真実を語る

tomotiyoo.exblog.jp

ちよが、本音で語るブログです

2015年 12月 31日 ( 2 )

大白1月号 桜さんより

焦らず、長い目で見ていくことです。
また、何も悩みがないのが仏なのではありません。
それどころか、うんと悩みを抱えているのが仏なのです。
全世界の一切衆生をどうやって幸福にするか。どうやって平和な社会をつくるか。
そう悩み続けていくのが仏です。
だから、悩みは、たくさんあった方がいいんです。
その人が仏になれるのですから。
ちょっと祈って、ぱっと良くなるのであれば、信心が深まらないし、本当の人間革命も
宿命転換もできません。
ご本尊があえて苦労させてくれている。
そう捉えて、
感謝の祈りができるようになれば、その心こそ人間革命の前進の
証しです。


私は、青年の価値は、勇気と確信と希望であることを実感している。
確信には、逡巡はない。迷いもない。
しかして、その確信は、自らの使命と、責任を全うしきる実践のなかから生まれるものだ。
さらに、人生で最も優れた人とは、青年期にもった理想、青年時代に築いた夢をば、
一生涯貫き通してゆける人だ。


悩みがあるから、心は育つ。
うんと悩んだ日こそ、一番不幸だと思った日こそ、あとから振り返ると、
一番かけがえのない日々だったとわかるものだ。
だから、苦しみから逃げず、苦しみの真ん中を突っ切って行くことだ。
それが森を抜ける近道だからだ。
寂しければ、その寂しさを大事にすることだ。
寂しさや悲しさを、遊びなんかでごまかすな。
使い捨てるな。
耐えて、耐えて、自分を育てる「こやし」にしていけ。


人間だって、花と同じように、光がいる。
人も、人から大事にされないと、心が枯れてしまう。
だから君が、みんなの太陽になれ。

自分で自分を喜ばせる言葉を、強さを、賢さを!落ち込んだ心を、よいしょと自分で持ち上げて!

自分で自分を好きになれないと、人だって愛せない。

無神経になり、デリカシーをなくすことが「大人になる」ことじゃない。
コンクリートみたいに固い花はない。花は、みんな柔らかい。初々しい。傷つきやすい。
人の思いに敏感なままの、その心を一生咲かせ続ける人が、本当に「強い」人なのだ。

毎日がつまらない時。それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。
人生をむなしく感じる時。それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。
人生に、うんざりした時。人生の方が君にうんざりしたと言っているのかもしれない。
ただ、自分が「不思議だ」と思う疑問を大事に追求することだ。
考えて、考えぬくことだ。
そして、いざという時、真理と正義のためなら、自分を犠牲にできる人になれ。
そんな人が一人でも増えた分だけ、この世は美しくなる。
世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。
指折り数えて待っている。
待たれている君は、あなたは生きなければ!めぐりあう、その日のために!
輝くためには、燃えなければならない。燃えるためには、悩みの薪がなければならない。
青春の悩みは即、光なのだ。


どんな人にも必ず使命がある。使命があるから生まれてきたのです。
だから、何があろうと、生きて生きて生き抜かねばならない。
使命。何に命を使うか。自分はどんな「命」を受けて宇宙から使わされたのか。
派遣されたのか。

一つの生命が生まれてくるには、全宇宙が賛同し、全宇宙が協力している。
全宇宙が祝福して送り出してくれたのが、諸君なのです。
生命の尊さは平等です。生命には序列がつけられない。生命には、それぞれ個性がある。
どの人の生命も、全宇宙と同じように尊い。
全宇宙の生命と一体であり、同等の重さをもっている。
そのことを日蓮大聖人は、こう仰せだ。
「命というのは、一切の宝のなかで第一の宝である」(1596ページ)
「命というのは、全宇宙の財宝をもっても買うことができないと、仏は説かれている」(1059ページ)
「一日の命は、全宇宙の財宝よりも尊い」(986ページ)

だから絶対に自殺はいけない。絶対に、暴力はいけない。人を傷つけてはいけない。
人をいじめてはいけない。尊い生命を傷つける資格など、だれにもありません。

絶対にあきらめてはいけない。もがきながら、祈り、考え、学び、友と語り合い、今なすべきことに、ぶつかっていくことだ。
諦めずに挑戦していけば、必ず、自分にしかできない自分の使命がわかってくる。


