対話

ご自由に
[PR]
by tomotiyoo | 2014-04-25 23:46 | Comments(28)

故斉藤教学部長 修羅について天台は内面と外面が違うと述べています
『常に他人に勝つことを願い、それが叶わなければ、人を見下し、他者を軽んじ、自分だけが偉いとする。それはまるでトンビが高く上がって、下を見下ろすようなものである。それでいて外面は、仁・義・礼・智・信という徳を見せようとして、下品の善心を起し、修羅道を行ずるのである』

『平気で嘘をつく人たち』(М・スコットベック)で分析されている『邪悪な人』その特徴は
""自分には欠点がないと深く信じこんでいる""
名誉会長 『修羅は、自分もだまし、人もだまし、うそにうそを重ねた人生を生きている。本当の充実もなければ、生命空間の拡大もない。小さな幻想の自我にしがみつき、虚勢を張りながら、哀れに生きているのです』
>   
人を不幸に陥れる
悪とは徹して戦うのが真の法華経の行者ですから。

【人の心ほど移ろいやすいものはない。善にも悪にも動いていく。偉大な創造をも成し遂げれば破壊者にもなる。仏にもなれば、第六天の魔王にもなる。】新・人間革命2巻P186

人間を尊敬するのが仏。
いくら綺麗ごとを並べても影でコソコソ人間を軽賤するのは僭聖増上慢のすることです。
Commen Commented by ラン at 2014-04-21 09:29 x
ted by ラン at 2014-04-21 09:48 x
法華経の智慧より一部抜粋↓
僭聖とは、""聖者のふりをしている""ということです。
『人間を軽賤する』そこに僭聖増上慢の大きな特徴がある。
民衆への蔑視です。
一切衆生を尊極の宝と見る法華経の正反対です。
Commented by ラン at 2014-04-22 09:01 x
じぇじぇじぇさん
観心本尊抄P242の4行目から
『月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入れる者これあり』とあることから、浅い教えでもそれを縁として『一切衆生は平等に尊い』という一念三千を観じ、深いところまでいける人もいる。
逆に法華経にあいながらも『自見を以て正義とするが故に還つて或いは小乗経に同じ或いは華厳大日経に同じ・・・』
全ての人に仏界があることが信じられない人もいる。

マザーテレサのように宗教は違っても『神は遠いところにいるのではなく、自分の中に神はある』とい悟って内道の生き方ができる人もいる。逆に信心していても、『己心の外に法あり』と考えが外道になっている人もいる。
私は宗教関係なく『それを縁として自分がどこまで深いところまでいけるか』が大切だと思います。
Commented by じぇじぇじぇ at 2014-04-23 00:16 x

教外の得道と有余涅槃をチェックして
もう一度結論出してみて。

Commented by ちよ at 2014-04-24 16:09 x
観心本尊抄は正確には、如来滅後五五百歳始観心本尊抄ですよね
私の2月2日付生死一大事血脈抄の記事で、紹介している100円の冊子
ちょうど同じ日の、新・人間革命にこのことが載ってるの
そして、この血脈をめぐって、宗門からの難癖
先生のご勇退と 続いている
その本に、にょらいめつごごのごひゃくさいにはじむ かんじんのほんぞんしょうと読む と
それが、去年の2月だったかな?
御書学で、新聞を見たらにょらいめつご ご ごひゃくさいとなってた
こういうの、私とっても気になっちゃって、重箱の隅をつつく性格だから・・・(笑)
観心の本尊は信心の本尊
信力・行力がなければ仏力・法力は顕れないという
ランさんの思索、私も 楽しみにしてます
Commented by ラン at 2014-04-24 16:47 x
2月2日付けの記事、チェックさせていただきます。
私も試験の時、『にょらいめつご ごのごひゃくさいにはじむ かんじんの ほんぞんしょう』と習いました(*´▽`*)
『の』がないのは気になりますよね(笑)
Commented by ラン at 2014-04-24 17:29 x
じぇじぇじぇさん
『教外の得道』とは、過去の宿縁(下種)によって、法華経以外の
教えを縁として得道すること。だとすると、正見の人たちは、過去に南無妙法蓮華経に縁したことがあり、南無妙法蓮華経の力によって41のコメントのように、宗教や思想は違えど『一念三千』を観じることができ、深いところまでいける。ということになるのでしょうか?補足をよろしくお願いしますm(__)m
Commented by じぇじぇじぇ at 2014-04-25 06:41 x
ちよさん、そうですよね。
観心本尊抄は重書中の重書ですから、奥深く
難しく、題号にしても一字一句重要ですよね。
観心本尊抄送抄にも此の書は難多く答え少なしと
言われていますよね。
有余涅槃は、二乗の悟りと言われています。
[PR]
by tomotiyoo | 2014-04-25 22:10 | Comments(45)

関東地方の方でないと行けないかもしれませんが、私の友人が書をやっていまして、展覧会があります。
興味のある方は、どうぞ

会期 2014.5.6(火)~11日(日)
AM11時~PM7時(最終日はPM5時まで)

会場 鳩居堂画廊(3階)
中央区銀座5-7-4
03-3574-0058

主催 書潮会

同じ支部の同志から、お知らせを頂いた時、思わず、あの鳩居堂?
日本で1番土地が高かったところだよね?
凄くない?
どうやら、学会員さんと、非学会員さんとで、書道の会を創っているらしい
文化の香りがするねー
[PR]
by tomotiyoo | 2014-04-25 13:11 | Comments(0)

対話

どうぞ
[PR]
by tomotiyoo | 2014-04-25 00:01 | Comments(20)

コメントっていいね!

