入信前、人は死んだらどうなるのかと考えると、不安に駆られ、眠れなくなることがありましたが、今ではそのような不安は、まったくと言うぐらい、感じなくなりました。
4年前に、疲れがひどく、いくつかの病院で診てもらいましたが、原因は不明。
都立病院を紹介され、検査のために、10日ほど入院しました。
結果は、ALS 筋萎縮性側索硬化症という難病でした。
その病気は、神経が衰え、手足が利かなくなり、肺・心臓までの筋肉をだめにし、2、3年後には、車椅子。そして寝たきり。自力では、呼吸もできなくなり、人工呼吸器で生活をすると、医者から説明されました。
まだ、原因も、治療法も解明されておらず、薬で進行を遅らせる事しかできないと言うのです。
ちよにそのことを話すと、「「病によりて、道心はおこるなり。」でしょう。
難病でよかったじゃない。そうでなければ医者代が大変だよ。
医学で治らないなら、信心で治すしかないじゃない。」と言われました。
まったく不安がないと言えば嘘になりますが、この病気のおかげで、真剣にお題目が上げられると、心を新たにしました。
今までいやと言うほど、罰が出ましたが、「小罪なれども懺悔せざれば悪道を
まぬかれず、大逆なれども、懺悔すれば罪消えぬ」とあるように、もうそろそろ、ご本尊様も許してくれるんじゃないかと、自分では思っています。
入会して15年。信心でつかんだたくさんの思い出が、私の唯一の宝物です。
先日行った、「私と宇宙展」では、宇宙から見たら、私の病気なんて、ちっぽけなものだなと感じました。
宿命を、使命に変えられるこの信心。
法華経の真実を証明するため、実証を示していく事が、私の使命。
どんな病にも打ち勝つ、強い一念で、今こうしていられることに、感謝をし
仏法対話をしていくことを、誓います。
最後に、わが友に贈るの一節。
「自分自身の惰性を見抜け。前進また前進。獅子奮迅の心で挑め」 と
また新たに、初心にかえって、がんばります。

おわり

※最後まで、読んでいただいて、ありがとうございました。
 一時は、車椅子と、杖を使っていましたが、ある日、一人で買い物に行って、杖をスーパーに忘れてきちゃい ました。
 料理が好きな養父は、今でも、3食料理を作ってくれます。
 周りの人が、難病と言っても、信じてくれないので、身障者手帳を見せて、自分の病気と御本尊のすごさを  語っています。
病気のおかげで、縁遠くなっていた実の子供たちも、たまに顔を出してくれるようになりました。
 最後に、我が家の合言葉
 大悪をこれば大善きたる
 病気になっても、病人になるな
[PR]
by tomotiyoo | 2013-11-08 19:00 | Comments(8)

5000円の自転車を、月々1000円の月賦で買い、友人から車をもらい
バイクを譲り受け、人から面倒を見られていた自分が、面倒を見れるようになりました。
家の、電話も入り、中古品だらけだった我が家に、新品の仏壇も迎えられました。
友人からは、まるでわらしべ長者のようだねと言われ、少しでも、実証を示せたのかと、誇りに思います。
就職も決まり、年末には、支社長になりちよも、自分の部下となり、一生懸命働きました。
信心と仕事の両立。信心即生活。すべてに勝つことが、幸福につながっていく事を、改めて実感しました。
そのおかげで、仕事の関係で、沖縄・韓国・タイ・上海へもちよも同行で行く事ができました。
沖縄では、研修道場に足を運び、勤行もさせていただきました。
韓国では、板門店まで行き、北朝鮮に、30歩ほど、足を踏み入れました。
その頃地区では、10所帯の折伏と言う目標に、あと、1歩というところで、足踏み状態になり、10時間唱題・12時間唱題をする中、12月5日
最後の1所帯を決めることができました。
その方は、今はしらゆり長、息子さんは創価班として活躍しておられます。
翌年には、プレス屋の社長Tさんが入会。
Tさんは、私が倉庫番をしている頃、電気が止まるといっては、お金を貸してくれた人です。
お金を借りに行かなくて済みようになった私を、見ていたようです。
いつかは、クラウンと言っていた私が、クラウンに乗って、会いに行く姿に
何か感じるところがあったようです。
不景気で、経営が大変だとこぼしていたTさん。
この信心で乗り越えています。
その後も、行きつけの店で、キーボードを、弾いていたKちゃん そこのお客さんの、Mちゃん Yさんと、毎年折伏が実りました。
今でも、貧乏は、変わりませんが、御書に蔵の財より身の財 身の財より心の財第一なりとあるように、心に余裕ができました。
今まで、ちよには、散々うるさいことを言われ、その度に、「もう信心なんかやめてやる」 と、短気を起こしていた私ですが、その都度、当時の地区部長
支部長・本部長が、我が家を訪ねてくれました。
貧乏が、いつまで続くのかと、自信をなくしたこともあります。
仏法は道理です。
理にかなわぬ者が、よくなるわけがありません。
不幸の原因は、間違った宗教にあると言うことを、いやと言うほど、知らされました。
実は、私は、結婚する前、一度ご本尊様を、受けた事があるのです。
動機はいたって不純でした。電化製品を売りたいが為、神札をもらうかのような軽い気持ちで、受けたのです。
受くるはやすく、たもつはかたしのご金言どおり、あろうことか、ご本尊様をどこかになくしてしまったのです。
自分は何も悪いことをした覚えがないと思っていたことが、そもそも大間違い。
子供のころから、謗法のオンパレード、道楽のし放題。
家庭も顧みず、自分勝手に生きてきたことを、心から反省しています。
つづく

※信心なんかやめてやる事件は、3回ありました。
 私も、父に負けないくらい短気だったので、やめちまえと、3回言った記憶があります。
その都度、壮年部に連絡を取り、家庭訪問のお願いをし、お題目を送りました。
今は、やめろと言ったって、やめない養父になりました。
[PR]
by tomotiyoo | 2013-11-08 00:05 | Comments(11)