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動くって楽しい

先日、商店街で手をつないだ、昔の飲み仲間のKちゃん。
3時間唱題会の時に、「そうだ Kちゃんのところへ行こう」って思ったんです。
昨日の予定
まずは、友人の、Sさん宅へ伺い、来週の座談会の確認。
Sさんは、今年はじめて、選挙のお願いに行ったのが、きっかけで、仲良くさせていただき、あまり外出しない方なので、「お宅で、学会の会合をしたいのだけれど」と話すといい返事を頂いた方です。
おまけに、1ヶ月ですが、新聞も取ってもらえました。
その後PR版5部持って、郵便局へ行き、Kちゃんの店に行き、Nさんのところへ寄ろうと思っていました。
2件なのに、何で5部。と思われる方もいらっしゃるかもしれないけど、いつも足りなくなるんです。
「あー もっと持ってくればよかった」って後悔するんです。
エンジンがかからないと、なかなか家から出られない私。
でも、1歩前に出れば、あそこへここへと、寄り道するんです。
昨日の場合、郵便局の方が、ご親切に、一番安く届く配達方法を調べてくれたんです。
ちょっと時間はかかりましたが・・・
そして,Kちゃんの店に。いつものように、大きな声で
「あっ ちよちゃん」(ちょっと恥ずかしいんですが、もう慣れた)
「今日は、お願いがあってきたの。聖教新聞て読んだ事ある?」
「うん。昔ね」
「ほら、これがうちの名誉会長の写真と詩。
「人生は、過去に
囚われるものではない。
いな
囚われてはいけない。」
だって、中はね。夜回り先生。知ってる?この人」
「うーん?黒鉄ヒロシに似てるね」
「そうかー?それでね。kちゃん。この新聞とって欲しいんだ。1880円だから」
「お金ないよ」
「それじゃ、プレゼントするから、読んでくれる。」
「えっ。プレゼントしてくれるの?」
「うん。ちゃんと読んでね」
というわけで、贈呈だけど、啓蒙できました。
その足で、Nさんの家に行こうと思ったら、向こうからやってきたのが、Nさん。マスクをしていた。
「あれー。風邪ひいた?」
「そうなんだよ。」
「インフルエンザじゃないといいけどね。」
「それは大丈夫そうだ」
「今、Nさんのところに行こうと思ってたんだよ。今聖教新聞取ってる?」
「いやー。○日と○売が、だぶっちゃってね」
「じゃあ あいてる月でいいからさ」
「わかった。後で調べておく」
「じゃあ、これは、ポストに入れておくから、後で見てね」
「わかった」
「風邪治ったら、一杯やろう。あっ アルコール消毒でもいいよ」
「アハハハハ」
Nさんと別れて、ポストに入れたと同時ぐらいに、前の公園のところに、車が止まった。
なんか似てる。やっぱりTちゃんだ。手を振ろう。
「あらーちょこちゃん」
「どこ行くの?手伝おうか?」
「うーん大丈夫。近いし、一人で持ってこれたから」
「そーう?今、新聞のPRで歩いてるの。あとで読んでね」
彼女は、私の幼なじみで、息子さんの、大学入学の時に、先生の本を贈った。
「うちゅーの、リズムに乗ってはしってゆこーおー」(昔の地区歌)
「よし 宇宙のリズムにのっているぞ」
と思うちよであった。
後半に つづかない。

※私の若き日の、恥話は、又後日書きます
 しばらくお待ちください
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by tomotiyoo | 2013-11-14 09:22 | Comments(8)

