2015年 10月 20日 ( 1 )

うるとら家族の体験 2

奥さんの体験です

今晩は元気いっぱいやりますので宜しくお願いします。

私が母のおなかにいる頃、風疹が流行し約400名の聾唖の赤ちゃんが生まれました。
その一人が私です。


私の耳がまったく聞こえず、補聴器をつければ音は聞こえますが
高低音がきこえません。


三歳から聾学校幼稚部に通い、唇の動きから話を読み取る訓練、
舌がまるくならないように皿をなめる練習、あごに風船をくっつけた時の
のどの振動で音とは何かを教えてくれました。
健康な赤ちゃんは会話を通して自然に言葉の数を増やしていきますが
私にはできません。


母はミルクの言葉を教えるために、どんなに泣き叫んでも、ミルクといえるまで
与えてくれませんでした。
周りの人から虐待しているように見えたのか「かわそうに、それでも親か」と
言われました。

そして、私が6歳の頃、母がいつの日かと待っていた言葉、
「お母さん」の言葉が言えるようになったのです。


 近くの小学校に通いましたが、耳の障害のため、いじめられまいた。
父の仕事も失敗し生活が苦しくなりました。

そんな時、婦人部が尋ねてきてくれました。
この信心は冬は必ず春となる信心です。との確信ある言葉に、
母はみかん箱にご本尊様を御安置し仕事信心に頑張りました。

私がいじめに耐えることができたのは題目をあげ貧乏に負けず働く母の姿が
あったからだと思います。

 ある日、担任の先生は、耳が不自由とはどういうことか話してくれました。
すると信じられないことがおきました。

同級生が一人、また、一人と「いじめてごめん」と謝ってくれたのです。
題目のすごさに驚きました。

 中学校では先生から健常者と同じ教育は無理と言われ友達の会話に入れない
孤独感がありました。

そんな私に女子部のお姉さんが夢をもつすばらしさを教えてくれました。
先生になることが夢でした。先生は口に手を入れて舌の使い方を
教えてくれました。

信心は難聴の私が先生になれるわけがないとの思いに打ち勝つ勇気を
与えてくれました。

毎日教科書を読み返しました。成績は学年で一番びりからクラスで
10番以内になり希望の高校に合格できました。

 高校ではNHK青年の主張大会に出場することになりました。
私は自分の声が聞こえず正しいアクセントがわかりません。
不安な私に先生はヘレンケラーの話をして激励し発音指導してくれました。

大会では力の限り話しました。先生は泣いていました。
私がどれだけの勇気を振り絞って舞台に立っているのかわかってくれていました。

これからの人生、辛いこと、悔しいこといっぱいあるだろう。
目の前の苦しさから逃げることなく乗り越えてほしいと舞台にいるだけで
よく頑張ったと喜んでくれました。

最優秀賞の発表に驚きました。私の名前が呼ばれたのです。
言葉は健常者の
100倍努力してきましたが健常者に追いつくことはないと
思っていました。

先生の恩をかみ締めました。

大学合格しましたが難聴の生徒では無理、前例がない、
先生にはあきらめなさいと言われまいた。

そういわれてもやってみなければわからないと度重なるお願いに
大学は一切の援助はしないとの条件で認めてくれました。

黒板に字を書きながら授業を進められたら先生の唇がよめず授業がわかりません。
耳が聞こえる人をうらやんでも耳が聞こえるようにはならない。
聞こえない現実を受け入れるしかないとわかっていても耳さえ聞こえればと
愚痴がで悔し涙が流れました。

題目あげました。
題目上げながら自分はベストを尽くしていないことに気づきました。

耳が聞こえなくてもわからないことは先生、友達に教えてもらうことが
できることにきづきました。
教授は熱心に筆談で教えてくれました。


努力は実りました。
卒業論文が最優秀賞になり、難聴者としてはじめて教員免許を収得し
卒業できたのです。


 その後、臨時教員しながら本採用をめざしましたが集団面接で落ちました。
私には他の受験者の話を聞き取ることは困難で
7年の臨時教員生活に
悔いはありません。

新たな気持ちで仕事を探しましたが、電話の応対ができないので断られました。
そんな時、心の支えになったのは定時制高校の生徒の姿でした。
昼間の仕事の疲れに負けず、眠たいのを必死にこらえ勉強する生徒、

