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12.11 墨田の日おめでとうございます

というわけで、私のブログ リニューアルさせていただきました
なんとこの日、私がはじめて先生とお会いできた日なのです。
一緒に、勤行をして頂きました。
感激で、涙涙でした。
先生から、この日を墨田の日として、毎年集まってはどうだろうか?とご提案をいただいて、12.11は墨田の日として、毎年幹部会が行われます。(展示会に変更の場合もあり)
今年も、来週の日曜日、巣鴨の東京戸田記念講堂で、行われます。
その模様は、また後日・・・
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by tomotiyoo | 2013-12-11 00:28 | Comments(36)

祈りって変わる?

私には、子供の時の願いが、3つありました。
それは、
自分が折伏した人と、結婚する。
拠点となる家を立てる。
チリへ行く。
二つは叶えたんだけど、自分で壊しました。
一番の原因は、傲慢。
建設は死闘。破壊は一瞬です。
そしてチリへ行く
これがまだ叶えていないんです。
というか、今は、そんなに行きたいと思わないのです。
何故チリか?
子供のころの事なので、チリかどうかも、曖昧なのです。
海外のメンバーとの、交流座談会に参加させていただいて、大きくなったら,あそびにい    いらっしゃいと言われ、いつか、行こうと思っていた。
だけど、ブログを始めて、世界と言っても、近いなーって、感じ始めています。
ほとんどの人が、まだお会いしたことのない人ですが、ここでの交流が、もう何回も、
お会いしている様な気になっていくのが、不思議です。
今まで、交流で、いろいろな地域を訪れ、また受け入れもしました。
もちろんその土地の方言や、景色は違いますが、一緒に勤行をして、学会歌を歌っ
た瞬間から、もう昔からの知り合いのようになっていくのが、嬉しくてたまりません。
先生の、隣のお友達を大切にすることも大切だが、地球の反対側に住むまだ会った事の
ないお友達の事を、考えることも大切と言うような趣旨の話を聞いて、私もそういう人
になりたいと、ずっと思ってきました。

池田先生の言葉
「人間らしい生き方
「優しい」人、人の心がわかる人が、人として優秀な人です。「優れた人」なのです。
それが本当の優等生なのです。
優しさとは、人間として一番人間らしい生き方であり、人格なのです。」
(輝く子どもと人間教育―「教育のための社会」へ P45)
私、少しは優しくなれているかな?




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by tomotiyoo | 2013-12-10 00:00 | Comments(11)

うれしい報告

なんと、M子の息子さん。
お守りご本尊様いただきました。
みずくさいったら、ありゃしない。
年中電話で話してるのに、そんな事一言も触れず。
「嬉しいことがあったんだ。
会った時に、話すよ。」だって
昨日は、任用試験の合格祝いで母と、養父と、M子と私。
たまに行くスナック。
マスターは、森が崎海岸が気にいっちゃって、ダークダックスの歌を、探し中。
4人で楽しく過ごしていたらM子が重大発表。
まずは1年の、聖教啓蒙ができたとの事。
それも、1年分前払いで、お金を頂いちゃったって。
今の、ご時勢にすごいよねー。
そして、息子さんの話。
中心者が、何故、「信心しようと思ったんですか?」との問いに、
「母が変わろうとしている姿を見て、僕も変わりたいって思ったんです」
だって。
私が、1番悩んでいた後継者。
また1人、できたよね。
もう、嬉しくって嬉しくって
歌いたくなっちゃった。
♪あなたに会えて本当によかった
嬉しくって嬉しくってー
言葉にできない♪
M子も、私の母と、10年ぶりぐらいに会い、自分のママが生きていたらなーなんて、言いながら
「私だって、毎日ママに会っているんだよ。
生命は永遠。私のママも、旦那さんのお母さんも、喜んでくれてるよねー」
だって。
みんな元喜で、前に進んで。
本当に嬉しい毎日です。
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by tomotiyoo | 2013-12-09 00:00 | Comments(6)

女子部最後の財務

この頃、我が区では、○桁の財務の功徳が語られていた。
私の、女子部時代の先輩の体験を聞いて、私もいつかやりたいと思った。
真心こめて精一杯。
ない人は祈って。
そんな頃、女子部最後の折伏が実った。
相手は、アルバイト先の社長Fさん。
海外のメンバーが、来日されて行われた、支部座談会。
Fさんと一緒に参加。
海外のメンバーが、次々に体験を披露。
その中の一人の壮年。
経済的にも恵まれ、何の不安もない毎日。
でも、心にぽっかり穴が開いたようで、根無し草のような人生だった。
入会後は、新たに目標を持ち、充実した毎日を送っている。と
会合の、終わりごろ、Fさんを紹介。
その中で、彼は、海外メンバーの話を聞いて、私と同じだと語った。
そして、私も、創価学会に入会して、日蓮大聖人の仏法を実践したいと話す。
そして、11月20日。私の誕生日に、ご本尊様を授持した。
本来この日は、交際していたY君(元の旦那様)と、結婚を予定していた日だった。
Y君の、両親から反対をされ、一度白紙にしていた。
結婚費用も、要らなくなり、それなら、できる限りの財務をしようと心に決めた。
そして、暮れの財務には、目標を達することができた。
それでなくても、もらい手があるかわからない私のことを案じてか、母は、当初反対していた。
そして翌年3月に、親戚や友人、同志に祝福され、私たちは、結婚する。
新婚旅行も、念願だった、西海岸とハワイへと、格安でいけた。
一文無しになった私に、彼が、すべて、プレゼントしてくれたものだ。
ハワイの会館では、勤行もさせていただいた。
すべて、財務の功徳である。
その後も夫婦そろって、思い切りの財務をさせていただいた。
私たちは、6畳一間のアパート生活からはじめ、3階建ての家を建築。
地域に根ざした、会場となる。
財務の功徳って本当にすごい。
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by tomotiyoo | 2013-12-08 00:00 | Comments(14)

