3.16 広宣流布記念の日 おめでとうございます


破邪顕正の剣もて!

「ぶっぽうは しょうじゅ しゃくぶく ときに よるべし.
仏法は 摂受・ 折伏 時に よるべし.

たとえば せけんの ぶん ぶ にどうの ごとし されば むかしの だいしょうは ときに よりて ほうを ぎょうず.
譬ば 世間の 文・ 武 二道の 如し されば 昔の 大聖は 時に よりて 法を 行ず.

せっせんどうじ さったおうじは みを ふせとせば ほうを おしえん ぼさつの ぎょうと なるべしと せめしかば みを すつ.
雪山童子・ 薩タ王子は 身を 布施とせば 法を 教へん 菩薩の 行と なるべしと 責しかば 身を すつ、.

にくを ほしがらざる とき みを すつ べきや.
肉を ほしがらざる 時 身を 捨つ 可きや.

かみ なからん よには みの かわを かみとし.
紙 なからん 世には 身の 皮を 紙とし.

ふで なからん ときは ほねを ふでと すべし.
筆 なからん 時は 骨を ふでと すべし.

はかい むかいを そしり じかい しょうほうを もちいん よには しょかいを かたく たもつべし.
破戒・ 無戒を 毀り 持戒・ 正法を 用ん 世には 諸戒を 堅く 持べし.

じゅきょう どうきょうを もって しゃっきょうを せいしせん ひには.
儒教・ 道教を 以て 釈教を 制止せん 日には.

どうあんほっし えおんほっし ほうどうさんぞう とうの ごとく おうと ろんじて いのちを かろうすべし.
道安法師・ 慧遠法師・ 法道三蔵 等の 如く 王と 論じて 命を 軽うすべし、.

しゃっきょうの なかに しょうじょう だいじょう ごんきょう じっきょう ぞうらんして みょうじゅと がりゃくと ごろの ににゅうを わきまえざる ときは.
釈教の 中に 小乗 大乗 権経 実経・ 雑乱して 明珠と 瓦礫と 牛驢の 二乳を 弁へざる 時は.

てんだいだいし でんぎょうだいし とうの ごとく だいしょう ごんじつ けんみつを ごうじょうに ふんべつ すべし.
天台大師・ 伝教大師 等の 如く 大小・ 権実・ 顕密を 強盛に 分別 すべし、.

ちくしょうの こころは よわきを おどし つよきを おそる.
畜生の 心は 弱きを おどし 強きを おそる.

とうせいの がくしゃらは ちくしょうの ごとし.
当世の 学者等は 畜生の 如し.

ちしゃの よわきを あなずり おうほうの よこしまを おそる.
智者の 弱きを あなづり 王法の 邪を おそる.

ゆしんと もうすは これなり.
諛臣と 申すは 是なり.

ごうてきを ふくして はじめて りきしを しる.
強敵を 伏して 始て 力士を しる、.

あくおうの しょうほうを やぶるに.
悪王の 正法を 破るに.

じゃほうの そうらが かとうどを なして ちしゃを うしなわん ときは.
邪法の 僧等が 方人を なして 智者を 失はん時は.

ししおうの ごとく なる こころを もてる もの かならず ほとけに なるべし.
師子王の 如く なる 心を もてる 者 必ず 仏に なるべし.

れいせば にちれんが ごとし.
例せば 日蓮が 如し、.

これ おごれるには あらず しょうほうを おしむ こころの ごうじょうなる べし.
これ おごれるには あらず 正法を 惜む 心の 強盛なる べし.

おごれる ものは かならず ごうてきに あいて おそるる こころ しゅったいする なり.
おごれる 者は 必ず 強敵に 値て おそるる 心 出来する なり.

れいせば しゅらの おごり たいしゃくに せめられて むねっちの はちすの なかに しょうしんと なりて かくれしが ごとし.
例せば 修羅の おごり 帝釈に せめられて 無熱池の 蓮の 中に 小身と 成て 隠れしが 如し、.

しょうほうは いちじ いっく なれども じきに かない ぬれば かならず とくどう なるべし.
正法は 一字・ 一句 なれども 時機に 叶い ぬれば 必ず 得道 なるべし.

せんきょう ばんろんを しゅうがくすれども じきに そういすれば かなう べからず.
千経・ 万論を 習学すれども 時機に 相違すれば 叶う 可らず。」

全て 御書通りですね

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Commented by 凡ちゃん at 2017-03-17 08:37 x
3・16大勝利おめでとうございます。
ウチの地域も大勝利です。特に青年の皆様たちが、青年拡大の年だけに、我々が勝利の結果を出そう。と並々ならぬ努力でがんばっていただいて、大活躍してくださいました。

ところで、学会では折伏・折伏とよく連呼してますが、別に折伏には形式は無いんですね。
折伏はこうやれ。こうあるべき。みたいな堅苦しいものだと思ってました。

「名誉会長: まず大前提として 末法において南無妙法蓮華経を説くことは、すべて「折伏」です。我が身を惜しまず妙法を語っていく折伏精神が根本であれば、相手の誤りを破折することも、また相手の考えを包容しながら真実を説くことも、両方あってよいのです。

名誉会長: 両方を使いきっていく“智慧”が大事です。法師品(第十章)の所でも語り合ったように、折伏とは「真実を言いきっていくこと」です。誠実に、まじめに、相手の幸せを願って仏法を語っていけば、すべて「折伏」になるのです。」
(法華経の智慧 安楽行品より)

逆に、心に慈悲心無く、幹部に誉められたいから、幹部に叱られたくないから、手柄を立てて周囲にちやほやされたい。とか、そういう一念で折伏をしたら、それは顕正会とかの折伏になってしまいますよね。

本当に相手の人の幸福を心から祈り、お題目を徹底的にあげたならば、もし仮に「明日、飲みに行かない?」でも、立派な折伏の1つなんですね(笑)
いい時代になりましたね~
Commented by tomotiyoo at 2017-08-24 14:25
凡ちゃん ごめんね
今 ちょっと調べてたら ここが出てきた
忙しくて ネット見る暇ないかな?

私は 折伏は 楽しくやるのがいいと思ってます
まず 相手の話を聴く
そうすれば 相手が どんなことに悩み 何に興味があるか分かるでしょ?

「本当に相手の人の幸福を心から祈り、お題目を徹底的にあげたならば、もし仮に「明日、飲みに行かない?」」
これは きっかけじゃないのかな?
ここから始まるんだと思うんだけど おばちゃんは 考え古いかな?
by tomotiyoo | 2017-03-16 09:56 | Comments(2)