2013年 12月 22日 ( 1 )

12/22 「統監部の日」

1952年12月22日
飛躍的な会員の増加に対応するため、戸田先生の構想のもと、新体制の強化が図られ、統監部が設置されました。

人間革命 第6巻 離陸には、
「翌22日には、全国構想に備えて、新たに地方統監部が設置された。
初代地方統監部長には、原山幸一が任命された。
それにともない、原山がこれまで勤めてきた文京支部長の後任に、田岡治子が就任した。
清原かつについで、女性二番目の支部長である。
飛躍的な会員の増加に対応した組織、体制の強化は、こうして堅実に図られていった。そして、12月24日、この年最後の本部幹部会が開かれた。」
と書かれています。
そういえばうちの母が、B長だったこともあったなあ。

この年は、笠原事件の決着をみた年で、神本仏迹論をめぐる事件で、池田先生と寺側との会話が書かれているので、ここもぜひ読んでいない人は、読んでいただきたいと思います。(P278)

統監と言えば、M子の本尊お取替えの時も、統監があるかないかで、すったもんだしました。
私は、個人的に、統監というものは、学会の戸籍や、住民票のようなものと思っています。
統監に名前があるということは、学会家族の証であって、今は、お休みをしていようと、必ずその人でなければならない使命があるわけで、全幹部が、その一人にために全力で、激励していく必要があると思っています。
先日、M子のしらゆり長さんから、お電話をいただきまして、M子の本尊取替えがあったからこそ、今彼女は地区の中で、とってもいい存在になっているとお褒めの言葉をいただきました。
今年最後の座談会では、しらゆり長さんと、M子、感極まって、号泣したと言う話がありました。
その地区でも、まだ、日顕本尊を持っている人がいるようで、なかなか家に上げてもらえず、個人指導ができないと、言っていました。
どんどんM子と一緒に、家庭訪問に行ってくださいと、お願いしました。
M子の成長ぶりは、私にとっても予想外でした。
酔っては、うちに電話をしてきて、学会の悪口を言っていたんです。
短気な私は、会えば、いつも喧嘩。
そんな事が、何年続いたでしょう。
伝統の2月、若い人を折伏をしたいと思って、一番に、思いついたのが、M子の息子さんでした。
それが、本尊お取替えの、最初のきっかけです。
まずは新聞を贈呈し、読まないといっていたので、マンガだけでも読んで頂戴とお願いし、それが、自分で購読するようになって、新聞の感想を携帯で話してくるようになりました。
その年の10月、お取替えをして、今年の10月で1年経ちました。
選挙は、人には頼まない、会合も、家の事がおろそかになるようなら出ない。そんな事を言ってました。
今では、まるで別人です。
「昔の私は、嫌なことからずっと逃げてきた。
今は、なんでも挑戦しようと思っている」と。
茨城の、同志に感謝しつつ、もうそろそろ、M子の広宣流布は、M子に任せようと思っています。
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by tomotiyoo | 2013-12-22 00:00 | Comments(31)