2014年 05月 25日 ( 1 )

スーツ姿の父 大白6月号 P44

3年前、突然、区役所から電話があった。
「藤野博教さんをご存知ですか?」
22年ぶりに聞いた父の名。
それまで記憶からかき消していた。
独り暮らしで、病気だという。
父に会った。
だが、「母さんは元気か?もう何もしないからと伝えろ」
との一言に怒りが爆発した。
「ふざけるな!もう母は・・・」
 父は大酒飲みで暴力と借金の毎日。
母は、顔のあざを化粧で隠して仕事に、私は殴られた顔を腫らして小学校に通った。
救いは、強き母の存在だった。
中学の時、両親は離婚。
その頃からバイクを乗り回した。
ある日、夜中の3時ごろ帰った。
朝から深夜まで四つも仕事をし、父が残した借金まで返す母。
疲れているのに仏壇の前に座り、そのまま眠っていた。
“俺のこと”を祈ってくれていると感じた。
顔を合わせると「帰ってこなくても、便りがないのは元気な証拠や」と
笑い飛ばす母。
20歳の時、「1回だけ、お母さんの言うこと聞いて。池田先生が来るけん
福岡ドームでの5万人の第九に参加して」。
母の思いが師との出会いを刻ませてくれた。
 だが、8年前、母が脳腫瘍に。その時信心に立ち上がった。
姉と必死に祈る中、母は眠るように旅立った。
信心に頑張り始めた頃、病気と闘う母に敬意を表し、言ったことがある。
「あなたには、かないません。生涯信心していきます」。
母は ガッツポーズをし、私の勝ちやね!」とにっこり笑った。

つづきは 大白で。
涙が出ました。
感動しました。
この体験談。以前の私だったら、どう思ったであろうか?
こんなに頑張っていたのに、どうして 死んじゃうの?って思ったのではないだろうか?
先生が、意味のあること と仰っていた事に、何の意味があるのよ!と
怨妬気味だった私。
恥ずかしい限りだ。
母も、家に帰らない私のため、よくお題目をあげていたようだ。
たまに、遅く帰ると、仏壇の前で、泣きながら題目をあげる母。
そんな母に、女々しいと、罵声を浴びせた私。
これから親孝行することでしか、償う事はできないが、ただ一つ、母にとって後継の道を歩んでいる事だけは、自慢の娘であるようだ。
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by tomotiyoo | 2014-05-25 00:00 | Comments(28)