2014年 03月 23日 ( 2 )

対話

どうぞ
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by tomotiyoo | 2014-03-23 23:14 | Comments(70)

仏教用語にないこんな言葉を書くとお叱りを受けるかもしれませんが、我が家では、良くこの言葉を使います。
先生は、かつて、何かの本で、罰即利益と言っていて、同じことだよねと、喜んだ記憶があります。
罰とは、ある定めに従わない行為が、みなされた際に、その行為をなしたものに対して、苦しみを与える事。
法律の場合は、刑罰。
宗教上の場合は、仏罰。
道徳的な場合は、私罰。

過去の業だとかなんだかんだ言ったって、現世にどんだけ悪いことをしてきたんだよ と自分に、問いただした。
ご本尊が、罰を与えるわけがない。
わが身から出た汚い心が、わが身から病として出ただけではないのか。
そう、思えたとき、自分自身が変わる以外にないことに気がついた。
誰のせいでもなく、全ての、現象は自分自身なのだから。

罰に対する御書は
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功徳
優れた善行の徳
功徳に関する御書は
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仏法では、煩悩即菩提
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地獄即寂光
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九界即仏界
御書p256
「一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず、」

学会では、信心即生活
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など、いろいろなところで、即と言う言葉が使われている。

①二物相合(にもつそうごう)の即
例 清浄の蓮華と、汚れた泥土との関係
②背面相翻の即
現実の相(すがた)は二つでも、その本体は一つであること
例 人の背中と正面は別の姿であるが、本体は一つ
③当体全是(とうたいぜんぜ)の即   
対立するように見える二つの矛盾する性質が、それ自体において同一個の当体に全て具わる事
例 九界と仏界

子供のころ聞いたのは、即とは、南無妙法蓮華経だと。

御書P514
「地涌の菩薩を現証と為す事は経文に如蓮華在水と云う故なり、」
如蓮華在水(れんげのみずにあるがごとしとよむ)
蓮華とは、地湧の菩薩をさし、世間の汚泥の中にあっても、それに染まらないさまは、ちょうど、蓮華が泥水の中に、華を咲かせるようなものである
お題目をあげれば、泥の中の蓮華が、きれいな華を咲かせるように、人間もきれいな華が咲くというのだ。
それも、深ければ深いほど、汚ければ汚いほど、きれいな華が咲くというのだ。
私の、今までの苦悩は、全て私の身から出た罰である。
しかし、題目によって、その過去さえも、きれいな華へと変えていけることができる。
なんて、素晴らしい法に出会えたのか。
そう思うと、自然と両親に感謝の念が出てくる。

少々遠回りをしたようにも感じるが、色々な罰が出て、それがあったからこそ、今の自分自身があるということを実感する今日この頃である。
過去の事にとらわれるのではなく、明るい未来に今日から進んでいこう

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by tomotiyoo | 2014-03-23 12:36 | Comments(67)