ネットは便利!

こんな記事を見つけた
男はなぜ「近道」にこだわり、車中で怒るのか
「これは支配欲や不安感が強い人に見られる傾向で、『自分のやり方通りでなければ不安』なのです」

口出しされたり、否定されたりすると、言われた側はカチンとなるものだが、実はそれは相手の不安のあらわれという場合もある。
それを考慮して、安心感を与え、車内の空気づくりに気を配ってみると、ケンカはなくなるのかも?
(田幸和歌子)

ゆうきゆう 精神科医 著書多数。

私も、男っぽかったのかな?
運転もできないくせに(免許ありません)元旦那様に、文句言ってばかり。
今考えると、よく20年以上も耐えたよね。
知り合ってからは、35年ほど.。
かわいい時期もあったのかもしれないけど、激励や、感謝はほとんどなく、押し付け叱咤の毎日。
これじゃ、うちの元旦那様 かわいそう。
こんな風に思えるようになったのも、つい最近の事なのです。
人の振り見て、我が振り直せ。
昔の人は、うまいことをいうなー。
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by tomotiyoo | 2013-12-07 00:02 | Comments(23)

お詫びとお願い

今日、11/18の大事なコメントを、発見しました。
コメントいただいていた方、大変申し訳ありませんでした。
おっちょこチョコちゃんと、言われている私。
たまにこんなへまをすると思います。
その時は、どうか遠慮なさらず、「俺(私)のコメント載ってないぞ」って、文句を言ってやってください。(笑)
そんなことで、ちよも、少しは成長できるかもしれません。
宜しくお願いいたします
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by tomotiyoo | 2013-12-06 06:11 | Comments(4)

周恩来 日本を最も愛した中国人

以前テレビでやっていた番組である。
もう一度見て、新・人間革命も読んだ。
2011年4月 上野動物園のパンダ シンシン リーリーから始まる。
初めて日本にやってきたパンダは、カンカン ランラン
公開初日は5万6千人が訪れたという。
中国から、日中国交正常化の証として、贈られたものだった。
日清戦争、満州事変、日中戦争を経て、両国の国交を回復させた立役者が、大正時代、日本に留学していた、周恩来だった。
1917年9月 19歳で日本に留学。しかし、受験に失敗。
「受験に失敗した恥は、永遠に忘れない」と、帰国。
1921年 中国共産党に入党
自分の、服や食べ物を節約して、その分を、庶民にまわそうとする。
少欲知足そのものの姿だ。

1968年、9月8日。
第11回 学生部総会が、我が墨田の、日大講堂で盛大に開催された。
私の大好きな、「嗚呼黎明は近づけり」が、大合唱されたという。
そして先生は、日中問題にふれ
「第一に、中国の存在を正式に承認し、国交を正常化すること。
第二に、国連における正当な地位を、回復すること。
第三に、経済的・文化的な交流を推進すること。」
であった。(新・人間革命13巻 金の橋より抜粋)

一方、周恩来は、日本との交流は、ピンポン外交といって、卓球協会会長で、教育者の後藤鉀二(こうじ)師との交流を図る。
運動選手たちの交流で、友好を深めることが、国交正常化の橋渡しになる、大事なルートだと考える。
1960年 日本社会党委員長 浅沼稲次郎 刺殺事件を受け、中国よりは、右翼により危険を伴う。
それでも、1971年、後藤氏と、周恩来との会談が実現。
その時、周恩来が語った事は
「水を飲む時、井戸を掘った人を忘れない」である。
そして、1972年 日中共同声明調印式が行われた。
酔って立てなくなった、田中総理を、周総理が支えて、退場するという場面もある。

1974年 周恩来は、膀胱がんで入院。
すでに末期だった。
その年の12月5日
周恩来が病をおしてまで会いたかった人物が、創価学会会長 池田大作である。
当初5分程度とみられていた会談は、30分にも及んだ。
会見の途中、医者からの、お休みになってくださいとのメモを周恩来に渡すが、サイドテーブルにおいて、ずっと話を続けていた。
「もう一度、日本の桜が見たい」との周の言葉に
1975年11月 創価大学で行われた植樹に「周桜」と命名。
1976年1月8日 77歳でこの世を去る。

