2016年 12月 21日 ( 1 )

十法界妙因果抄

だいいちに じごくかいとは
第一に地獄界とは


かんぶつさんまいきょうに いわく
観仏三昧経に云く


5ぎゃくざいを つくり いんがを はつむし
「五逆罪を造り因果を撥無し


たいしゅうを ひぼうし しじゅきんをおかし
大衆を誹謗し四重禁を犯し


むなしく しんせを しょくするの もの このなかに だす」と
虚く信施を食するの者此の中に堕す」と


あびじごくなり
阿鼻地獄なり、


しょうほうねんきょうに いわく
正法念経に云く


「せっとう いんよく いんしゅ もうごの もの このなかに だす」と
「殺盗・婬欲・飲酒・妄語の者此の中に堕す」と


だいきょうかんじごくなり
大叫喚地獄なり、


しょうほうねんきょうに いわく
正法念経に云く


「むかし さけをもって ひとに あたえ よわしめ
「昔酒を以て人に与えて酔わしめ


おわって ちょうぎゃくして これを もてあそび
已つて調戯して之を翫び


かれをして しゅうち せしむるの もの このなかに だす」と
彼をして羞恥せしむるの者此の中に堕す」と


きょうかんじごくなり
叫喚地獄なり、


しょうほうねんきょうに いわく
正法念経に云く


「せっしょう ちゅうとう じゃいんの もの このなかに だす」と
「殺生・偸盗・邪婬の者此の中に堕す」と


しゅうごうじごくなり
衆合地獄なり、


ねはんきょうに いわく
涅槃経に云く


「さつに さんしゅ あり いわく げ ちゅう じょう なり
「殺に三種有り謂く下中上なり


げとは ぎし なしし いっさいの ちくしょう

下とは蟻子乃至一切の畜生


ないし げせつの いんねんを もって じごくに だし
乃至下殺の因縁を以て地獄に堕し


ないし つぶさに げの くを うく」もん
乃至具に下の苦を受く」文。


とうて いわく
問うて云く


10あく 5ぎゃくざいを つくりて じごくに だするは
十悪五逆等を造りて地獄に堕するは


せけんの どうぞく みな これを しれり
世間の道俗皆之を知れり


ほうぼうに よって じごくに だするは
謗法に依つて地獄に堕するは


いまだ その そうみょうを しらざる ゆえ
未だ其の相貌を知らざる如何、


こたえて いわく
答えて云く


けんねぼさつの つくり ろくだまないの わけ
堅慧菩薩の造・勒那摩提の訳・


くきょう いちじょう ほうしょうろんに いわく
究竟一乗宝性論に云く


「ねがって しょうほうを ぎょうじて ほう および ほっしを ぼうじ
「楽て小法を行じて法及び法師を謗じ


にょらいの かずを しらずして とくこと
○如来の教を識らずして説くこと・


しゅたらにそむいて これ しんじつ ぎ という」 もん
修多羅に背いて是真実義と言う」文、


この もんの ごとくんば しょうじょうを しんじて
此の文の如くんば小乗を信じて

しんじつ ぎ と いい だいじょうを しらざるは これ ほうぼうなり

真実義と云い大乗を知らざるは是れ謗法なり、」


「また たまたま こうせいを ねがう ひとの 10あくを おかさずして ぜんにんの ごとく なるも
亦偶後世を願う人の十悪を犯さずして善人の如くなるも


じねんに ぐちの とがに よって しんくは よく こころは あしき しを しんず 
自然に愚癡の失に依つて身口は善く意は悪しき師を信ず、


ただ われのみ この じゃほうを しんずるに あらず
但我のみ此の邪法を信ずるに非ず


くにを ちぎょう するひと じんみんを すすめて わがじゃほうに どうぜしめ

国を知行する人・人民を聳て我が邪法に同ぜしめ


さいし・けんぞく・しょじゅうの ひとを もって また すすめ したがえ わが ぎょうを ぎょうぜしむ
妻子・眷属・所従の人を以て亦聳め従え我が行を行ぜしむ、


ゆえに しょうほうを ぎょうぜしむる ひとに おいて けちえんを なさず
故に正法を行ぜしむる人に於て結縁を作さず


また たみ・しょじゅうとうに おいても ずいきの こころを いたさしめず
亦民・所従等に於ても随喜の心を至さしめず、


ゆえに じたともに ほうぼうの ものと なりて
故に自他共に謗法の者と成りて


しゅぜん しあくの ごとき ひとも じねんに あびじごくの ごうを まねくこと
修善・止悪の如き人も自然に阿鼻地獄の業を招くこと


まっぽうにおいて たぶん これ あるか
末法に於て多分之れ有るか。」


「地獄界の因縁を明かす

十悪や五逆罪を犯せば地獄に落ち、因果の道理を無視し 謗法によって地獄に落ちるという」


「じゃくにん しょうじて 100さい なりとも しょうめつの ほうを げせずんば
若人生じて百歳なりとも生滅の法を解せずんば


しょうじて いちにちにして これを げりょうすることを えんには しかず
生じて一日にして之を解了することを得んには如かず」


「常に謙虚に、また正しい判断力をもって法を求め、真実の法の前には誤りを率直に改める姿勢こそ、仏道修行には欠かせないものである。

求道の心を失った偏執、我慢の心が強い者は、誤りにとらわれ、正法に背いて誹謗するのである。」


瞋(いかる)は地獄ともいう

今の社会において いろいろな事件が起こっているが 三世の生命を信じない 因果の理法をわきまえないから起こることなのであろう

これは 信心をしていても 同じことである


大聖人仏法は 現当二世

今から ここから

今日 懺悔して 十悪 五逆罪を犯すこと 謗法をやめれば 地獄界を免れるのである

結局 やめられないという事は 根底はご本尊を信じていないという事で 不信なのであろう

気の毒だけれども 因果の理法は 厳しいですね


※誤字脱字があったら 教えてね~(#^^#)







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by tomotiyoo | 2016-12-21 00:00 | Comments(9)