2014年 03月 17日 ( 1 )

なかなか折伏実らず

負け惜しみに聞こえるかも?ですが、入決と言うのは、あまり好きではありません。
もう、何年も前の事ですが、仏壇の横に、入決カードが、ずらり。
その中には、Оさんのもありました。
引越しの際、全て処分しましたが、折伏は今も、続行中です。
人は目に見えないものを、報告することが難しいので、どうしても、数や目に見える形で、報告します。
人間革命にも、確か、折伏から帰ってきた時、池田先生以外は、みな、結果だけを聞く為に、待っていたというような話があったと記憶してます。
どんな小さいことでも、嬉しいと人に話したくなります。
折伏って、本来は、そういうものなのではないでしょうか?
心が変わった。嬉しい。誰かに話したい。
お題目あげると、こんなに心がイキイキするよ。って。

心が汚れると、人の喜びを、わが喜びに感じられなくなります。
ふーん。そうなんだ。私だって、ちょっとがんばれば、そのぐらいできるわよ。なーんて。これ嫉妬ですね。
怖いです。
以前の私は、こういう心に支配されていました。

離婚して、ここに引っ越してきた時、半分世捨て人のような自分になっていました。
もう、勤行と、座談会だけでいいかな?って思っていました。
もう一度、折伏に挑戦できるなどという事は、考えもしませんでした。
着物も、全て処分し、本や服などもたくさん処分し、下手をしたら、先生から戴いたものも、誤って処分してしまうところでした。

近いうち、姉夫婦が引越しをするそうです。
子供、孫と、同居することになったと。
「池田大作全集いる?」と電話がありました。
うちにあるのは、たったの3冊 18 随筆 36・37の日記
久々に、随筆を、開きました。
2001.5.3 佛教西還の押印が。
この頃は、まだ顔晴っていたんだと、ちょっと安心。

「現代の傲慢
   人間━この不思議なもの
深刻ぶって批判はしても、そういうご当人の顔の非常さには、さっぱり気がつかない。
私は、生まれて40年。わが身が疎外されているとか、人の身が不在であるとか、そんな呑気なことを思ったことは一度もない。
ただ、その実在の、さまざまな様相について、いささか目を凝らしつづけ、現在の人々の一人一人の宿命の転換から、人間の宿命の転換を可能にすることによって、切迫しつつある地球上の悲惨を、なんとしても叩きつぶそうと祈りつつ、懸命に努力しているつもりである。
ともあれ、現代人は、傲慢さを捨て「生命」「人間」に関する探求に、謙虚でなければなるまい。」
(昭和44年1月「PHP」掲載)より抜粋。

私がかつて、ダメになったのは、この「傲慢」なのだろう。
以前、友人が、私に言ってくれた言葉。
「ご自分の娑婆世界での振舞いにご自信がおありなのでしょう。
しかし、それを人に押し付けるのは間違いです。」
思ったことを、率直に言ってくれる友人って、ありがたいですね。
最近、喧嘩していませんが・・・

 「わたしがなりたい自分は、謙虚で感謝できる自分であることだ。――
 自分が偉いのではない。支えてくれている人々が偉いのである。謙虚に感謝し、尊敬しなければならない。傲慢になり、独りよがりになった人間は、必ず堕落してしまうものだ。 池田大作」

このような記事も載せてくれましたね。

感謝をしつつ、折伏がんばるよー。
 
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by tomotiyoo | 2014-03-17 17:10 | Comments(36)