2014年 03月 21日 ( 1 )

私の話は、記憶があやふやで、前後して、同じ事を何回も言うようなので、その辺は大目に見て欲しい。(笑)

たしか何で、夜のバイトをすることになったのか?
そんな事を、書こうとしていたような・・・

私は嘘が嫌いだ。
散々嘘をついておいて、そんな事を言うのは、おかしいことだが、自分が嘘を言うせいか、人の嘘を見破る。
特に、旦那さんは、鼻が広がる。
すぐばれる。
だが、ばれないこともある。
それは、お互い嘘だと思っていない嘘である。
実父が亡くなった時、旦那さんの会社の社長に、挨拶するため2人で行った。
その時の話である。
お父さんとY君が(旦那さん)うちの会社に初めてきた時、礼儀正しい息子さんだと思ってたんですよ と
えっ お父さんと 何それ?(心の叫び)
帰ってから問いただした。
職安(今のハローワーク)から行ったんじゃないの?
お父さんからの、紹介なの?
言ってなかったっけ?
聞いてないよ。いつも、ご本尊様のお陰、功徳って言ってたジャン。
ここでは、ハイヒールキックは出なかったと思うけど、何であんなに怒ったのかな?
私も好きにする。そんなわけで、おこづかいが稼げて、ただ酒飲める夜の世界へ。
夜のバイトは、結構好きで、その後飲みに行くのが楽しみになった。
元々おおらかな性格の旦那さん。
私がいなくて、ゆっくり眠れるほうが、良かったのかもしれませんね。
私、飲むと寝なかったんですよ。
飲めば飲むほど、目が冴える。
旦那さんは、眠くなる、
そんなこんなで、衝突もしばしば。
しまいには、俺を殺す気かと怒られた。
このせりふ、どこかで聞いたことがある。
そうだ。義父も言っていた。
がんで、闘病中。
良くなったら、温泉にでも行こうよ。
その返事だった。
殺す気なんかないよ。
まあいいや。

そういえば、飲んだ、次の日救急車呼んだこともあった。
心臓がドキドキして、どうしょうもない。
行きつけの、お好み焼きやさんの夫婦に電話して、家に来てもらった。
まだ、アパートに住んでいる頃だ。
私が、苦しんでいるのに、枕元で、夫婦喧嘩が始まった。
もう、どうしょうもない。救急車を、呼んでもらおう。
そして、病院での、診断。急性アルコール中毒。
皆が首をかしげる。急性?慢性なら分かるけど・・・
うわさを聞きつけ、地区の人たちが、見舞いに行ったという。
○○さんが、救急車で運ばれたそうですが・・・
いえ、その様な方は、いません。
そうなんです。
私達、結婚式を挙げながら、籍を入れてなかったんです。
ちょうど丸1年。
こういう事があると、不便だねって事で、籍を入れました。
結婚式が、3月26日。
旦那さんの誕生日。
そして、籍を入れた日も一緒。
やっぱ、私達って、変わってる?

酔っ払いの私は、最悪だ。
おんぶと言って、しゃがめば、ハイヒールキックが飛ぶ。
どこにいても、迎えに行かなくてはならない。
なぜそこまでするのかと聞いたら、他の人には、迷惑かけられないんだって。
旦那さんのかわいそうな話をしたら、一晩あっても書ききれないので、この位にしておこう

引越しの時も、何もできなくなって、親猫の、ミミちゃんを運ぶだけで、皆に偉いと言われた。
私は、今思うと、本当に恵まれていた。
いつも、誰かが助けてくれていた。

バカボンパパも、入会後、近くに引越ししている。
そこは、オートロックだった。
私は、未だに鍵が嫌いだ。
すぐ無くす。実際に無くなったのではなく、ポケットや、バックからあとで、出てくる。
よく、自宅で、鍵をかけられて、家に入れないことがあった。
そんな時は、バカボンパパのところへ行く。
バカボンパパも、他で迷惑をかけるのなら、うちにおいておいた方がいいと考えていたようだ。
完全な酒乱である。
でも、いつもこうとは限らない。
かわいらしくしている時があるから困るのだ。
いつか治るだろうと・・・
まあ 治りましたけどね(笑)