授業に間に合わそうと廊下を走る生徒、戦後の貧しさから勉強できなかった
年配の生徒さんが覚えられないと言いながら何度も教科書読む姿を思い浮かべ、
私も負けないと勉強し平成
10年、県職員採用試験に合格しました。

人生の素晴らしさは人と人が出会い、支え会うこと、その中で人生のパートナーと出会い、
やがて長男が生まれました。

息子にミルクを上げているとき思うことは母のことです。
泣き叫ぶ我が子にミルクといえるまでミルクを与えなかった母、
きっと胸の張り裂けるような毎日だったと思います。

母のおかげで皆さんの前で話をしている自分がいます。

母を東北旅行に招待しました。日本一の露天風呂で孫を抱きながら
「かわいい、かわいい、こんな幸せくるとおもっていなかった」と喜んでくれました。

娘の耳が聞こえないとわかったときの驚き、それから、どうやって育てていけば
いいのか、迷いながら、わが子の幸せだけを願い無我夢中で人生を
駆け抜けてきた母に、一児の母になった今、感謝の思いが湧いてきます。

母の喜ぶ姿に幼い頃、教えてもらった冬は必ず春となるの言葉が重なり、
幸せかみ締めました。

貧しかった実家のみかん箱は仏壇に変わり、ヨーロッパに家族旅行できました。

結婚以来、先生に手紙を書いてきました。その中で、手元に保管して
置きなさいと送り返してくれた手紙があります。

その手紙を紹介します。
「息子が満一歳になり元気に遊んでいる姿に信心して本当に良かったと思う
毎日です。
池田先生から頂いた揮毫を拝見するたびに勇気と希望が湧いてきます。
近くの小学校でいじめについて講話する機会がありました。

校長先生から「教師児童すべてに価値ある内容でした」と喜んでくれました。
聾唖の友人は私達の気持ちを伝えてくれてありがとうと感謝してくれました。

聾唖の友人でいじめにあったことのない友人は一人もいません。
今でも社会的差別と戦っています。これからの人生、夫婦で力を会わせて
耳の聞こえる人、聞こえない人を結ぶ活動に邁進してまいります」との内容で
池田先生との誓いとなりました。
池田先生から
「拝見しました。すごいね。ありがとうございます。真心感謝します」
との伝言を頂きました。

先生からすごいねと喜んでくれ、これ以上の喜び、勝利はありません。

 その誓いが実りました。
村の婦人の主張大会で優勝し県大会に出場することになりました。
私の原稿を村の婦人会が何度も推敲し発声指導してくれ、県大会当日は
バスを貸しきって応援に駆けつけてくれました。
村の人々には何度も助けられました。
これも主人の亡き父母が村の老人会長、民生委員、主人も体協理事として
地域に貢献し、地道に信心を貫いてきた母の福運のおかげだと思います。

幸運にも難聴者としてはじめて県知事賞を頂きました。
主人が私の手話通訳している姿がテレビで放映され、村の人々から村の誇り、
最高の夫婦愛と喜んでくれました。

前後しますが私の体験を聞いた新来者にご本尊送りができました。

夫婦で力を合わせ耳が聞こえない4人の女性でバンドを結成し県内各地の
福祉施設、祭などでライブ活動してきました。

いつの日か県外でライブしたい夢がありましたが今年5月に予選を突破し
10月東京で行われるゴールドコンサートに出場しました。
力を出し切りましたが入賞はできませんでした。
来年頑張り、これからも先生との誓いの人生を歩んでいきます。

体験発表の機会を与えて頂きありがとうございました。




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by tomotiyoo | 2015-10-20 00:14 | Comments(20)

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