初めてのチューハイ

私の、若き頃の話をする時には、M子という存在が、不可欠である。
一緒にいると、顔が似てくるのか、よく姉妹と間違えられた。
2人とも、記憶が定かでないので、時系列も確かでないが、思い出しながら、綴る事にする。
M子は、中学から私立に通ったので、小学校の時だけ、同じクラスだった。
20歳の時、初めての選挙を、お願いすることになる。
待ち合わせは、喫茶店。日曜の昼間だったような気がする。
「いいけど、一人でいくの嫌だよ」
「じゃあ、一緒に行こう」
と言うわけで、付き添った。というのも、投票所が違うのだ。
彼女は今でも言う。
「あの時一緒に行ってくれなかったら、一生選挙には行かなかったかも」
一生とは、ちいと大げさだ。でも彼女はそう思ったのだろう。
選挙が終わって、当選祝いをしようということになって、M子が、ある店に私を誘った。
そこは、下町の、古くからある居酒屋。
所謂、おやじが行くような店である。
「何飲む?」
「任せる」
「じゃあ チューハイ2つと煮込みね」
これが、非常においしかった。
生意気な私は、個人的に飲むなら、ホテルのラウンジと決めていた。
高校を出て、初めての会社が、清涼飲料水の会社である。
得意先は、赤坂、渋谷、原宿、紀尾井町と、おしゃれな店がたくさんある。
会社の宴会でも、もっぱら、ウイスキーの時代だ。
その中で、チューハイと煮こみには、完全にはまってしまった。
私の中のおやじが、居場所を見つけてしまったのである。
その頃、元旦那さんのY君はというと、自動車会社に勤めていたが、整備から、営業に回され、世田谷をスーツ姿で、歩き回っていた。
もともと、車が好きで、選んだ会社。
でも、内向的な彼には、とても苦痛に感じたようだ。
当時、収入は、私のほうがはるかに多く、転職を考えていた。
私も何を思ったか、じゃあ一緒に辞めて、少し遊ぼうか。なんて、悠長
なことを考えていた。
まじめな彼は、すぐに新たな職場を探し、私もそれを応援するため、早朝勤行に通った。
苦しい時の、神頼みならぬ、苦しい時のお題目だ。
そして、彼は、自分の天職とも言うべき仕事を見つけ、男子部として、成長していくのである。
しかし、ここには、小さな嘘が隠されていた。
それを私が知るのは、10年も経ってからの事だ。
一方、チューハイにはまってしまった私は、夜な夜な遊びまわるという、転落への道を歩むことになる。
つづく
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by tomotiyoo | 2013-11-13 00:00 | Comments(3)
おめでたい日なのに、悪い見本の話です。
養父の事ばかりでしたので、今日は自分のことを少々。
何だか、立派な人みたいに映ってしまったかもしれませんが、ホントはたいした事ないんです。
でも、そう言ってしまうと、卑下になってしまうし、言葉って難しいですね。
結婚当初から、当時の地区坦(今の地区婦人部長)から、欝の傾向があるんじゃないかと言われまして、それでも、普通に仕事もしてたし、配達員もした。
もともと、女子部の頃から、火の信心の私は、燃え上がれば、折伏となれば、どこにでもすっ飛んでいくタイプでした。
でも、何だか気持ちが乗らない時は、退転コース まっしぐら。
遊びまわるという、不良学会員でした。
不良は、不良でいい事もあって、今年任用試験を受けるM子は、遊び仲間の一人でした。
その頃、西武球場で、世界平和文化祭っていうのがあったんだけど、普通なら、喜んで参加するのに、私はM子と、お酒を飲みながら、テレビで見てました。
「あんた、絶対後悔するから」なんて、信心していないM子に言われて
「後悔なんかしないもん」と答えていた私。
今でも、不思議と後悔はしていないんです。
その頃、結婚前の、元旦那さんは、毎日練習。
まだ携帯なんて、ない時代でしたから、連絡は、家に電話をしなければなりません。お父さんが出て、「あれっ 息子は、文化祭ってやらの、練習に行ってるけど、おたくさんは練習しないのかい?」なんて言われてしまって
「私は出ないんです。」って言うのが精一杯。(汗)
未入会の人たちに、信心しっかりやりなさいよっていわれている心境でした。
元旦那さんは、私に折伏されて、2月1日寺の早朝勤行会で入会しました。
親の反対にあって、約1年間内得信仰(入会だけで、ご本尊様はご安置しない)をしていました。
「親が、反対なら、アパート借りて一人暮らししなよ」と、2人でためた貯金でアパートを借りて、仏壇を買って、4畳半一間に、ぽつんと仏壇だけがある部屋。
風呂なし、トイレは共同 ガスは小銭を入れる方式。
しかし、親は、一人暮らしにも反対。
入会当初は、2人でがんばってたんですけど、煮え切らない彼の態度に、こっちが面倒になってしまって、ほったらかし。
それでも、男子部が彼を支えてくれて、文化祭のリハーサルには、お父さんが来てくれて、信心することを許してくれたんです。
私がほぼ、退転状態の中で、初めての折伏が実りました。
男子部・地区の方にはただただ感謝です。
私としては、2人あわせて、10世帯の折伏をしてゴールインが、目標だったんですけど、そんなにうまくいくもんじゃないですよね。
いつしか2人の気持ちは、少しづつ離れていきました。

つづく

※私のような火の信心では、後で痛い目を見るよ みたいな気持ちもこめて書きました
どうか、水の流れる清らかな信心で、短い青春時代を謳歌してください
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by tomotiyoo | 2013-11-12 00:00 | Comments(2)

小松原 法難さん?