いつしか、バカボンパパと私のことが、組織内で、問題になっていたようだ。
それでも、何人かの人は、私の実態を知っていた。
その中で、組織編成の話があった。
旦那さんに、希望を言えるとしたら、どうするか、聞いた。
どこでもいいと。
私も、どこでもよかった。
しかし、まだ育て上げていない、新入会者と、離れ離れになるのは、ちょっと不安だった。
もちろん、バカボンパパとも、本部さえも変わる。
私は、元々、派遣には反対だった。
1年しっかり育てて、1年経ったら、地元へ帰る。その方がいいと思っていた。
しかし、とも、ちよコンビ。
最強になっていた。
それは、バカボンパパの事、手放したくないのが、人情と言うものだ。
しかし、今回は、非情なまでの、編成だ。
その前に、この会場をどうするかと言う、話し合いになった。
区幹部、本部幹部、支部幹部に私達夫婦は、囲まれた。
そこで、私は、とんでもない目にあう。
それでも、壮年本部長は、私をかばってくれた。
自分の叔母も、鬱だから、よく分かると。
この方、いつも、バカボンパパが、私のことで困ると、相談にのってくれた人だ。
やはり、話をしなければ分からない。
バカボンパパが、そういう努力をしてくれていたことが嬉しかった。
一方、本当の家族は、受け入れられなかったのか・・・
最近になって、友人から、旦那さんは、私の病から逃げていたと、言っていてと聞いた。
そのことがあって、私は、初めて、旦那さんが離婚を考えていることを知った。
今まで、お金の管理だけは、やっていたので(銀行は、ほとんど、バカボンパパが行ってくれた。)通帳類を全部渡し、支払明細を作って渡した。
離婚について話し合ったことは1度もない。
そして、私達家族は、希望地区と言う所になった。
希望もないのに、希望地区?とつぶやいたら、茨城なまりの、壮年が、ちよちゃん、希望がなければ、創るんだよと言った。
ピンとこなかった。
でも、その方、何年か前に、息子さんを亡くしている。
その後聞いた話だが、同志の方が釣りに誘ってくれて、舟で海に出た。
ここなら、誰もいないから、大きな声で泣きなさいって言ってくれたって。
同志って、いいもんだね。
私も、随分、泣きわめいた。
海でも行って、自然の中で、過ごせばよかったのかもしれない。
結局、少しの間は、新しい地区でがんばれたのだが、また調子が悪く、カードだけ、バカボンパパのところへ、送ってもらうことにする。
それでも、仕事だけは、かろうじてできており、人の少ない深夜 
スーパーで、週3.4日働いた。
働けることに、喜びを覚えた。
超ぶきっちょの私。
カッターさえ使ったことがない。
でも、楽しかった。
工夫次第で、早く楽にできるようになり、他の人の仕事も、手伝えるようになった。
先生は、はたらくは、はたがらくになる と言っていたような・・・
これでも私、結構重宝された。

一方、バカボンパパは、体の不調を訴えるようになる。
これが、例のALSだ。
1週間の検査入院。
私もこの頃は、少したくましくなっていた。
車で送ってもらわなければ、行けなかった仕事に、歩いていけるようになる。
たまには自転車にも乗れるようになった。
そして1週間、一人で、留守番ができた。
うれしかったのは、その地区で、派遣の人と仲良くなった事だ。
私達の、奇妙な関係にも、そうか?旦那さん祈ってくれなかったんだね
一人で、がんばってきたんだねと、理解をしてくれた。
その壮年が
http://tomotiyoo.exblog.jp/21553874/
この記事の人だ。
なんだかんだ言っても、私は、恵まれている。
必ず、諸天になってくれる人がいる。
この感謝だけを忘れなければ、もう少し、いい人生が歩めたのではないかと思う。

御書に三三蔵祈雨事P1468
「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ、」と
必ず、周りに、いい同志がいますよ。
諦めずに、探してくださいね。
1人では、乗り越えるの大変です。
究極の選択。
時間をかけても、1人で、がんばる。
早く抜け出して、すっきりがんばる。
私は、後者でよかった。
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by tomotiyoo | 2014-03-21 14:42 | Comments(18)

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