春の喜び、それを知るのは、冬のつらさを知る人だけである。
ヒルティ「喜びとはなんであるかを知る者は、元来、多くの苦しみを堪え忍んできた人々のみにかぎられます。」
「人生の幸福は、艱難が少ないとか無いとかいうことにあるのではなく、それらの全てを常勝的にかがやかしく克服するにある」
あらゆる困難を悠々と乗りきっていく、そこに人生の幸福はある、と。
仏法の煩悩即菩提にも通じる人生観である。
貫け!持続せよ!どんな困難があろうと、貫いていけ!
生きることが、何となくものうく感じられることもあるかもしれない。
何かに「縛られている」ように感じる時。全てが受け身になっているとき。
何となく迷いが感じられる時。
その時こそ、受け身の一念を逆転させて、「さあ、この道を貫こう!」
「今日の使命を貫こう!」。こう決めていく時に、その一念のなかに、真実の春が到来する。花が咲いていく。
冬から花へ、転換の具体的な道を知っている私どもは幸せである。

戸田先生
「私は、なぜ会長になったのか。それは、私は妻も亡くしました。愛する娘も亡くしました。そして、人生の苦労を、とことん、なめつくしました。だから会長になったのです」

松下幸之助さんの言葉が、今でもじだから離れない。
「池田先生、やっぱり、わかいときの苦労は、買ってでもせな、あきまへんなぁ」
今の時代は、皆、苦労から逃げようとしている。苦労することを、時代遅れのように思っている。また苦労するのが損のように勘違いしている。そうではない。
苦労は全部、自分のためである。
甘えようと思えば、いくらでも甘えられる鍛錬なき時代である。
鍛錬なきゆえに、自己が崩壊し、日本という国自体が、崩壊の様相を呈してきた。
こういう時代だからこそ、自分から求めて苦労しようと自覚した人が得をする。
何ものにも負けない自分へと、鍛錬し抜いた人が勝つ。
その貴重なる「自己教育」の世界はどこにあるか。━ここにある。


「これから!」つねに「これから!」。
今まで、どうだったかではない。これから、どう生きるか。
その力強い前向きの一念である。そこに偉さがあり、勝利がある。
今の自分を超える労作業に、絶えず挑戦していく。
その向上せる心にこそ、青年の魂がある。


青春に、取り返しのつかないことなど絶対にない。
むしろ、青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないことです。
また、自分で自分をあきらめてしまうことです。
過去は過去、未来は未来です。
つねに「さあ、きょうから!」「これから!」「今から!」「この瞬間から!」と未来を見つめて進むことです。これが大聖人の「本因妙」の仏法の真髄です。
人生は四十代、五十代にならないと勝敗はわからない。
決して目先だけで絶望したり、あせってはならない。
後悔することがあっても、悩みがあっても、失敗があっても、未来は長いのです。
いちいち、くよくよしたり、いちいち、やけになるような、そんな安っぽい自分
なってはいけない。

例えばイギリスのチャーチルは「万年落第生」。ガンジーは目立たない生徒でした。
内気で、気が弱く、話し下手。アインシュタインは劣等生。
ただし数学だけは、ずば抜けて良かった。
レントゲンは工業学校を退学処分です。
級友が起こした事件のぬれぎぬを着せられたのです。
では 彼らの青春に共通することは何か。
それは「自分で自分をあきらめなかった」ということでしょう。
成績が悪かった人、いじめられた人、裏切られた人、失敗した人、
病気や経済苦で悩んだ人のほうが、そのぶん、人の心がわかる。
人生の深さがわかる。だから「負けない」ことです。
負けなければ、苦しんだ分だけ、将来必ず大きな花が咲くのです。
自分を大切にしなくてはならない。
社会の差別や、軽薄な風潮や矛盾に左右されては不幸だ。
自分自身に生きていくことを忘れてはならない。
戸田先生は「人生の最後の数年間に、どういう幸福感を持ったかで人生は決まる」と
厳しく言っておられた。
また若いときの失敗なんか、いくらでも挽回できるのです。
たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。
全員が使命の人であることを疑わない。
だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる。
今がどうあれ、素晴らしい未来が開けることを私は絶対に確信しています。
倒れたって、そのたびに起きればいい。起きれば、また前に進める。若いのです。
建設です。戦いです。今、これからです。今、何かを始めるのです。