これは、あるブログで見つけたコメント
優しさがあふれた文章に、私は感激した

. Posted by 赤鬼 2014年04月22日 22:21
信頼するわが同志への手紙
 
恐らく名前も知らないであろう者だが、ただ創価の同志というだけで、このような手紙を書くことにしました。
 わたしはあなたがいつ、鬱病という、精神疾患を発症されたかは存じ上げません。
そしてその病があなたにとって、どれほどつらいものであるかを知るよしもありませんが、私の想いを綴ることにしました。
相当飛躍した文章になりますが、わたしの一貫する思いを理解していただければと思っております。

 偉大なる大宇宙は、太陽系惑星群のなかに、微塵の如き『地球』を創設せしめ、生物を育み、人類を誕生させました。
もし、大宇宙のリズムがほんのわずかでもズレていたら、人類の誕生はおろか、地球そのものさえ存在しなかったでしょう。
 この、人間生命を生み出した輝かしい大宇宙の縮図、人類はこの偉大なる大宇宙の生命『妙法』のなかにのみ、生きることが許されているのでしょうか。

 近世紀、医学は目覚ましい発展を遂げました、中世において、もっとも忌み嫌われた三大疾患の『天然痘』を制圧し『ハンセン病』を克服し最後に残された『精神疾患』の克服を近未来に託しました。
 人間生命を育んだ大宇宙の『妙法』のなかに、完治の法理は必ず存在するという事実。
人類の利用している宇宙の法理は宇宙生命のほんの一握りにすぎないのではないか。
 いま、医学は『精神疾患』克服の扉の前に立っているのかもしれない。
いな、すでにその扉のノブを手にしているのかも知れない。
 必ず治る。同志がそれを信じてあげずして、誰が信じてあげることができるのでしょう。
なれば、あなたは『精神疾患』の罹患者として、モデラーとして。
『妙法』の名のもと、全人類の中から最新疾患という病を克服するために、大聖人より選ばれた余りにも崇高な使命をになった体験者なのではないのでしょうか。
あなたは胸を張って叫んでいいのです。「わたしは、大聖人に選ばれて精神疾患を体験しているのだ」と。
笑いたい輩は笑わしておけばいいのです。
そんな下劣の輩の人生は惨めなのです
大聖人はお許しにならないのです。

 どうか生きて生きて生き抜いてください。
『縦い頸をば、鋸にて引き切り、どうをばひきほこをもって、つつき、足にほだしを打ってきりを以てもむとも、命のかよはんほどは」生きぬいてください。
 使命に生きる人生が、どれほど崇高なものであるかを、創価の同志は知っているのです。

               真実を語るちよブログ住人 赤鬼

そして、私のブログにコメントしてくれた、ランさん
いつも明るく聡明で、大好きな人の一人ですが、意外な事実が、発覚
話してみないと、分からないね

Commented by ラン at 2014-04-23 07:37 x
横から失礼します(__)
どんな理由があろうと、人をイジメるのは絶対にダメだと思う。
それを放置しておくのは寛容でもなんでもないと思います。

私はアトピーで子どものころひどいイジメにあいました。
心が救われたのは、大人になってから読んだ池田先生の『希望対話』↓の本でした。

【だれだって完全な人間なんていない。欠点だらけです。だからといってその人を『いじめていい』ことになりますか。そんなことを言ったらいじめている側のほうが、よっぽど不完全で卑怯ではないか。人間として最低でしょう。

『いじめられる側にも原因があるというのは、いじめる人につごうがいいからそういうのです。
また、いじめを『見て見ぬふり』をしている人が自分の勇気のなさをごまかす『言いわけ』です。
私はそう思う。

それじゃ、いじめている人間が『強い人間なのか』そうじゃないでしょう。人を苦しめる人間のどこが強いのですか。人間として、一番弱い、一番醜い心ではないですか。自分で自分の醜い心に負けている『弱い人間』ではないですか。

そういう暴力人間を『強い』ように勘違いしているところに『いじめ』の根源がある。日本社会の狂いがある】(希望対話より抜粋)

Commented by tomotiyoo at 2014-04-23 07:49 x
ランさん ありがとう
辛い思い出話してくれて

私は、もといじめっこ
いじめは、いじめるほうが100%悪い
先生の言葉で、いじめなくなる自分を、考えました
自分自身に不満があるから、人をいじめてしまうのです
今でも、知らずにいじめている事があります
どうか、私の心のいじめを観たとき、
「ちよさん それはいじめだよ」って 言ってくださいね


何を持っていじめとするのか?
いじめっ子は、ずるくて、人の目を盗んで裏で攻撃するから周りから分かりづらい
悪口を言ったり、デマを流したりする
(2013年聖教新聞PR版 秋季号)

はた京阪さんから
いつかは、こちらも一切のストーリーをまとめ上げ、
その鼻をヘシ折って差し上げる所存なので、
いまだその姿勢をあらためない限り、お覚悟を召されたし。

いつになっても必ずやる。

これは、いじめでなく、脅しとも取れる

今、私がやっていることは、果たして、いじめなのだろうか?
私はただの、喧嘩だと思っている
私は、いじめっ子だったけど、弱いものいじめは、一度もした覚えがない
だから、お互い、言い合えばいい
そして、時期が来たら、やめればいい
そう思っている
確か、去年も11.18と言う大事な時期だったと思う
そして、暮れには一度終わらせると、約束したような・・・
そして、5.3を迎えようとしているこの時だからこそ、表に出して、しっかりと皆さんにも、こういう事が水面下で行われていると言う事実を知っていただきたかっただけだ
人間の怒りは、自分でしかおさめる事ができない
私は、お陰さまで、怒りはもうすっかり消えているのですが・・・
[PR]
by tomotiyoo | 2014-04-25 00:00 | Comments(4)