一切の法則は妙法から出ている学会を甘く見てはならない!
想像をはるかに超えた仏意仏勅の教団である!
学会は、最高に尊い仏の団体です。
戸田先生は、よく青年部に「創価学会は大聖人に召し出だされたのである。
君たちの想像をはるかに超えた仏意仏勅の教団なのだ」と言われました。
広宣流布を現実に推進する学会という 和合僧の連帯を、甘く見てはならない。
学会を甘く見ることは、御本尊を甘く見ることです。
大聖人を甘く見ることです。
学会を大事にすることこそが、 仏法を護り抜くことにほかなりません。
ゆえに、諸天から護られるのです。
今、私は次の50年のため、真剣勝負で青年を薫陶しています。
創価の師弟の魂を受け継ぎ、破邪顕正の「闘争力」のある青年門下が陸続と育たなければ、学会の未来永遠の興隆はないからです。
大聖人は、『兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』
(御書1193頁)と仰せになり、本抄を結ばれています。
「兵法剣形の大事」──あらゆる兵法や剣術なども、その根源は妙法から出ている。
丈夫である四条金吾に「妙法こそ、一切に勝つ根本なのだ」と教えておられるのです。
仏法は即社会です。
信心は即生活です。
世間のあらゆる道は、 妙法という大法則と相通じていると言ってよい。
健康になるための法則。
仕事で勝つための法則。
幸福に生きるための法則。
平和に仲良く調和し、繁栄していくための法則。 ──すべての究極が「妙法」である。
唱題によって、仏の大生命力を涌現させれば、前進する「勇気」が出る。勝ちゆく「智慧」が漲る。
友を励ます「慈悲」が溢れてくるのです。
「日々、題目を唱え、信心強盛に生き抜くことは、毎日、生命をダイヤモンドにする注射を打っているようなものだよ」と、戸田先生はわかりやすい譬喩を用いられました。
森羅万象はすべてが戦い、人生も一切が戦い 環境が厳しければ厳しいほど 燃え上がる「金剛の勇気」を発揮して、戦い進むのです
人生は、一切が戦いです。個人も、会社も、家庭も、全部、戦いです。
お母さんが子どもを育てることも、大変な戦いである。
自分自身の健康・長寿も、絶え間なき病気との戦いによって、勝ちとっていくものです。
太陽が輝く。
雲が湧き起こり、風が吹きわたる。
清流が迸る。
こうした現象も、すべて大宇宙と連動した自然界の戦いであると言ってよいでしょう。
要するに、森羅万象は戦いによって成り立っているのです。
ゆえに、大聖人は「仏法は勝負」と厳命なされました。勝たなければ、幸福はない。
勝たなければ、仏界の涌現もない。
勝たなければ、「一生成仏」「広宣流布」もありません。
大聖人から本抄を賜った当時、四条金吾は長い苦闘の日々を乗り越え、ようやく勝利の春を迎えようとしていました。
金吾は信心を理由に、主君の江間氏の不興を買い、嫉妬の同僚からも幾多の讒言を受け、ついには「所領没収」の危機に直面しました。
その裏には、大聖人に敵対する極楽寺良観らの卑劣な陰謀がありました。
しかし、金吾は一歩も退かなかった。大聖人に御指導を仰ぎながら、不退転の信心を貫き、ついには主君の信頼を回復し、新たな所領まで賜りました。
なぜ、金吾は勝つことができたのか。
この御書の冒頭には、金吾がある強敵にねらわれ、見事に撃退したことが記されています。
大聖人は、金吾が無事であった勝利の要因を『前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故』(御書1192頁)と教えておられます。
すなわち、
①普段からの用心
②けなげ(勇気)、
そして ③強き信心です。なかでも「強き信心」が根本であることは言うまでもありません。
祈りとは、わが己心の「臆病」「油断」「慢心」を叩き出す修行であるとも言ってよい。
どんな苦難にも負けない、いな、環境が厳しければ厳しいほど燃え上がる「金剛の勇気」を発揮して、戦い進むのです。
