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ちよはいじめっ子?

大人になって、親戚の集まりや、同窓会では、必ず、ちよにいじめられたーって話になって、ずいぶん謝って回りました。
かと思うと、玉子をもらったという同級生が、結構いるんです。
うちの隣の、駄菓子屋さん。もんじゃもやってました。
今では、全国的にも知られているもんじゃですが、私たちの子供のころは、下町の、土曜日のお昼ご飯という感じでした。
土曜日は、給食がないので、確か10円だっかかなー?
中身は、キャベツと、揚げ玉と、さくらえび。そんなもんでしたよ。
別売りで、玉子と、魚肉ソーセージというんでしょうか?
ハガシで、切って入れてました。
玉子は、持ち込み自由。
でも、家から持ってくるには、割れてしまう可能性がありますよね。
そんなわけで、いつも、友達に、玉子を分けてあげました。
貧しかったわりには、大雑把でした。

近所には、変な大人もいました。
一人はたこ親父と呼ばれてて、神出鬼没、どこの誰だか未だに分からないのですが、何と、私の唇奪われてしまいました。
いつどこでだかはよく分からないのですが、おぞましい思い出です。
今は、笑っていえますよ。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
まあ、いろいろなことがありました。
お風呂屋の帰り道に、タオルごとひったくられたり、洗濯物を盗まれたり。
それでも、まだまだ平和でしたね。

優しい父と、うって変わって厳しい母。
手をつないで歩いた記憶がありません。
冬は、黒いコートをただひたすら追いかけ、気がつくと男の人と入れ替わっていて、男の人が何かを感じて振り返った時の、恐怖感は、今でも覚えています。
あとから母が気がついて、探してくれたからいいようなものの、迷子の恐怖と言うものは、子供にとって、とてつもなく恐ろしい記憶です。
終点の駅だと、うっかり寝てしまおうものなら、容赦なく置いて行かれます。
気がつくと、母はもう、改札を出るところです。
今そんなことを話題に出すと、母は、覚えていないと言うばかり。
その頃の母の心に、何があったのかは、今でも分かりません。
当時、トロリーバスというのが走っていて、それに乗って、母の部員さんの家に、個人指導について行きました。
どうやら、学会活動の時は、置いて行かれないですんでいたようです。
子供連れだと、相手さんが気の毒になって、家に入れてくれるという事もあったようです。
大人には、かわいがられていたようで、班長さんという人のひざに乗って、頬ずりをされた記憶があります。(ひげが痛いのよ)
小さいころは、よくおねしょをする子で、母に裸にされて、ガタガタ震えてたと、姉は言います。
姉自体も、母の事は怖かったようで、父が本当の父で、母が、継母ではないかと思っていたそうです。
顔にお線香、鴨居には鯨尺(竹のものさし)
母の、姉からの、秘伝のようです(笑)

怖い母でしたが、優しい時もありました。
それは、お題目をあげている時です。
あまり甘えない私も、その時だけは、ひざの上に乗ってもいいと、思っていました。
ある日、上級生から、いじめられて、お金を持ってくるように言われました。
その時も不思議と、素直に、母に言えたんです。
確か、50円とか100円とかそんなもんだったと思うけど、母は、お金をくれて、行ってらっしゃいと言いました。
指定された場所へ行くと、誰もおらず、その日から、いじめられることは、無かったです。
大人になって聞きましたが、私をいじめた人たち、同級生からいじめられていたそうです。
いじめって、連鎖するんですよね。
そういう私も、いじめっこでした。
たとえば、虫の嫌いな女の子の筆箱に、羽をむしった蜂をたくさん入れて喜んだり、男の子の背中に、消しゴムちぎって入れたり、真空とび膝蹴りしたり、そんな事だったと思います。
そんな事?うん。そんな事。
加害者と、被害者の、温度差が、いじめのなくならない原因だと今は、思います。
加害者が、何故やめないのか?その心を知るしか、ないのではと。
池田先生がいじめはいじめる方が、100%悪いって言ってましたよね。
私は、そう言われるまで、正直いじめられる側にも、原因があるんじゃない?なんて思っていました。
今でも、知らず知らずに、傷つけていることもあるかも知れません。
いじめた方が、いじめたという自覚を持たない限り、いじめはなくならないのかもしれないと思います。
今は、いじめをみたら、ほっとかない。
人を、包みゆける人になりたいと思います。