今、周恩来に言いたい言葉はとの問いかけに、涙をこぼし
「会いたい・・・・・
全国民も、同じ気持ちだろう」と、元秘書は語る。

毎年、周桜は、満開の花を咲かせる。

「土地は南北を問わず、人は肌の色で分けず、世界の人びとはみな兄弟。
その時になれば、世界は大きく変わる。
ただ、21世紀にならないと、目にする事はできない。私は、見られない。
しかし、若い人たちは、目にする希望がある。」周恩来

周総理を偲びつつ合掌。

 
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by tomotiyoo | 2013-12-05 00:00 | Comments(6)

12/3は、魂の独立記念日から5日目 先生が、墨田に・・・

宗門から、「創価学会解散勧告書」を出されて、魂の独立を果たした創価学会。
そして、その5日後に、先生が墨田を訪れてくださったのです。
今日は、その日を、記念して5時間唱題会。
私は、今、仏法対話をしているSさんの事、入院しているОさんの事。
地区の人達、ネットで知り合った友人、色々思いをはせ、祈念しました。
昨日の協議会では、地区部長が、「戦う題目をあげよう」と、張り切っていました。

墨田には、3つの寺があります。
その一つは、戸田先生の、第二代会長就任式が行われた、常泉寺です。
常泉寺には、私自身、随分通いました。
早朝勤行は、隣の区から、元旦那さんが、男子部の頃、車で迎えに来てくれて、一緒に行きました。
冬は、フロントガラスが、凍ってしまい、帰るころにやっと、車が温かくなるという感じでした。
いつも、塀の脇には、白い大きな外車が止まっていて、たまに、正門が開いていない事があり、外に人があふれ返っていました。
今考えると、寝坊してたんでしょうかね?

ある人は、「私の生涯は、宗門との戦いだ」と決め、法華講の方々との対話を、地道に続けています。
私も、自分の使命を自覚し、今日からまた新たに、前進していきます。
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by tomotiyoo | 2013-12-03 18:39 | Comments(22)

12月2日 文芸部の日 おめでとうございます

と言っても、私、残念ながら、「文芸部の日」ってよくわかってません。
多分小説や、詩などをお書きになる事を、お仕事とし、正義や真実をうったえる人たちの事だと思うのですが・・・
詳しい人がいらっしゃいましたら、教えてください。
新・人間革命のどこかにあるのでしょうが、見つかりませんでした。
まあ とにかく
おめでとうございます
ますますのご活躍を、お祈り申し上げます。

追記
今日の聖教に載ってました。
小説「人間革命」寄稿の日が淵源。
1969年8月17日 文芸部結成に際し、名誉会長は
「人々に最大に貢献するのだ、という信念、生命を込めて、おのおのの文筆の分野で大いに活躍していって欲しい」と指針を示した。
※「新・人間革命」第14巻「使命」
あとで、読もう。
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by tomotiyoo | 2013-12-02 10:20 | Comments(15)

17才のカルテを見た

アンジェリーナジョリ他が、演じる、心に闇を抱えた少女たちの、交流を描く実話を基にした、1999年のアメリカ映画だ。

「夢と現実が混乱したことはある? 
お金があるのに万引きしたり、落ち込んだり……。
現実と実感がズレていたり、
私が異常だったのか、
時代のせいなのか。
ありがちなただの“つまずき”だったのか。」

時は1967年。17歳のスザンナ・ケイセンは、
大学に進学しないというただ一人の卒業生という事を除いては、ごく普通の少女。
「アスピリンと酒だな」
自殺を図ったと思われたスザンナは、精神科へ。
そこで診断された病名は“ボーダーライン・ディスオーダー(境界性人格障害)。

「時々つらくて、同じ場所に居続けることが・・・」

そして、1年間クレイムアという病院に入院。

「1年間をムダにしたわ。
外の世界も嘘だらけよ。
多分世の中すべてが、ばかげてて、メチャクチャで・・・
でもかまわない。
そこで生きることを選ぶわ。
ここよりはね。」

そして退院。
「私は異常だった?
あるいは世界が異常なのか。
心が壊れてしまったり
つらい秘密を持ってても
異常ではない。
揺れが大きいだけ
嘘をついて、それを楽しんだり、
ずっと子供でいたいと願ったり・・・
弱点はあっても、みんな私の友達だった。
思い出さない日はない」と

私も、精神病院に、何度か訪れている。
友人だったり、友人のお母さんだったり。
そして、私自身も、入院を覚悟した。
その時、元旦那様は一言「よかった」と言った。
捨てられたと思った。
そして、今の養父が、病院にはやらないと言ってくれた。
そのお陰で、今の私があるのだと思う。

※元旦那様はとっても優しい人で、私を捨てたわけではなかったのです。
しかし、私のあまりにひどい状態に、手を焼いていたんでしょうね。
恨んだ時期もあったけど、今は、感謝しております
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by tomotiyoo | 2013-12-02 00:30 | Comments(2)