2013年 11月 05日 ( 2 )

私は、昭和16年電機店を営んでいた家の長男として、東京・下町で生まれ、子供のころは、気が短く、すぐ怒るので、パンクと言うあだ名がついていました。
大学を卒業させたいという親心から、私立中学に入学しました。が、親の思いとは裏腹に、札付きの不良と世間から後ろ指を指されるようになり、あまりのひどさに、少しでもよくなればと、父の友人である牧師の元に預けられ、洗礼を受けました。
通学している学校は、真言宗豊山派、通う場所はキリスト教会、今思えば宗教との関わりは,このころからあったのです。
中学の頃から電機店を手伝いながら、学校に通ってましたが、親の期待をことごとく裏切り、20歳で大学を中退する羽目になりました。
若い頃は親のすねをかじり、外車を乗り回し、社交ダンスに夢中になっていました。
25歳の時、ダンスで知り合った女性と結婚。3人の子供に、恵まれました。
しかし、結婚当時うまく行っていた家業も、だんだんと景気が悪くなり、経費を使いすぎていた私は、素行が悪いこともあって、親子共々勘当されてしまいました。
その後は、人材派遣会社で働き、それなりの収入もあったのですが、上司の言葉に短気をおこし退社。
47歳で、イベント会社に転職し、20代の社員と一緒になって、働きました。
生活は相変わらずで、借金の返済で生活費が足りず、返しては借りるという状態で、借金は膨らむばかりでした。
その後、父がなくなり、今まで何も言わず耐えてきた妻からも、愛想をつかされ、別れるからねーって、又、子供たちにも見放され、私が家を出て行く羽目になりました。
出て行くといっても、家を借りるお金もなく、会社の倉庫で何ヶ月か、寝泊りする有様です。
その後、倉庫の近くのアパートを借り、気ままな1人暮らしになったものの、家に帰ると保温していたはずの、炊飯器の電気が消えている。あれっと思って電気のスイッチを入れたら、これがつかない。
電気代が払えず、止められていたのです。
電話、ガスが止まるのは、日常茶飯事。水道が、止められた時は、さすがにちょっとやばい と思いました。
悪いことは続くもので、当時83歳になる母が、がんで危篤状態になり、最悪の状態でした。
母の面倒は、弟が見ていましたが、折り合いが合わず、弟がいない時間を見計らって、見舞っていました。
入院費の援助もしてやれず、情けない自分でした。
私は、何も悪いことをした覚えがないのに、どうして自分だけが、こんな目にあうのかと思いながらも、寂しさを紛らわすため、向かう先は、行きつけの飲み屋でした。
いっときは、忘れることができるのですが、朝になって目が覚めれば、現実は変わるはずもなく、むなしい日々が続いていました。
一日も早く、こんな生活から抜け出したいと思っていた時に、行きつけのスナックで出会ったのが、ちょっと
変わった学会員。 今のうちの娘です。

つづく

※知り合った当時のちよの記事は11/4をお読みください。
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by tomotiyoo | 2013-11-05 23:14 | Comments(2)

男子部の日

男子部の日 おめでとうございます。
おととい、もと男子部のMちゃんから、電話があった。
「おー 飲みに行かない?」
「いいけど、まだ勤行してないんだ。うち来る?」
「俺はした。どこがいいかな?」
「今うちのおじさん(養父)買い物行ってるから、○○でまってて」
「了解」
店で
「あれ?おじさんは?」
「えー いつも飲み屋には来ないじゃない」
「呼べよ」
「うん わかった」
「おじちゃん Mちゃんが、来ればーって言ってるよ。おじちゃんの好きな、お肉もあるし」
「今行く」
父が来る
「なんだよ。2人で来るかと思ってたのに。何してたの」
「半額部行ってた(スーパーは、夜になると、ものによって半額になる)」
「そういえばさ。先生からいただいた、お数珠とふくさ 元旦那から、まだ預かったままなんだよね。」
「俺、もらってないぞ」
「何言ってるのよ。Mちゃんは、先生から、心をもらってるじゃない」
「おー それだけは誰にも負けない」

先生の事、大好きなMちゃん。
先生が言う1番になりなさいって、それだけは誰にも負けないってことなんだなーとつくづく思ったちよでした
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by tomotiyoo | 2013-11-05 08:25 | Comments(0)

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