2014年 03月 15日 ( 1 )

三障四魔

三障四魔とは、正法を信じ行ずるときに、これを阻もうとして起こる三つの障りと四つの魔のこと。
摩訶止観の第五巻には“修行が進み、仏法の理解が深まってくると、三障四魔が紛らわしく入り乱れて競い起こってくる”と述べられている。

三障の「障」とは、障り、妨げということで、信心修行の実践を、その途上に立ちはだかって妨げる働きをいい、煩悩障、業障、報障の三つ。

煩悩障とは、貪り(むさぼり)、瞋り(いかり)、癡(おろか)などの自身の煩悩が信心修行の妨げとなる。
業障とは、悪業(五逆罪や十悪業などが挙げられる)によって生じ、妻や夫、子供などによる妨げ。
報障とは、過去世の悪業の報いとして三悪道(地獄・餓鬼・畜生)等によって起こる障りとなる。国主や父母、社会的な権力者などによる障礙。

次に四魔の「魔」とは、能奪命者、殺者、破壊などと訳されるように、信心修行者の生命の内側から、生命の輝きを奪う働きをいい、陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔の四つの魔。

陰魔とは、信心修行者の五陰(肉体や心の働き)の活動の不調和が信心修行の妨げとなること。
煩悩魔とは貪り、瞋り、癡などの煩悩が起こって信心を破壊する。
死魔とは、修行者の生命を断つことによって修行を妨げようとする魔。
また、他の修行者等の死によって信心に疑いを生ずることも死魔に負けた姿といえる。
天子魔とは、他化自在天子魔の略で、他化自在天王(第六天の魔王)による働き。
この魔は、生命の根本的な迷いから起こるものであり、権力者等の身に入るなど、いろいろな形をとり、あらゆる力をもって修行者に迫害を加える。
以上のように、私たちの仏道修行の途上においては、さまざまな障害や苦難が競い起こる。

では、3月度座談会で、勉強した、宗長にとっての三障四魔とは、何なのか?
兄が、勘当されれば池上家の地位や財産は、弟の、宗長が継ぐ事になる。
貪りでしょうか?
そして親が、極楽寺良寛に相談し兄弟の信心を反対する。
報障でしょうか?
兄弟抄には、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」とあるように、弟の宗長に、三障四魔は優しく呼びかけるのです。
魔は、分断を好みます。
兄弟が団結する事を、阻もうとするのです。

今朝の私はと言うと、陰魔というかたちで、私の体に入り、一日ぐらい休んだってしょうがないよ、バカボンパパに頼めばいいじゃない、そんなかたちで、第六天の魔王になり、私の心に呼びかけたのです。がんばるのと、無理をするのは違う、でも今朝のはがんばれたかも知れません。これは自分自身でしか分かりませんから。

以前、私が退転してしまった時、会社の社長などからの悪口がありましたが、何も信心をやめなければ、会社を首になるという事ではなく、その事で、鬱というかたちで陰魔がおこり、勤行唱題ができなくなったことにより、退転してしまったのです。

191の御書に、魔と言う言葉が出てきます
「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」
そして、魔は天界にすむ とも言われています。
今、考えてみると、私の場合、欲しいものが手に入り、喜んでいる心の隙に、惰性からくる魔というものに、すっかりやられてしまったのかもしれません。
ではどうすれば、この魔を打ち破ることができましょう?
お題目しかないと私は思っています。
欝はある意味何をする気もなくさせる、紛れもなく魔の姿だと思います。
魔は先ほども行ったように、能奪命者、殺者、破壊などと訳されるように、信心修行者の生命の内側から、生命の輝きを奪う働きです。
お題目さえあげられなくなってしまうのです。
では、なぜ私は、その状況から、脱出することができたのか?
それは、折伏以外の何ものでもないと思います。
少し、状態のいいときに、私は、バカボンパパを折伏しました。
そして、そのバカボンパパによって、助けられるのです。
私の、鬱は、家族も受け入れられなかったと思います。
それだけ、一般的に言われていた、鬱になりやすい傾向性の人と、私はかけ離れてみえたからです。
本来なら、旦那さんと共に、乗り越えることだったのでしょうが、共倒れを恐れて、私は、バカボンパパのところに逃げて、また、旦那さんも私を預けるという形になったのです。
バカボンパパは、私の分まで、勤行唱題してくれました。

御書には「此の娑婆世界は耳根得道の国なり以前に申す如く当知身土と云云、一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂を明が故に是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり、」とあります。
耳根得道(にこんとくどう)とは、妙法蓮華経の声を聞くことによって、成仏得道(成道)すること。「耳根」とは、眼、耳、鼻、舌、身の五根のひとつで、声や音を感受する器官およびその能力のことを言います。
もし、どうしても、どうしても、お題目が上がらない状況にあるときは、是非、誰かにお願いしましょう。
必ず、あなたの周りにそういう人がいるはずです。
また、お題目があげられなくて、悩んでいる人がいたら、一緒に唱題してあげましょう。
三障四魔に負けず、自由自在の人生を、共々に、歩んでいきましょう。
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by tomotiyoo | 2014-03-15 20:43 | Comments(20)