とりあえず、おしまい
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by tomotiyoo | 2013-12-21 12:50 | Comments(7)

♪ピチピチちゃぷちゃぷらんらんらん♪

母は、体が丈夫になり、パートで、飲食店へ働きに行っていました。
家はかなり古く、玄関がきちんと閉まらない家で、私が結婚して、家を建て同居するまで、鍵を閉めた事のない家だったと記憶しています。
雨が降れば、雨漏りもする、そんなあばら家でしたが、よく友達は、遊びに来ていました。
親が留守というのは、子供にとっては、自由に伸び伸びとして、居心地のいいところだったのでしょう。
ある日、裸電球に、靴下をかぶせたら、明かりが、ピンクになって、とってもきれいでした。
その日に限って、ニッカポッカをはいた父が早く帰ってきました。
めったに怒らない父ですが、帰って来るなり
「お前達何やってるんだ!」
遊びで夢中になっていた私達は、気がつかなかったのですが、危うく火事になりそうだったのです。
私達って、馬鹿ですよね。誰も気がつかなかったんです。
電球は熱くなっていて、触れない状態でした。
今でも、どうしたのかは、覚えていないのですが、父がどうにかしてくれたのでしょうね。
今考えれば、守られたの一言ですが・・・
そう言えば、体育の時間、鉄棒から落ちて、背中を打った時も、声が出なくなってまずは病院にいったんでしょうが、家に運ばれた時は、いつもパートでいないはずの母が、いました。
姉からくすめた、お金で、隣の駄菓子屋さんで花火を買い、近所の子を集めて遊んでいたら、花火が私の浴衣の袖に入り、やけどをしたのですが、我慢をして帰ってきたら、両親ともいませんでした。
2階に住んでいるおばが、ジャガイモをすって、私の腕にぬってくれました。
もう、痛いのなんのって、ハンパではなかったです。
でも、私は痛さよりも、母に、怒られるという感覚の方が、恐ろしかったです。
どうにか怒られずにすみ、次の日に病院へ行くのですが、医者から、
「木綿の浴衣を着ててよかったですね。
もし、ポリエステルだったら、くっついてしまい、やけどのあとも残ってしまったでしょうね」と
あー やっぱり私ついてる。
うん。ずーっと守られていたんです。

私の、家での手伝いは、帰ってきた父の、弁当箱をお勝手に持っていくことです。
風呂敷に、包まれた弁当箱は、アルミ製で、新聞紙に包まれていました。
父の日課は、勤行をし、銭湯から帰ってくると、刺身と、奴で、ビールを飲む。
ほとんど、毎日だったと思います。
嫌いな父でしたが、腹巻にお金を入れていて、そのお金をくすめるため、たまにあぐらをかいた、ひざの上に座りました。
そして、アワアワと言って、ビールの泡を飲んでいました。
お子さんのいる人。子供にお酒を飲ませるのは危険です。
私のような大人になってしまいますよ。
そして、腹巻の中に手を入れて、頂戴といって、おこづかいにしていました。
左官や殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の3日も降ればいい。
なんて昔の人は、言ったようですが、雨が降ると、幼稚園のお迎えは、父の役目でした。
私は、それが、嫌で嫌で仕方ありませんでした。
どこへ行っても、「おにいちゃん、おじいちゃんと一緒でいいね」と言われるからです。
私は、髪が短く、いつも男の子と間違えられ、父は、おじいちゃんと間違えられるのです。
大きくなってからは、人の家を創る仕事をしていながら、自分の家一軒も建てられない父に、嫌悪感さえ覚えました。
戸田先生の、青年訓「青年は親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。」この言葉に、ずいぶん悩みもしました。
それでも、生きている間に、父の事を尊敬できる自分になれたことは、信心の功徳そのものです。

つづく
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by tomotiyoo | 2013-12-21 00:00 | Comments(8)