以前このブログで紹介したM子から、ある日電話が。

(25年前に、私の紹介で入会。
初心の功徳で、素敵な旦那様と結婚。
東京から離れた地で、生活することになり、いつしか私の事を避けるようになっていた。
それでも、諦めずに関わっていく中で、やっと、日顕本尊を、取り替える事を決意。
去年の10月20日 めでたく、日寛上人のご本尊様をいただくことになった。)

「今仏壇の周り、掃除してて、過去帳も、ちゃんとしようと思ってるんだけど、どこに書けばいいのかな」と
「戸田先生の隣?それとも、小松原法難さんの隣?」って
私は、大笑い
「それ 名前じゃないよ
念仏者から、難を受けたときの事だよ
文永元年11月11日でしょ
今度、教学の試験があるから、受けるといいよ」
と話した。
今日は、小松原の法難があった日
彼女は、「一生忘れないと思う」と言っていた。

※任用試験を受験される方
あと2週間 風邪などひかずがんばってくださいね
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by tomotiyoo | 2013-11-11 00:00 | Comments(18)

バリバラって知ってる?

うちの養父は、物まねが好きだ。
見るのもするのも。
うけるのは、ジャパネットタカタの社長。
ぶらり途中下車の旅、故滝口順平さん。
ちびまるこちゃんの、お父さん ひろし。
そして今はまっているのが、バリバラのナレーション。(NHK Eテレ金曜9時)
バリアフリー バラエティーというのでしょうか。
障碍者のための、バラエティー番組となってます。
これがためになって、面白い。
何といっても、悲壮感が無い。
創価の楽観主義に似ている。

過去、私は、アメリカの、鍾乳洞に行った事がある。
そこには、足の不自由な人のために、すべて、いす式昇降機のようなものがあって、回れるようになっていて、驚いた。
知り合いのニューヨークの店でも、身障者のためのトイレが、2ヶ所もあった。
聞くところによると、設置しないと、営業許可が、下りないのだという。
もう10年以上も前の話だが、日本とは、大違いだと思った。
私の、友人に、目の不自由な人がいる。
彼女が言うには、トイレを案内してもらおうと思うと、障碍者のトイレに案内されるという。
それが、とっても、不自由だそうだ。
身障者用は、広い。手探りで、物を確認するのが、大変になる。
一般のトイレが、使用しやすいようだ。
小さな親切 大きなお世話にならないように、おせっかいの私などは、気をつけなくてはいけないと思う今日この頃です。
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by tomotiyoo | 2013-11-10 18:24 | Comments(2)
お題目をあげてて思った。
そうだ 新聞啓蒙 kちゃんのところへ行こう。
断わられてナンボ。
kちゃんは、昔の飲み仲間。
商店街で、商売をしている。
前を通ると、いつも「ちよちゃん」と手を振ってくれる。
ちょっと変わった感じがするかもしれないが、先日、「手をつなごう」といわれて、お互いいい年して、手をつないで10mほど歩いた。
彼の手は、とても冷たかった。

いつも思っていること。
啓蒙って何?。
「人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。」なんだって。
私たちがやっていること、新聞勧誘になってないかな?

いつも思っていること
所願満足と、自己満足って、どう違うんだろう?
今日、感じたこと、きっと死ぬ瞬間に、所願満足って思うんだろうな

唱題をしながら、こんな事を考えていました。

もっと真剣に祈りなさい。 はいすみません。
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by tomotiyoo | 2013-11-09 23:00 | Comments(0)

