2014年 05月 13日 ( 1 )

因果

佐渡御書 P959

「はつないおんきょうにいわく
般泥洹経に云く

「ぜんなんし かこに むりょうのしょざい しゅじゅのあくごうを
「善男子過去に無量の諸罪・種種の悪業を

つくらんに このもろもろの ざいほう あるいは きょういせられ
作らんに是の諸の罪報・或は軽易せられ

あるいは ぎょうじょうしゅうる えぶくたらず おんじきそそ 
或は形状醜陋衣服足らず飲食麤疎

たからをもとめて り あらず ひんせんのいえ および じゃけんのいえに
財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に

うまれ あるいは おうなんにあう」とううんぬん またいわく
生れ或は王難に遇う」等云云、又云く

「および よのしゅじゅのにんげんのくほう げんせにかるくうくるは
「及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くるは

これ ごほうのくどくりきによるゆえなり」とううんぬん
斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、

このきょうもんは にちれんが み なくば ほとんど ほとけのもうごと
なりぬべし
此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、

いちには わくひきょうい にには わくぎょうじょうしゅうる
一には或被軽易二には或形状醜陋

さんには えぶくふそく よんには おんじきそそ
三には衣服不足四には飲食麤疎

ごには ぐざいふり ろくには しょうびんせんけ 
五には求財不利六には生貧賤家

ななには ぎゅうじゃけんけ はちには わくぞうおんなん とううんぬん
七には及邪見家八には或遭王難等云云、

このはっくは ただ にちれんいちにんが みにかんぜり
此八句は只日蓮一人が身に感ぜり、

こうざんにのぼるものは かならずおり われひとを かろしめば
高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば

かえりて わがみ ひとにきょういせられん
還て我身人に軽易せられん

ぎょうじょうたんごんを そしれば しゅうるのむくいをえ
形状端厳をそしれば醜陋の報いを得

ひとのえぶく おんじきをうばえば かならず がきとなる
人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる

じかいそんきをわらえば ひんせんのいえにしょうず
持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず

しょうほうのいえをそしれば じゃけんのいえにしょうず
正法の家をそしれば邪見の家に生ず

ぜんかいをわらえば こくどのたみとなり おうなんにあう
善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ

これは つねのいんがの さだまれるほうなり
是は常の因果の定れる法なり、」


今世でおこる事は、過去世の行いによる因果だと説いている。
他人に軽んぜられたり、衣服が足りなかったり、食べ物が粗末だったり
お金が思うように入らなかったり、貧乏な家に生まれたり、正しい見方のできない家に生まれたり、謗法の国に生まれて、権力によって苦しめられたりするのは、すべて、過去世に作った悪業によっておこる結果でしかない。
この因果の法は、誰人も逃れることができない。
でも大丈夫。
私達、創価の同志(とも)は、宿命転換の方法を知っている。
私の場合、過去世というより、今世の悪い行いで、今の生活に到っている事が明白だ。
今まで、傷つけた、全ての人に懺悔しつつ、(あらゆる罪業は妄想から生ずるのであるゆえ、その罪を懺悔しようと、欲するならば智慧を明らかにしなくてはならない。)唱題をしていこうと思う。
御義口伝に云く衆罪とは六根に於て業障降り下る事は霜露の如し、然りと雖も慧日を以て能く消除すと云えり、慧日とは末法当今・日蓮所弘の南無妙法蓮華経なり、慧日とは仏に約し法に約するなり、
と述べられているように、ご本尊を信じ題目を唱えることである。
今は、福運をつける時と、腹を決め、過去を清算しつつ、前に前に進む道を、私は選ぶ。
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by tomotiyoo | 2014-05-13 00:00 | Comments(48)