2014年 05月 14日 ( 1 )

其罪畢已(ございひっち)

順番が、違っちゃいましたが
佐渡御書P958

にちれん またかく せめらるるも せんごうなきにあらず
日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず

ふぎょうぼんにいわく 「ございひっち」とううんぬん
不軽品に云く「其罪畢已」等云云、

ふぎょうぼさつの むりょうのほうぼうのものに 
不軽菩薩の無量の謗法の者に

めりちょうちゃくせられしも せんごうのしょかんなるべし
罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし

いかにいわんや にちれん こんじょうには びんぐげせんのものとうまれ
何に況や日蓮今生には貧窮下賤の者と生れ

せんだらがいえにいでたり こころこそ すこし ほけきょうを
旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を

しんじたるようなれども みは じんしんににて ちくしんなり
信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり

ぎょちょうをこんがんして しゃくびゃくにたいとせり
魚鳥を混丸して赤白二渧とせり

そのなかに しきしんを やどす じょくすいに つきのうつれるがごとし
其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し

ふんのうに こがねをつつめるなるべし
糞嚢に金をつつめるなるべし、

こころは ほけきょうを しんずるゆえに ぼんてんたいしゃくをも
心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも

なお おそろしとおもわず みは ちくしょうの みなり
猶恐しと思はず身は畜生の身なり

しきしんふそうおうのゆえに ぐしゃのあなずるどうりなり
色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり



法華経不軽品第二十に「その罪おえおわって」と、説かれている。
私達が、信心をしていく過程において、自分の罪業を全部消していく為に、具体的な難がある。
その時、勝つか負けるかで、結果は変わってしまう。
仏と魔との戦いである。

戸田先生は、汚れたホースの水を例にあげて、こう仰っていた。
汚いものが、出しきってしまわないと、きれいな水は出てこないよ と
仏道修行の間には、思いもしないことが起こります。
自分の汚いイノチ 出し切ってしまいましょう。

折伏に頑張っていた若い頃、非常に、恥ずかしい話なのですが、お酒を飲んで酔ったうえでの事なのですが、当時、お世話になっていた幹部にお酒を頭から、かけてしまったことがあります。
その方、怒りもせず、宿業が切れたね と仰ってくださいました。
その時は、私の怒りはおさまらなかったのですが、あとで、冷静になって、お題目をあげ、自分のした事を反省し、お詫びに行きました。

その後、水商売のバイトをしていた時、お客さんに同じ事をされました。
私は、怒りもせず、頭を拭いて、時間まで仕事を続けました。
因果って不思議ですね。
私は、今世で、因果を知ることができました。
自分の罪が、終わったのかどうかは定かでありませんが、修羅のイノチを、お題目で洗い流して、宿命を使命に変えていきたいと思います。
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by tomotiyoo | 2014-05-14 00:00 | Comments(45)