二件長屋

私が育ったところです。
隣は、駄菓子屋さん。
2階には、父の妹夫婦が住んでいて、そこには子供はいませんでした。
左官屋の父と、ちょっとヒステリックな母の間に生まれたのが、私です。
父が、50歳のときの子供。
父が生きていれば、103歳になります。
父も母も、再婚同士。
父は、元の奥さんを、自殺で亡くしているそうです。
母の、元旦那さんは、盲腸の腹膜炎で、母が、おなかの大きい頃に、亡くなったと聞いています。
というわけで、11歳離れた姉とは、異父姉妹ということになります。
この姉妹、11歳も離れているのに、私が、小学校を卒業するまでは、毎日のように喧嘩しておりました。
それも、時には、取っ組み合いの喧嘩です。
私が生意気で、姉は11歳まで一人っ子で育ったものだから、ぶつかったんでしょうね。
まず、TVの番組争いです。
当時は、ほとんどの家には、TVは一家に1台でしたから、そんな光景はどの家でも、繰り広げられていたことでしょう。
今は、もちろん、とっても仲良しですよ。
今年、姉は新聞配達30周年の、表彰を受けました。
母も、姉もとても体が弱かったようで、そんなことで創価学会に入会したのだと思います。
そして、私が生まれました。昭和35年のことです。
幼少期、医者に、母と私の薬を間違えて配合され、ちょっと多いなと思ったものの、母は、私に薬を飲ませたそうです。
自分の薬を飲もうとして、量の少ないのに気がついた母は、慌てて医者に、連絡したそうです。
お医者さんも、心配して、我が家にやってきて、ずっとつきっきりで、診ていたようです。
母は、この子は使命のある子。絶対に死ぬはずがないと祈ったそうです。
お陰さまで、今まで生き延びております。
父はとっても優しい人でした。
でも、私は、父が大嫌いでした。
子どもって、残酷なもので、ただ歳をとっている それだけで、嫌っていました。
姉と父は、大変仲がよく、2人で甘いもの屋さんなんかに行っていたようです。
ある日、いつものように、私と姉が取っ組み合いの喧嘩。
それを見ていた父が、珍しく、姉を叱りました。
そしたら姉は、大泣きをして、「お父さんは、私が本当の娘じゃないから、私の事を怒るのでしょう」と逆切れ。
私あれっと思ったものの、「それならお父さんが悪い」という事で、父が悪者になって、喧嘩はおさまりました。
この日、私は、姉が、父の子ではないということを知るのでした。

つづく
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by tomotiyoo | 2013-12-20 00:00 | Comments(10)

新・人間革命13巻 楽土

先日の、会合で、原田会長が沖縄の事が書かれていると紹介してくれたので、もう一度読んでみた。
ここで私は気がついた。
「建設は死闘 破壊は一瞬」と覚えていたが、反対だった。
正確には、P294
「破壊は一瞬 建設は死闘 惰性は暗 希望は明 後退は死 前進は生」と

分かっているつもりでも、何回も勉強しないといけませんね。
私が感じたところを、抜粋します。

P304
「本当に必死であれば、勇気がわく。力がわく。知恵がわく。自分の壁も乗り越えていくことができる。真剣であること。誠実であることこそ、指導者の要件です。」
「“じっとこらえて今に見ろ”との心で、柔和忍辱(にゅうわにんにく)の衣を着て、スクラムを組んで、朗らかに前進していこうではありませんか!」

P333 マーシー地区の話。
「仏法でなければ、真実の平和は築けません。紛争についても、武力によって制圧すれば、解決できると考えるのは誤りです。それでは、むしろ、憎悪を生み、果てしない報復の繰り返しになってしまう。戦争といっても、それを引き起こすのは、結局は人間です。ゆえに、平和の建設は、人間の生命を変革し、憎悪の心を慈悲に、反目を友情に変える以外にない。
その人間革命の道を教えているのが、日蓮大聖人の仏法なんです。」

P349
「人材とは、人格の人であるということです。人への思いやり、包容力、自分を律する精神の力、正義への信念と意思等々、人格の輝きこそ、人間として最も大事です。それには精神闘争が必要です。自分の弱さに挑み、苦労に苦労を重ねて、自己の精神を磨き上げていくことです。
そして、人材には、力がなくてはならない。心根は清く、美しくとも、力がないというのでは、民衆の幸福、平和を築くことはできない。だから何か一つでいい。これだけは誰にも負けないというものをもつことが必要です。」

P364 火事で子ども2人を死なせてしまい、ご本尊様も消失してしまったご夫婦の話
「きっと心のどこかに、信心しているから大丈夫だという思いがあったのだ。
それが油断であり、魔であったのだ」

P306
「病気が治る。事業が成功するといったことも、信心の力であり功徳ですが、まだまだ小さな利益です。本当の大功徳は、どんな大苦悩に直面しても、決して負けない自分自身をつくり、何があっても、揺るがない大境涯を築いていけるということなんです。それが、絶対的な幸福境涯です。」

