2013年 11月 19日 ( 1 )

おもてなしは、無かった

17日の小グループは、途中で終わった。
なぜなら、ご近所さんが、特装御本尊様を頂き、その入仏式に参加するため、皆で、そのお
宅に、場所を移したからだ。
その日、4回目の勤行。
そして、コーヒーと、お菓子をいただいた。
よって、うちでは、お茶もおせんべも出さずに、こちらでおもてなしを受けた。
勉強も、中途半端だったので、ここでおさらい。
生死一大事血脈抄だ。(御書全集p1338)

あいかまえ あいかまえて
先ず粗弘め候なり、相構え相構えて
ごうじょうの だいしんりきをいたして なむみょうほうれんげきょう
強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・
りんじゅうしょうねんと きねんしたまえ しょうじいちだいじの
臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の
けつみゃく これよりほかに まったく もとむることなかれ
血脈此れより外に全く求むることなかれ、
ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはんとは これなり
煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、
しんじんの けつみゃくなくんば ほけきょうを たもつとも
信心の血脈なくんば法華経を持つとも
むやくなり 
無益なり

「生死一大事血脈抄」の池田会長講義より(省略しますので、本をお読みください)
p107 
「血脈(けちみゃく)とは形式でもなければ、抽象的なものでもないのであります。
南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念する衆生の信心こそ血脈があるとの仰せであります。
確かに「法」が一切の根本ではあります。しかしそれだけでは、価値を生じない。
法を体得し、法の真理を自らのものとする人がなけらばならない。
「生命」のみが「生命」を触発する。生命と生命との対決、人間と人間との打ち合いのなかに、仏法の血脈は流れるのであります。」
※当時は、けつみゃくをけちみゃくと読んでいました。

「臨終只今」の「臨終」とは
法華経の智慧 第四巻p381から(省略しますので、本をお読みください)
「戸田先生は、仏様の臨終だよ。仏様に今、お別れしなければならないのだと思って、信心することだよ」
この言葉を漫然と聞いていた人は、戸田先生が亡くなったあと、先生がおられるうちに、ああすればよかった、もっと戦って喜んでいただきたかったと後悔したのです。
師匠に見守ってもらって戦えるなんて幸せなことなんです。それがわからない弟子は失格です。師匠が生きているうちに、そう気づいて頑張るのが「本心を失っていない子ども」に当たる。気づかないのが、「毒気深入」で本心を失った子どもです。」


10時間唱題会の終わりに、皆で夜の勤行をした。
本日5回目の勤行である。
我が支部は、5つの地区で、構成されている。
全部で、90名ほどの方が参加されたという。
この会館は、私たちは、普段は使わない。
今度、訪れて、お題目を上げる日がいつになるのかと考えたら、名残惜しくて、涙が出た。
同志と共にお題目を上げられる事そして今、先生と戦える、身の福運に感謝し、今日より前進してまいります。
[PR]
by tomotiyoo | 2013-11-19 00:00 | Comments(11)

ちよが、本音で語るブログです


by ちよ