真実を語る

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ちよが、本音で語るブログです

2014年 04月 04日 ( 2 )

因果俱時

原因とされるものと、そこから生ずる結果とされるものの間に、時間的経過が見られず、一体に同時に具わっている事。

「法華経には、「因果倶時」の法理が示されている。その象徴が「蓮華」である。
 普通は、花が散ってから実がなる。しかし「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(御書1580㌻)。花と実が同時に成長する。
 広布のために祈り、戦う、今の一念「因」に、幸福と勝利の「果」は厳然と輝いているのである。
 ゆえに行動することだ。大目的のために。
 歩くのだ。民衆のために。同志のもとへ、足を運ぶのだ。
 妙法を唱え、弘めゆく人には、尊極の仏の生命が涌現する。
 尊き皆様こそが、妙法蓮華経の当体なのである。
 華のごとく、わが人生を開き、華のごとく使命の大輪を咲き薫らせていただきたい。」
(2009.2.21付
婦人部・女子部最高協議会
牙の大河さんより転載)」

http://www.sokayouth.jp/study/ikeda-daigaku/2012/i05.html
参考までに読むといいですよ

これは、あくまでも、私見であって間違っていたら、教えて頂きたいのですが、私達は、娑婆世界と言う、汚れた世界に生まれて、信仰によって、心を磨くわけですが、私達が毎日唱えている、南無妙法蓮華経の中に
蓮華という言葉が含まれています。
御書P514
「地涌の菩薩を現証と為す事は経文に如蓮華在水と云う故なり、」
如蓮華在水(れんげのみずにあるがごとしとよむ)
蓮華とは、地湧の菩薩をさし、世間の汚泥の中にあっても、それに染まらないさまは、ちょうど、蓮華が泥水の中に、華を咲かせるようなものである
お題目をあげれば、泥の中の蓮華が、きれいな華を咲かせるように、人間もきれいな華が咲くというのだ。
それも、深ければ深いほど、汚ければ汚いほど、きれいな華が咲くというのだ。
題目によって、その過去さえも、きれいな華へと変えていけることができる。


みゆきちゃんが、祈っている事、祈っている因(原因)は、もうすでに、幸せになると言う果(結果)が同時に俱わっているということだと思います。
自分が決めた目標を、(決意が因)幸せになるという果(結果)はもう決まっていると捉えればいいのではないでしょうか
どんな結果が出たとしても、それは幸せと言う、最高の結果になっていると言う事です。
みゆきちゃん自身の中に、原因も結果も俱わっているということですよね

これは、私の友人の体験ですが、教師になりたくて、受けた高校に落ち、大学も落ち、お題目も勉強も必死でやったのに、祈りは叶わなかった。
それでも、ご本尊を疑いもせず、高校、大学と、頑張って卒業。
教師になる為の、面接の際、面接した教師が、高校、大学で、教わった教師と友人だったと言う。
その事が、功を奏したのか、自分が一番入りたかった学校の教師になれた。
現在、教師として、活躍中です。
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by tomotiyoo | 2014-04-04 16:57 | Comments(31)

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by tomotiyoo | 2014-04-04 09:08 | Comments(22)

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