2014年 01月 02日 ( 2 )

楽しそう

楽しそうだから、こっちくるー?
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by tomotiyoo | 2014-01-02 21:31 | Comments(48)

先生 お誕生日おめでとうございます

昔は、毎年、先生の誕生日は、本部へ行ってました。
暮れに、誕生日プレゼントを選ぶのが、楽しみになっていました。
からくり時計は、札幌創価幼稚園に飾って頂けるとのご伝言に、いつか行こうと思いながら、そのままになっている事を思い出しました。
早く、経済革命をして、どこにでも、好きな時に行ける様になりたいです。

では昨日の続きです。 

本文

そもそも じごくとほとけとは いずれのところにそうろうぞと・
抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞと

たずねそうらえば あるいは ちのしたともうす きょうもんもあり あるいは・
たづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は

せいほうとうともうす きょうもそうろう しかれども いさいにたずね・
西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね

そうらえば われらが ごしゃくのみのうちに そうろうとみえてそうろう・
候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、

さもや おぼえそうろうことは われらが こころのうちに ちちをあなずり・
さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり

ははを おろかにすることは じごく そのひとの こころのうちにそうろう・
母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候、

たとえば はすのたねのなかに はなと かとの みゆるがごとし・
譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし


現代語訳

さて、地獄と仏とは、どこに存在するのかと捜し求めてみると、あるいは、地の下にあるという経文もあり、あるいは、仏は、西方等にいらっしゃるという経もある。
しかし、さらに徹して探求してみると、私たちの五尺(151.5センチメートル)の身の内に存在すると説き示されている。
確かにそうかもしれないと思われることは、私たちが、自らの心の中を見た時に父を侮り、母をおろそかにしていることは、地獄がその人の中にあるということだ。
たとえば、蓮のたねの中に、花と みが具わっているようなものだ。

講義

凡夫の眼から見て、1番かけ離れた地獄と仏は、実は全部、一つの心に具わっている。
大聖人は明解に、地獄も仏も、我等が、心の内にあると仰せである。
我等とあるように、大聖人ご自身をはじめ、全ての人の生命に厳然と具わっている。そこに、なんの区別も差別もない。
この十界互具の法理のうち、地獄界が己の心に具わる例として、父を侮り、母をおろそかにする人の心にこそ、地獄があると仰せです。生命の因果の法則は峻厳だ。

本文
ほとけともうすことも われらのこころのうちに おわします たとえば・
仏と申す事も我等の心の内にをはします・譬へば

いしのなかに ひ あり たまのなかに たからのあるがごとし われら・
石の中に火あり珠の中に財のあるがごとし、我等

ぼんぷは まつげのちかきと こくうのとおきとは み そうろうことなし・
凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、

われらが こころのうちに ほとけは おわしましけるを・ 
我等が心の内に仏はをはしましけるを

しりそうらわざりけるぞ ただし うたがいあることは われらは ふぼの・
知り候はざりけるぞ、ただし疑ある事は我等は父母の

せいけつ へんじて ひととなりてそうらえば さんどくの こんぽん・
精血変じて人となりて候へば三毒の根本

いんよくの みなもとなり いかでか ほとけは・ 
婬欲の源なり、いかでか仏は

わたらせたもうべきと うたがいそうらえども また うちかえし・
わたらせ給うべきと疑い候へども・又うちかへし・

うちかえし あんじそうらえば そのゆわれもや と おぼえそうろう・ 
うちかへし案じ候へば其のゆわれもやとをぼへ候、


現代語訳

仏というも私たちの心の中にある。たとえば冷たい石も打てば、火を放つ。
まつげが近すぎて見えず、虚空があまりにも遠すぎて見えない。
我等が、心の中に仏界があるという真実が、多くの人には信じられない。
私たち、凡夫の汚れた肉体、心の中に、仏がおられるのを知らないでいたのです。
ただし、疑問に思うことがある。
私達は父母の精子と卵子が変じて人間となったのであるから三毒の根本の、色欲の根本だ。凡夫の身にどうして、貴き仏がおられることかと疑うが、繰り返し、繰り返し、重大な課題を考えてみると、その道理もなるほど思える。

本文
はすは きよきもの どろよりいでたり せんだんは こうばしきもの・
蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物

だいちより おいたり さくらは おもしろきもの きのなかより・
大地よりをいたり、さくらはをもしろき物・木の中より

さきいず ようきひは みめよきもの げじょのはらより・
さきいづ、やうきひは見めよきもの下女のはらより

むまれたり つきはやまよりいでて やまをてらす・
むまれたり、月は山よりいでて山をてらす、

わざわいはくちよりいでて みをやぶる さいわいは こころより・
わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心より

いでてわれをかざる・
いでて我をかざる。

現代語訳

蓮は清らかなものですが、泥の中から生まれ出る。
栴檀は、香りのいいものですが、大地から、生ずる。
桜の花は、趣のあるものだが、木の中から咲き出でる。
楊貴妃はきれいですが、身分の低い女性の腹から生まれている。月は山の端から出て、山を照らす。禍は口から出て身を破る。幸いは心から出て、自分を飾るのです。


講義

蓮は、何千年も泥に埋もれていても時を得て芽生えつぼみをつける。
桜の木も厳冬の寒さを乗り越えて、爛漫と花開く。
どのように厳しい状況にあっても、必ず必ず幸福の花が咲き出て、自身を飾っていける。
もともと具わっている可能性が現れ、開花する、ダイナミックに働き始める。
私たちが感ずる人生の不幸や幸福の原因は、心の外にあるのではなく、どこまでも、われらの心の内にある。

つづく

※ ちよより
わざわいは、口より出でて、身をやぶる
昨年は、九思一言(くしいちごん)という中国の孔子の言葉を、勉強させていただきました。
九思とは君子が心がけなくてはならない九つの事柄で明・聡・温・恭・忠・敬・問・難・義の事。
この九つの思いを重ねたうえで、一言を言い出すとの意味。
視は明を思い、聴は聡を思い、色は温を思い、貌は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑は問を思い、忿は難を思い、得を見ては義を思う。
他人に、何かを述べる場合にも、どう話したらよいか、それが話してよいものかどうか、9回考え直してから述べたと言う。そのくらい、言葉、振る舞いというのは大事なのだ。と
口から生まれてきたような、私。
おいおい と思う時は、どうか、優しく教えてくださいね。
今年もよろしくお願いします
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by tomotiyoo | 2014-01-02 00:00 | Comments(58)