 大丈夫ですよ~