今回いただいたメールです
「うちに来る患者さんの事です。
年輩の方です。
昔から時々来てくれます。
昨日また体がこったと来られました。
持病がありましたがすごく悪化したとの事、明後日に入院だそうです。
他にも辛い事があるそうで、聞くと気の毒で、一生懸命励ますと何だか喜んでくれました。
選挙入れてくれる人だけど、そんなじゃ頼めないなあと思っていたら、明日 何かの手続きで市役所に行くと言うので、それならと頼みました。
そうしたら、OKの上、自分は青年の頃、学会に入っていたと言われました。毎日闘争していたら、お父さんが大反対し、それで信心やめようと寺に返しに行ったけど受け取ってくれなかった。
しかたがないから自分で数珠やお経本やご本尊まで焼いてしまったそうです。
信心していた時は引っ込み思案な自分が積極的になれたと実感していたそうです。
ご本尊を焼いた後は全身にできものができてばちが当たったんだと思ったそうです。
で、宗教に興味があるから今までに何種類かの宗教をしてみたけれど、どれも良いとは思わなかったそうです。
近所に学会員さんがいて、時々信心を誘ってくれるらしいですが、今までは学会に入ろうとは思わなかったそうです。
でも、今は 病気やその他の苦しみでとても辛い様子です。
選挙をお願いしただけなのに、昔信心した事があるとうちあけてくれるとは、お題目、少しあげてみたいように心が揺れていたように見えました。
信心できて第2の人生を強く切り開いていけたらいいなと思いました。
やっぱり法戦はただの選挙活動じゃない、意味があると思いました。」
私は 法戦は きっかけ と思っています
疎遠になった友人 知人に声をかけ 近くの店で声をかけ お世話になったあの人に声をかけ 仏縁を結ぶ
あと 残り3日 お題目あげ 思い出し 最後の最後まで 諦めないでいこうと思います