師弟不二の心で必ず勝つ 「勝って驕らず」 「負けて腐らず」 「人間はたたかうように創られている」
「人にとってたたかうことは、永遠に避けられないものである」(上田和夫訳)とは、イギリスの歴史家力ーライルの言葉です。
「立ち上がれ、そして断固たる心をもって戦うのだ」
「全力をふりしぼって戦うのだ」(山口三夫訳)。
これは、フランスの行動する作家ロマン・ロランの叫びです。
人生は闘争です。
本当の勝負は、一生の最終章で決まる。
ゆえに 「勝って驕らず」 「負けて腐らず」です。
大いなる目的に向かって弛まず、忍耐強く戦い 続ける人が最後は必ず勝つ。
「勝つことは明るく楽しい。笑顔が美しい。
負けることは暗く、苦しい。
ゆえに人生は断じて勝たねばならない。勝ちゆくための信心であり、仏法だ」
恩師の忘れ得ぬ御指導です。
広宣流布のため、師と共に戦わせていただきたい。
何としても、師に勝利を捧げたい。
私は、そう祈り抜いてきました。
この師弟不二の「心」で勝ちました。
そして今、尊き全同志が、健康で、長生きをされ、師弟勝利の人生を謳歌して歩み抜いていかれるよう、私は祈りに祈っております。
勝利の要諦第1に最高の祈り、
第2に最高の作戦と最高の行動である
私は若き日より、師弟相伝の「法華経の兵法」を生命に刻み、あらゆる激戦に挑んできました。
なかでも昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」は、誰もが「絶対に勝でない」と思っていた。
しかし、私は「断じて勝つ」と一念を定めていました。
勝利こそ、師から託された使命だからです。 戦いに臨む年頭、唱題に唱題を重ねる私の胸中に、鮮烈な思念が浮かびました。
「法華経とは将軍学なり」 御本尊と、師弟不二の信心に一切がかかっている。
いかなる時代、いかなる事態に遭遇しようと、妙法の指導者の資格は、「法華経の兵法」を将軍学とするかしないかにあるのだ──と。
私は関西の友に、勝利の要諦は第1に最高の祈り、第2に最高の作戦と最高の行動である、と語りました。
そして、この「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192頁)の御聖訓を拝して訴えたのです。
「どんな作戦、行動よりも法華経の兵法、つまり信心から出た作戦、行動を用いる以外にない。
それが最高の作戦であり、最高の行動となるということです。
右往左往する必要はありません」
戸田先生の元を離れて執る指揮です。
その状況のなかで、何をもって前進の原動力とすればいいのか──。
私は関西の同志とともに、毎朝、御書を拝し始めました。
この御書講義が、全軍の息吹となり、爆発的な「随喜の万波」となって、日本中を驚嘆させる関西の大勝利が成し遂げられていったのです。将軍学幸福・勝利をつかむ絶対無限のエネルギー! 法華経は、一切衆生の成仏を説き明かした最高の経典です。あらゆる境涯の衆生に、仏と同じ大生命が厳然と具わっていることを教え、その仏性を開く道を説いています。
法華経の会座には、それまで成仏はできないと言われていた女性たちも一堂に会しました。
さらに、さまざまな境涯の人たち、すなわち十界の衆生が喜々として連なりました。 この会座に集い来った人々が、″こんなことは、未だかつてなかった!″と歓喜踊躍するなかで、万人成仏の道が燦然と開かれていくのです。
いわば、法華経の会座自体が、それまでの常識を力強く打ち破る逆転のドラマとなっている。
あらゆる人々が、仏の偉大な人格にふれ、仏の深遠な教えを聞いて、生命の奥底から無限の力と可能性を湧き上がらせていく。
いわば、万波と広がる「人間革命」の大叙事詩──これが法華経なのです。
この法華経の兵法を「将軍学」とすることは、現実社会のまっただ中で、すべての人々の心を揺さぶり、自身の命からも、相手の命からも「仏性」、すなわち幸福・勝利をつかむ絶対無限のエネルギーを引き出していくことにほかなりません。
続く