P371
「あても喜ぶな うしなても泣くな 人のよしあしや 後ど知ゆる」
財産があっても喜ぶな。失っても泣くな。人間の真価は、そんなものでは決まりはしない。人のため、世のために何をしたかどうかで、その人のよしあしは、後になって分かるものだ。

P372
「最後に勝つ人が、人生の勝利者です。」

ここから、原田会長が、話してくれました。
グラスボードという観光船に、私も、一緒に乗っていたんです。
船が故障して、漂流。
みんなが慌てる中、先生は、動じなかった。
結局、船は、名護に向かうのだが、そこには300人の同志と「先生ようこそ」
の横断幕。
先生が一言
「こういうことはやめようね」

そして、本部幹部会で、先生 仰ってたよね。
人間教育の根本も
「生命を大切にすること」
「絶対に人を殺してはならない。絶対に戦争を起こしてはならない。
それ以外のことはでき得る限り、自由に、伸び伸びと、大らかに、未来部を育て応援していけばよいと私は思う」って
何だかとっても嬉しかったよ。
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by tomotiyoo | 2013-12-19 00:00 | Comments(6)

ばれなきゃいいじゃん

これ昔の、私なんです。
ていうかー私の母の教え。
母も、ある時から,創価学会の、信仰はしていましたよ。
でも、本当には、仏法を解っていなかったんでしょうね。
因果の理法を知っていれば、そんな事はできないはず。
それが、頭では解っていたのかも知れないけど、心では解っていなかったんでしょうかね。
私は、背が小さかったため、ある程度の年まで、電車の切符は、買ってもらえませんでした。
近所の銭湯では、新学期が近づくと、番頭さんが、君はいくつになったかねー?なんて聞いてくるんです。
まあ さすがの母も、近所では、そんな悪さはさせませんでしたけど。
今、ブログでは、私のことをちよさんちよさんって呼んで下さっている方が、多いのですが、リアルではいい年しながら、ちよちゃんが多いんです。
中には、昔の苗字で呼ぶ方もいます。
私はとえば、わかればいいジャンって言う感じで、あまりこだわらないんです
そんなわけで、私の呼び方、全部で、7個ぐらいあるんです
それを何の疑問を持たなかったもので、ハンドルネームというものを、気分で使い分けていました
ある友人から、それは、信用をなくすよと、よくないことだと教わって、それからは、すべてちよになりました。
そんなことも知らない私が、いろいろな人の助言をいただきながら、ブログをやっているのですから、誰にでも、できない事はないと思います。
ブログのお陰で、ばれなきゃいいじゃんも卒業しようと思いました。
母も、90歳になって、まだまだ元喜ですが、ばれなきゃいいは、もう卒業したと思います。
いくつになっても、今世で変われるのなら、遅すぎることはないと私は、思っています。
先日見せていただいた、人生問答 松下幸之助と池田大作 VOD
幸之助さんの言葉に「素直な心」とありました。
私も、素直な心をもう一度、学びたいと思っています。
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by tomotiyoo | 2013-12-18 00:00 | Comments(20)

12/17 今日の2面に

載りましたねー
墨田の総会が。
私、一番後ろの、マスクをしている人です。
無理無理、めがねをかけてもムダですよ。
見えません。
今日は、聖教が入りますので、マスクをしている方は、はずしてくださいとのアナウンスがあったのですが、まあ一番後ろまでは写らないだろうと、そのままにしておきました。(風邪は、うつると困ります)
向かって、左に横断幕が。
「12.11墨田の日 40周年記念 墨田総区さきがけ総会」と
栄光会メンバー がんばりましたね。
そして、原田会長中心に勤行。
学会歌 五月の空に
これは墨田の区歌です
♪世界だ 世紀だ 勇み立て♪と、元喜一杯歌いました。

総区長あいさつとともに、先生からのメッセージを紹介されました。

そして創価合唱団の方々が、人間革命の歌 青年よ広布の山を登れ 世界広布の歌と、3曲も、披露して下さいました。

聖教啓蒙が、東京で1位になったこと。などの報告と、長谷川さんが、初代区長だった時、12月11日先生が広宣会館にお見えになり、皆の祈りがかなう様にと一緒に勤行をしてくださったと、お話がありました。

