2014年 05月 09日 ( 1 )

だいいちほっしくどくのこと
第一法師功徳の事

おんぎくでんにいわく ほっしとは ごしゅほっしなり 
御義口伝に云く法師とは五種法師なり

くどくとは ろっこんしょうじょうの かほうなり
功徳とは六根清浄の果報なり、

しょせん いま にちれんとうのたぐい 
所詮今日蓮等の類い

なむみょうほうれんげきょうと となえたてまつるものは 
ろっこんしょうじょうなり
南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、

されば みょうほうれんげきょうの ほうの しとなって だいなる
さいわいあるなり
されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、

くは さいわいということなり 
功は幸と云う事なり

また あくをめっするを くといい ぜんをしょうずるを とくというなり
又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、

くどくとは そくしんじょうぶつなり また ろっこんしょうじょうなり
功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、

ほけきょうの せつもんのごとく しゅぎょうするを 
法華経の説文の如く修行するを

ろっこんせいじょうと とくい べきなりうんぬん
六根清浄と得意可きなり云云。



だいに ろっこんしょうじょうのこと
第二六根清浄の事

おんぎくでんにいわく まなこのくどくとは ほっけふしんのものは
御義口伝に云く眼の功徳とは法華不信の者は

むげんに だざいし しんずるものは じょうぶつなりと みるをもって
無間に堕在し信ずる者は成仏なりと見るを以て

まなこのくどくとするなり
眼の功徳とするなり、

ほけきょうを たもちたてまつるところに まなこのはっぴゃくの
くどくをえるなり
法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり、

まなことは ほけきょうなり
眼とは法華経なり

このだいじょうきょうてんは しょぶつのがんもくと いま にちれんとうのたぐい
此の大乗経典は諸仏の眼目と、今日蓮等の類い

なむみょうほうれんげきょうと となえたてまつるものは
南無妙法蓮華経と唱え奉る者は

まなこのくどくをえるなりうんぬん
眼の功徳を得るなり云云、

じ び ぜつ しん い またまた かくのごときなりうんぬん

耳・鼻・舌・身・意又又此くの如きなり云云。


六根清浄とは、生命の浄化。
六根とは、眼根 耳根 鼻根 舌根 身根 意根
前の5つが色法 最後の意根が心法 色心不二
身も心も爽快に、一切闊達に、明朗に振舞っていけること
楽観主義ということでしょう
人生の醍醐味も、悲哀も共に六根を通じて初めて知ることができる
功徳とは
功も徳も幸福をあらわす
功は、悪を滅することで、徳は、善を生ずること
すなわち、宿命転換であり、人間革命を意味する。
折伏に、功徳の二字はおさまるゆえに、折伏を行じる人こそ、大功徳を得ていくのである。
眼の功徳は、正しい人生観、社会観をもち、幸福へ過ちなく進んでいくこと
幸福には、絶対的幸福と相対的幸福がある。
私達の、目指す物は、何物にも崩れることのない絶対的幸福。
ゆえに、宿命転換、人間革命する以外に、幸せは得られないのである。
大聖人の大仏法によって、仏界があたかも総司令部のごとくになり、一切の性格、一切の執着、一切の欲望、一切のの煩悩や苦しみ、怒り、嫉妬もすべて変毒為薬、開いていけるのである。

私の場合、どんなによい旦那さんをもっても、家や車や毛皮、着物があっても
真の幸福は得られなかった。
自分が変わる以外に、真の幸福はないのだ。
何物にも揺るがない、幸福をつかむ為、折伏行は、絶対に不可欠になると思う。
実る、実らないに関わらず、真剣に仏法を語っていこう。

※ 誤字脱字 誤りがあったら、 教えてください
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by tomotiyoo | 2014-05-09 00:00 | Comments(64)