2016年 01月 09日 ( 1 )

「4月22日は、本部幹部会であった。
会場となった東京・墨田区の両国にある日大講堂に、「開目抄」の一節を拝読する参加者の声が響いた。

われならびに わがでし しょなんありとも うたがうこころなくば じねんにぶっかいに
我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界に

いたるべし てんのかごなきことをうたがわざれ げんせの あんのんならざることを
いたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事を

なげかざれ わがでしに ちょうせきおしえしかども うたがいをおこして みなすてけん 
なげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん

つたなきもののならいは やくそくせしことを まことのときは わするるなるべし
つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし

ここには、信心の極意が示されております。
この一節を、生涯にわたって、生命の奥底に刻み込んでください。」
(P265)

開目抄の一節は 高等部時代 皆で暗唱したのに
まことの時って わからなくなるものなんですよね
この一節を 心で読む事が出来たのは ど貧乏 どん底の時でした
そうやって考えると 一番辛い時こそ 御書を身で読むことができるって事ですね
信心の極意 
まだまだ 何があるか分からないけど その時に 学会から離なれない ご本尊から離れない
あがらなくても 題目をあげる
これでいきたいと思います


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by tomotiyoo | 2016-01-09 00:00 | Comments(8)