最後に、原田会長の指導
新・人間革命第13巻 「楽土」 19巻 「虹の舞」の抄を引かれて、沖縄の話がありました。
この、ブログに遊びに来てくれている、うるとらまんさんも沖縄の方です。
私も大好きなところです。
そして、本部幹部会が行われたのも、先生の指針が紹介されたのも、沖縄ですね。
沖縄バンザイ。
先生は「悪鬼入其身」の反対で、自身の生命に「梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」と、生命変革の祈りを教えてくださいましたね。
私たちも、鬼に金棒です。
どんな難にも負けずに、がんばっていきましょう。
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by tomotiyoo | 2013-12-17 08:28 | Comments(29)

風邪を引いている間に

自分で立てた小さな目標があって、それは、民音の新たな賛助会員を、2名増やすこと。
きっと、話をすれば、賛同していただけるなと思ったからです。
地区部長にお願いして、一緒に、お二人の家を訪問してもらおうとしていたところに、風邪という魔がやってきて、まんまとやられてしまった私なのですが、
その間に、地区部長、お二人のところへ行って来てくれて、新たに賛助会員になっていただけました。
先生が、民音を作った思いを知れば、平和を望む人であれば、必ず、賛同していただけると思った、私の考えは、誤っていなかったといえます。
たいした力もないくせに、何でもかんでも、自分で背負ってきた私に、ちょっとしたプレゼントというようにも思えます。
無理をすることと、がんばることとは違うよ、と人に何回も、お説教じみたことをいっていますが、自分の事となると分からなくなるのが、人間なのかもしれませんね。
頼るところは頼る。その為の、同志だものね。
自分に甘えさえしなければいいんです。
私は、そう思うことにしました。
そして昨日の、創価ルネサンスバンガード 12度目の日本一
12.11墨田の日 40周年記念
墨田総区さきがけ総会に参加させていただいて、また今日から、新たに出発します。
まだ行っていない、本幹衛星中継、行ってきまーす
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by tomotiyoo | 2013-12-16 12:59 | Comments(10)

速報です 創価ルネサンスバンガード おめでとうございます

第一位 総理大臣賞を、今年もいただいたという事です
本当におめでとうございます
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by tomotiyoo | 2013-12-15 21:19 | Comments(4)

風邪 ひかないでね

風邪気味で、どうにも生命力のない私。
元喜だけが、とりえなので、元喜がなくっちゃはじまらない。
そういう時こそ、先生に励まして頂こう。

大白7月号 p30
「諸君もさまざまなことがあると思う。
ある時は落胆して、ご本尊に題目をあげられなくなるような生命になる時等々、さまざまな心理状態があるかもしれない。
しかし、どこまでもご本尊を離さない。創価学会につききってくる。
この決心で繰るならば、必ず、再び、心が燃え、力が出て、歓喜が湧いて大いなる道が開けてくることは、絶対に間違いないということを申し上げておきたい」

そう 休む時は休む。
体が疲れている時は、抵抗力も弱くなります。
うがい 手洗い 気をつけて、いいお正月を迎えてくださいね。
もうすぐ、元喜になると思います。
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by tomotiyoo | 2013-12-14 09:44 | Comments(14)

自冶会のお役目 終わったよ

先週の日曜日のカラオケで、自冶会のイベントが、終了になった。
先月は、バスハイクで、犬吠崎に行った。
途中、香取神宮へ。
七五三の、姿もちらほら。
昔は、お祝い事は、早めにやるものと決まっていたようだが、今は、そんな事もなくなっている様だ。
お天気がいいにこしたことはないし、少しぐらい日にちが遅れたからといって、どうってことないよね。
参道は、日陰で寒くて、信濃町とは、大違いだなーなんて思いながら、歩きました。
途中猫が,ごろにゃんとなついてきたけど、何にもおいしいもの持ってません。
ごめんね。
バスが到着。
新鮮なお魚と、温泉で、リラックス。
盛り上げるために、思わず歌ってしまいました。
♪うらら うらら うらうらで
 うらら うらら うらうらよ♪
年配の方たちには、このぐらいが、ちょうどうけるのです。
楽しい時間は、あっという間。帰りは、ぐっすり、夢の中です。

そして、日曜日のカラオケには、車酔いするので参加できなかった方も、お見えになって、和気アイアイ。
それでもお酒が入りすぎると、つまらないアクシデントもつき物です。
まあ、それも何とか、やりすごし、無事2年のお勤め終了となりました。
次は、何のお役目がくるかしら?
すべて、楽しく受け止めよう
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by tomotiyoo | 2013-12-12 12:57 | Comments(13)