2016年 09月 12日 ( 1 )

大白9月号 先生の講義には

『「有解無信」教えを理解していたとしても、心では信じていないこともあります。

 うげむしんとて ほうもんをば さとりて しんじんなきものは さらに じょうぶつすべからず
「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、」(p1443)

と 喝破されている通り、どんなに難解な法理を頭で理解していたとしても、それだけでは一生成仏はかなわないのです。』と

 うしんむげとて げはなくとも しんじんあるものは じょうぶつすべし
「有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし、

みな このきょうの こころなり わたしのことばには あらざる 
皆此の経の意なり私の言にはあらず

されば 2のまきには 「しんをもっていることを え おのれが ちぶんにあらず」とて
されば二の巻には「信を以て入ることを得己が智分に非ず」とて

ちえだいいちの しゃりほつも ただ このきょうを うけたもち しんじんごうじょうにして ほとけになれり
智慧第一の舎利弗も但此の経を受け持ち信心強盛にして仏になれり・

おのれが ちえにて ほとけにならずと ときたまえり
己が智慧にて仏にならずと説き給へり、

しゃりほつだにも ちえにては ほとけにならず
舎利弗だにも智慧にては仏にならず」

智慧第一の舎利弗でさえも 智慧だけでは仏になれない
したがって 信ずる心が大事

有解無信 仏法の法門に理解はあるが、信心が無いこと
無解有信 法門における学問や理論の理解に及ばないところはあるが 信心はあること
     有信無解ともいう
有解有信 仏法の法門に理解もあり、信心もあること 

違う御書ですが ここをクリック

『私たちの「信」の姿勢でもう一つ大事な点があります。
それが、無疑日信(むぎわっしん)です。
無疑とは 「心から納得できる」とも言えるでしょう。
「不疑」とは異なります。
独善や狂信に陥ってしまう危険性があります。』
大白p43を読んでくださいね

無疑日信 過去記事は ここをクリック

「不信と憎悪が渦巻く現代社会にあって、自他共に尊極の生命を輝かせ、真実の喜びの人生を築く道を教えているのが仏法です。
この元品の無明を断ち切る「利剣」こそ信心なのです。
自分の仏性を信じ、人々の仏性をも信じて行動し抜いていく。
このような精神革命の時代を築いていくこと自体が、実は、広宣流布にほかなりません」

確信ある人目指し 頑張ります


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by tomotiyoo | 2016-09-12 00:00 | Comments(11)

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