真実を語る

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2015年 10月 24日 ( 1 )

折伏

問 折伏謗法とはいかなる事か。


1 折伏
人に教ゆるには硬軟二つの方法をつかいますが、普通は自分の態度は柔和で相手が
どんな事をしむけても決して怒らないで、言語を優しくして気長に教え説いて相手方を自然に納得せしめて引き入れる、いわゆる「摂受」の方法があります、
この方法は普通宗門では採っておりません。しかし折伏という事は前にも(第五回訊問)
申し上げたとおり、相手方の反対を押し切って信仰せしめる事で、法華経特有の言葉であり
方法であります。
末法の世に生を享ける者は、世間一般の習慣に支配されて知らず識らずの内に根性が
歪められた結果、事法華経に関する限り名前を聞いただけで反対し、怨嫉み、
認識しない中に評価し悪口し賓斥して信じないのみか、反感を抱く事は経文の予言どおりで
あります。
「彼が為めに悪を除くは即ち彼が親なり」と大慈悲の親心を披瀝して信仰心を起こさせて
やらねばならぬと説かれているので、彼の考えの間違いを折破(しゃくは)して、
本心を覚醒させる事を意味しております。
末法の悪・国家悪時代においては、摂受の如きなま優しき手段では到底駄目で
有りますから、例え相手が反対しても、それを押し切って信仰に導入しなければなりません。
しかし、宗門で教化に用うる折伏は、おもに言論で挫くも破るも伏するも皆思想的であり、精神でありますから、肉体を損なうことはありせん。
それでは徹底せん事もありますので、硬教育には拳骨の必要もある如く、御釈迦様の、
涅槃経の中の有徳王が覚徳比丘を守護して悪僧悪俗と戦われた事、宗祖様の、
本尊抄の中の賢王と成って愚王を誡責するといわゆるるところには、国家の兵権を
行使しても、悪王謗国を責むる折伏する事をいってあります。極端かは知らぬが、
ここに折伏の徹底を見るのであるが、これは仏法守護の大任に当れる国権者のことで、
兵権を持たぬ腕力に乏しい今日の組織の宗団では、不可能の事に属します。

2 謗法
謗法という事は法に背き。または法を謗る事であります。
口に出しいうばかりではなく、腹の中で善くないと思うたり、顔をしかめて嫌がったり、
怠けたり、解け無かったりする事が皆謗法であります。
人間の本心は因果の法則に従って生活するのが当然であり、しからば不幸は免れ
幸福に暮らせるのであります。
世間的な毀誉褒貶に気兼ねして、悪くはないが、善もしない、いわゆる世間並に暮せば
それに足れりとして、小善に止まり 甚しきに至っては法律に触れさえしなければ
何をしても良いという生活をすべて謗法と申します。
もちろん大小無数の階級があります。小悪でも地位が高まれば、その害毒は多いから
謗法の罪も大なりと申しております。
いわんや地位の高いものが大法に背くにおいておやであります。また法を司る司法官が
法に背くと同様に仏法に背くを大謗と申します。




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by tomotiyoo | 2015-10-24 00:36 | Comments(15)

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