ある意味で どんな時代にも、深刻な苦しみはある。
そのなかで、もがきながら、暗雲をかきわけ、太陽に向かっていこう、
希望に向かっていこう。この力が青春です。
悩みや、失敗や、後悔があるのは当たり前です。
大事なのは、それらに負けないことだ。悩みながら、苦しみながら、前へ前へ進むことです。
道に迷った。海に出るには、どうするか。どのみちでもいいから前へ進めばいい。
そうすれば川に出る。川筋をたどっていけば、いつか必ず海へ出る。


「恵まれた環境だから幸せ」とは限らない。
「大変な環境だから不幸」とも限らない。
幸不幸は 環境できまるのではない。自分で決まる。環境に負けるか、打ち勝つか。
それで決まる。
環境がどうあれ、自分の道を自分で開いていくていう負けじ魂の生き方です。

インドにはカースト制度が今も習慣として、根深く残っている。
その一番下の出身でありながら、国の大統領になった人がいる。
現在2000年のナラヤナン大統領。私の古い友人です。
ナラヤナンさんは7人兄弟の四番目。家は本当に貧乏で、お風呂もなかった。
いつも飢えに苦しんでいたそうだ。小学校まで片道7キロメートル。歩いて通った。
雨の季節には、足首まで泥だらけです。
そのなかを、いつも何かを読みながら歩いた。
本が買えないので、目にふれる新聞や本を片っ端から読んではメモを取った。
勉強好きな彼のためにお兄さんお姉さんは、 小学校への通学をあきらめた。
それでも、たった一人ぶんの学費が払えなかった。
学費が払えないから、先生に、罰として立たされた。
ナラヤナン少年は、どうしたか。
彼は立たされながら、それでも教室の外から、授業を懸命に聞いたのです。
やがて ガンジーが作った奨学金をもらって勉強を続け、大学をトップで卒業し、外交官になったのです。
しかも「外交官は図々しくないとできないので、人前で立たされるのは、いい訓練だったんですよ!」と苦労を笑い話にしておられる。
強い方です。強い人が幸福です。 幸福は「強い、強い心」の中にあるのです。
何をするにせよ、人のせいにする弱さがある限り、希望の大道は開けません。
まず「全部、自分で決まるんだ!」「自分が強くなるんだ!」と、決意することだ。

いつも私は信じている。使命ある諸君が、何があろうと負けるわけがない、と。
君たちは「勝つために生まれてきた」のだから!夢に向かって、がんばってもらいたい。
たとえ遠回りしても、最後に、勝利のテープを切ればいいのです。
強くなることです。強い人が幸福の人です。
苦しい環境であっても、そこで歯をくいしばってがんばる人は、人が見つけられない「財産」を自分のものにできる。

環境に振り回されるだけなら、環境が、あなたの人生の主人公ということになってしまう。それでは、つまらない。
あなたの人生を決める主人公は、「あなた自身」なのです。


「それ浄土というも地獄というも外にはそうらはず、ただ我等が胸の間にあり」

幸福というも、地獄というも、皆、自分自身の胸の中にある。心の中にある。
幻のような現象の中に、流されてはならない。
真実の幸福の法則を知らない人間の後についても、決して幸福になれない。
人生は、だれにつくか。これで決まる。騙されてはならない。

何かに戦い、何かに前進していく。これが、幸福の本質である。
人のため、法のために、青春時代から、活躍することで、どれほど偉大な人間になっていくか。自分自身を革命しながら、どれほど偉大な生命になっていくか。

一緒に、歩んでいこう!身分や財産や地位、家柄などは、まったく幸福とは関係ない。
ああなれば、こうなれば、ああしたい、こうしたい、
そうすれば幸せなのに…これは、真の仏法ではない。
「心こそ大切なれ」
その境遇で、その環境で、今いる、その場所で、そのままの自分自身で、幸福になりゆくことだ。
若き貴女よ、生命の開拓者たれ!
偉大なる幸福の勝利者たれ!
安逸な、そして虚栄的な、平凡な快楽、享楽からは、目をそらせ!
根本的な幸福への行列の先頭を歩め!


[PR]
by tomotiyoo | 2015-12-31 23:59 | Comments(8)
皆さんにとって どんな1年でしたか?

私も ちょっと振り返ってみました


Moreここをクリック
[PR]
by tomotiyoo | 2015-12-31 00:00 | Comments(42)

ちよが、本音で語るブログです


by ちよ