2014年 02月 08日 ( 3 )

対話 2

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by tomotiyoo | 2014-02-08 18:51 | Comments(16)

実父 1

私は、父が50歳の時の子供。
自分の年で考えると、もし私に子供がいたとしたら、3・4歳ということになるだろう。
男性と、女性。時代の差。
そんな事も、加味しながら考えても、かわいくて仕方がなかったと思う。
母が、入院していた、産院には、毎日裏口から、見舞いに来ていたという。
父には、母の連れ子の、私の姉がいた。
姉いわく、とてもかわいがってもらっていたようだ。
欲しいものがあれば、寝転がれば、買ってくれる、眠くなれば、おんぶしてくれる、そんな優しい父だったようだ。
いつの頃からだろう?
父は、聴覚に障害があったようだ。
今考えれば・・・である。
気性の荒い母は(私は母似です)父の事をつ○ぼと呼び、私もそんな言葉を、浴びせていた。
私は父が嫌いだった。
きっと、いい人だったからだと思う。
そんな事を思い出させてくれたのは、うるとらまんさんのブログで紹介されている話を読んでからである。
http://kukurucafe.ti-da.net/e5895526.html
筆談という話だ。

父は、80歳を超えて、食道がんになった。
父には告知せず、医者も、もう手術はできないという。
本人も、手術だけが嫌だったようで、しないで済んだことに、喜んでいた。
おかしいなと思ったのは、父の日だった。
お互いの両親と一緒にすし屋に行って、もずく酢を食べたら、むせてしまって、大騒ぎをした。
その後も、たまに、のどに食べ物を詰まらせてしまう事があった。
私は、冗談で、「食道がんかもよ。
でもおじいさんの場合(私はおじいさんと呼んでいた)気がつかないまま、死んじゃうんじゃない」なんて家族と能天気な話をしていた。
町医者には、十二指腸潰瘍で長いことかかっていたし、あまり心配をしていなかった。
それが、夏が終わる頃、ふらつくようになる。
町医者でも、貧血と言われるようになった。
やっぱ、きちんと、もう少し大きな病院に行ったほうがいいかも、という話になり、私が、病院へ一緒について行くことになった。
症状を話しただけで、食道がんの、疑いがありますね。(父は、一応補聴器をつけてはいますが、父にはぜんぜん聞こえない)
とりあえず、胃カメラを、飲んでもらいましょう。
しかし胃カメラが入らない。
医者が言うには、父ののどは、「ご飯粒が、縦にひと粒入るぐらいしか、空いてないでしょう」と。
えー。だって毎日ちゃんとご飯食べてるよー。(私の心の声)
そんなわけで、即入院ということになった。
ちょっと待てよ。連休に温泉に行くため、もう宿も取ってある。
温泉に行ってからでは、いけませんか?ということで、入院を延ばしてもらった。(どこまで、能天気なのだろう)
姉の家族と、7人、もしかしたら、最後になるかもしれない、温泉旅行を楽しんだ。
父は、料理も、全て食べ、好きなお酒も、好きなだけ飲んだ。
そして入院。
その病院は、当時、放射線治療がなく、青○の○恵医大へ、通うこととなる。
地区の人や友人が、車を出してくれた。
元旦那さんも、極力仕事の合間に、送り迎えをしてくれた。
入院していた、看護婦さんには、○○さんは、朝になるとニコニコして、着替えて、さっさと出かけちゃうのよねーと言われる。
我が家へ、勤行をしに帰れるからだ。確か当時は五座だったような・・・
父は、病気に関しては、完全に無知な人。
自分の平熱さえ知らない。
果たして、自分の病気のことを、どこまでわかっていたのだろうか?
今でも、謎である。
入院中、耳の遠い父に、孫が、1冊のノートをくれた。
所謂、筆談ノートである。
看護婦さん(今は、看護師さんと言うのでしょうね)なども書いてくれるので、家族にとっては、とっても重宝した。
ある日の看護婦さん。
「○○さん、お経は、夜中はあげないでくださいね」
きっと、寝言で、お題目を唱えていたのでしょう。
家でも、そういう人でした。
とても素晴らしい父だったと、今では誇りに思います。

※ 母の名誉のために言いますが、今は、すっかり人間革命しました。
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by tomotiyoo | 2014-02-08 00:01 | Comments(8)

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by tomotiyoo | 2014-02-08 00:00 | Comments(107)