2014年 11月 19日 ( 1 )

友人が行った上田正樹さんのセミナー

「先日、歌手の上田正樹さんのセミナーに参加しました。
上田さんは、生い立ちから現在までを赤裸々に語って下さいました。
実家が医者の家系で恵まれた幼少期を過ごしながらも、父親は結核で療養のため家族と離れ、その間に母親は父親の友人と不倫をして駆け落ちをしました。
その母親の元に次男だった上田さんは引き取られたそうです。
有名進学校に通いながら、友人に連れて行かれたロックバンドのライブで音楽に夢中になります。
常に10番以内だった成績は、あっと言う間に最下位になってしまいました。
そして、人生の軌道から外れたような生活を心配した家族から実家に連れ戻されますが、心の居場所はありませんでした。
ある日、上田さんは「風呂に行く」と言って家出をしました。
お金も住む所もなく、行った先は大阪の天王寺でした。そこでホームレスになりました。
音楽を仕事にしようと、歌える店を訪ね歩きますが見つかりません。
それでも諦めずに訪ねた店で、月給5千円の歌の仕事につくことができました。
そのお金で西成の家賃3千円のボロアパートを借りましたが、残りの2千円では生活ができません。
そんな時、近くの長屋の婦人が鍋一杯の肉じゃがを作って持って来てくれました。
そして、毎日のように何かオカズを持ってきてくれるのです。
ある日、その婦人が話しがあるからと自宅に連れて行かれました。
そこには10人程の婦人が待っていて、そこで折伏をされたのです。
上田さんは宗教の話しを聞いて、猛反発をしました。
その理由は、祖父は京都で2、3のお寺を寄進したほどの熱心な念仏の信者でありながら、晩年は難病で「痛い痛い」と叫びながら亡くなっていったそうです。
父親も療養先で土地を購入して教会を建て、海外から牧師を呼び寄せるほどのクリスチャンでありながら、最後は毎日バケツ一杯の血を吐いて亡くなったそうです。
そんな宗教嫌いな上田さんの心を動かしたのは、折伏された時に聞いた「この信心をして願いが叶わないことはない」という言葉でした。
この言葉を信じて一つ一つ丁寧に願いながら、今日までやってきたと語られました。
もちろん、上田さんの願いは叶いました。
1982年にリリースした「悲しい色やね」は大ヒットし、今でも大阪を代表する歌のNo.1であり続けています。



1999年、日本文化解禁前の韓国でアルバムデビューをし、韓国で受け入れられた最初の歌手になりました。
これが転機となり、アジアでの活動が広がっていきました。
中でも、インドネシアの人気歌手とデュエットした楽曲は17週連続チァート1位という輝かしい記録を打ち立てました。
現在、上田さんの活動は世界35ヶ国に広がっています。



ところで、上田さんを折伏してくれた長屋の婦人がどうなったかと言うと、2つの上場会社を持っているのだそうです。
今でも上田さんの楽屋を訪ねては、「ご飯食べてるか?」と聞くのだとか。(笑)

とても、心暖まる素晴らしい体験でした。」

※かつて キーボーとは麻雀仲間という友人から聞いた話
 キーボーが勝つと 合掌して 「これのお陰や」 と言っていたそうです
 私も 折伏の時などに 使わせていただいてます

 上田さんが ある国の空港に降り立った際 ある人が 上田正樹だと言った瞬間
 上田さんの歌が 大合唱になったそうです
 私も キーボー 大好き!
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by tomotiyoo | 2014-11-19 00:00 | Comments(23)