さあ 前進だ

広宣流布大誓堂
すごいですね
「世界広布新時代 開幕の年」 
今 この時 これから、前進が始まるのですね
あれもしたい これもしたい
まずは、9時からの3時間唱題会
行ってきまーす
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by tomotiyoo | 2013-11-09 08:45 | Comments(0)
入信前、人は死んだらどうなるのかと考えると、不安に駆られ、眠れなくなることがありましたが、今ではそのような不安は、まったくと言うぐらい、感じなくなりました。
4年前に、疲れがひどく、いくつかの病院で診てもらいましたが、原因は不明。
都立病院を紹介され、検査のために、10日ほど入院しました。
結果は、ALS 筋萎縮性側索硬化症という難病でした。
その病気は、神経が衰え、手足が利かなくなり、肺・心臓までの筋肉をだめにし、2、3年後には、車椅子。そして寝たきり。自力では、呼吸もできなくなり、人工呼吸器で生活をすると、医者から説明されました。
まだ、原因も、治療法も解明されておらず、薬で進行を遅らせる事しかできないと言うのです。
ちよにそのことを話すと、「「病によりて、道心はおこるなり。」でしょう。
難病でよかったじゃない。そうでなければ医者代が大変だよ。
医学で治らないなら、信心で治すしかないじゃない。」と言われました。
まったく不安がないと言えば嘘になりますが、この病気のおかげで、真剣にお題目が上げられると、心を新たにしました。
今までいやと言うほど、罰が出ましたが、「小罪なれども懺悔せざれば悪道を
まぬかれず、大逆なれども、懺悔すれば罪消えぬ」とあるように、もうそろそろ、ご本尊様も許してくれるんじゃないかと、自分では思っています。
入会して15年。信心でつかんだたくさんの思い出が、私の唯一の宝物です。
先日行った、「私と宇宙展」では、宇宙から見たら、私の病気なんて、ちっぽけなものだなと感じました。
宿命を、使命に変えられるこの信心。
法華経の真実を証明するため、実証を示していく事が、私の使命。
どんな病にも打ち勝つ、強い一念で、今こうしていられることに、感謝をし
仏法対話をしていくことを、誓います。
最後に、わが友に贈るの一節。
「自分自身の惰性を見抜け。前進また前進。獅子奮迅の心で挑め」 と
また新たに、初心にかえって、がんばります。

おわり

※最後まで、読んでいただいて、ありがとうございました。
 一時は、車椅子と、杖を使っていましたが、ある日、一人で買い物に行って、杖をスーパーに忘れてきちゃい ました。
 料理が好きな養父は、今でも、3食料理を作ってくれます。
 周りの人が、難病と言っても、信じてくれないので、身障者手帳を見せて、自分の病気と御本尊のすごさを  語っています。
病気のおかげで、縁遠くなっていた実の子供たちも、たまに顔を出してくれるようになりました。
 最後に、我が家の合言葉
 大悪をこれば大善きたる
 病気になっても、病人になるな
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by tomotiyoo | 2013-11-08 19:00 | Comments(8)
5000円の自転車を、月々1000円の月賦で買い、友人から車をもらい
バイクを譲り受け、人から面倒を見られていた自分が、面倒を見れるようになりました。
家の、電話も入り、中古品だらけだった我が家に、新品の仏壇も迎えられました。
友人からは、まるでわらしべ長者のようだねと言われ、少しでも、実証を示せたのかと、誇りに思います。
就職も決まり、年末には、支社長になりちよも、自分の部下となり、一生懸命働きました。
信心と仕事の両立。信心即生活。すべてに勝つことが、幸福につながっていく事を、改めて実感しました。
そのおかげで、仕事の関係で、沖縄・韓国・タイ・上海へもちよも同行で行く事ができました。
沖縄では、研修道場に足を運び、勤行もさせていただきました。
韓国では、板門店まで行き、北朝鮮に、30歩ほど、足を踏み入れました。
その頃地区では、10所帯の折伏と言う目標に、あと、1歩というところで、足踏み状態になり、10時間唱題・12時間唱題をする中、12月5日
最後の1所帯を決めることができました。
その方は、今はしらゆり長、息子さんは創価班として活躍しておられます。
翌年には、プレス屋の社長Tさんが入会。
Tさんは、私が倉庫番をしている頃、電気が止まるといっては、お金を貸してくれた人です。
お金を借りに行かなくて済みようになった私を、見ていたようです。
いつかは、クラウンと言っていた私が、クラウンに乗って、会いに行く姿に
何か感じるところがあったようです。
不景気で、経営が大変だとこぼしていたTさん。
この信心で乗り越えています。
その後も、行きつけの店で、キーボードを、弾いていたKちゃん そこのお客さんの、Mちゃん Yさんと、毎年折伏が実りました。
今でも、貧乏は、変わりませんが、御書に蔵の財より身の財 身の財より心の財第一なりとあるように、心に余裕ができました。
今まで、ちよには、散々うるさいことを言われ、その度に、「もう信心なんかやめてやる」 と、短気を起こしていた私ですが、その都度、当時の地区部長
支部長・本部長が、我が家を訪ねてくれました。
貧乏が、いつまで続くのかと、自信をなくしたこともあります。
仏法は道理です。
理にかなわぬ者が、よくなるわけがありません。
不幸の原因は、間違った宗教にあると言うことを、いやと言うほど、知らされました。
実は、私は、結婚する前、一度ご本尊様を、受けた事があるのです。
動機はいたって不純でした。電化製品を売りたいが為、神札をもらうかのような軽い気持ちで、受けたのです。
受くるはやすく、たもつはかたしのご金言どおり、あろうことか、ご本尊様をどこかになくしてしまったのです。
自分は何も悪いことをした覚えがないと思っていたことが、そもそも大間違い。
子供のころから、謗法のオンパレード、道楽のし放題。
家庭も顧みず、自分勝手に生きてきたことを、心から反省しています。
つづく

※信心なんかやめてやる事件は、3回ありました。
 私も、父に負けないくらい短気だったので、やめちまえと、3回言った記憶があります。
その都度、壮年部に連絡を取り、家庭訪問のお願いをし、お題目を送りました。
今は、やめろと言ったって、やめない養父になりました。
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by tomotiyoo | 2013-11-08 00:05 | Comments(11)
私たちが、折伏した人の中で、一番印象に残っている人は、私たちが、からじいと呼んでいた、70代の壮年です。
彼は、養父の友人が経営しているスナックの、常連さんでした。
品がよく、会社の社長さんという感じでした。
顔見知りになり、挨拶を交わすようになると、「ともちゃん(養父の呼び名)とちよちゃんは、どういう関係なのですか?」、と聞かれ、学会の友人であると言うことを話しました。
この年は選挙もあり、私の家で飲み会の予定があったので誘うと、喜んで来てくれました。
学会関係の色紙や、ご祈念版に一つ一つ興味を示し、丁寧に説明をすると、「どうすれば、学会に入れるのですか?」と、言うことになり、日を改めてきちんと話し、入会することになりました。
しかし、それからが大変でした。
家庭訪問に行くと、6畳一間のアパートで、部屋の中は荒れ放題。
とても、ご本尊様を、ご安置できるような状態ではありませんでした。
地区の方に手伝っていただき、大掃除となりました。
からじいは、有名私立大学を卒業後、大手銀行に勤め、独立後、事業に失敗。
奥さんとは離婚。アメリカ留学していた息子さんとも音信普通。
バブルの時には、不動産で億単位のお金を動かしていた人が、年金を使い果たし1文無し。
入会時の、ご供養のお金だけ、何とか、工面したと言う有様。
養父も、退職後の、失業の身で余裕のない中、共に信心で立ち上がろうと、激励しました。
地区の人たちも、お米やら、炊飯器やらと、何かにつけて応援してくれました。
70歳を過ぎても、ご飯の炊き方一つ解らないからじいに、お米の研ぎ方、炊飯器の使い方、一つ一つ教えていきました。
選挙では、からじいの、つけが残っている店に、1軒1軒まわり、少しづつ返済することを約束し、支援のお願いに歩きました。
元国会議員の方にもお願いし、からじいの行きつけだった料亭に、昼間支援のお願いに回りました。
神奈川のからじいの友人宅では、すっかりごちそうになり、楽しい交流になったことも、今ではいい思い出です。
からじいの、つけも1年で、すべて返済することができました。
「友にどれだけ希望を与えたか。喜びを 勇気を 幸せを贈ったか これが我らの勲章」と聖教新聞にあるように、心の勲章は、計り知れません。

※過去の体験の原稿を紐解いて、又新たに、当時の事を思い出しました。
現在、私たちが、ここまでがんばっているかと言えば、疑問が残ります。
 ただの思い出にせず、まだまだ私たちを求めている人はいる。
この仏法を、実践したいと思っている人がいる。と
又、親子で決意を新たにしています。
 からじいは、その後、組織編制で地元に帰り、ヘルパーさんを通して、特別養護老人ホームに入った事は聞きましたが、個人情報保護法との事で、面会には1度も行けませんでした。
 灯台11月号p86に、内容は違いますが、「差別をなくすために、時代に合った法整備を」とあり、何のための法律か 何のためのモラルかという事を
改めて感じた次第です
風の便りで、お亡くなりになったと聞き、毎日回向させていただいております。
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by tomotiyoo | 2013-11-07 14:13 | Comments(4)

ちよが、本音で語るブログです


by ちよ