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かゆいかゆい 眠い眠い

今日は、出られない人の変わりに、守る会(会館のお掃除)で、墨田文化会館、通称墨文へ行って来た。
墨文の写真は、創価の森ブログで見れます
http://sokanomori.exblog.jp/19224652/
以前、守る会は、やった事があるのだが、逃亡者の私は、組織を変え、中途半端になってしまっていた。
今日のお掃除場所は、初めてのところで、迷子になりそうになりながら、掃除機の、延長コードとの、格闘をした。
墨文を出ると、右手には、スカイツリーがどーんとそびえ立っている。
私は、スカイツリーに向かって歩く、この道が好きだ。
ほとんど夜の会合なので、ライトアップされている。
昼間、歩くことは、めったになく、景色も違って見える。
ソラマチを通って、お店を、見ていたら、急に足がかゆくなってきた。
ナイロンアレルギーっぽく、タイツをはくと、かゆくなることがある。
慌てて、家に帰って、かゆくてかゆくて、掻いていると、ジンマシンのようになってきた。
アトピーなどの、症状をもっている人の辛さを痛いほど知った。
花粉症と、アレルギーの養父に、セレスタミンをもらって、服用したら、かゆみは止まったものの、眠くて眠くて仕方がなくなった。
テレビを見ながら、横になっていると、ウトウト。
もう、起きていられない。
たっぷり、昼寝をしたら、今度は、無性におなかがすいた。
早めの夕食をとって、協議会へ。
ここでもまだ眠い。
唱題会で眠い人の気持ちも分かった。
どうか、唱題会の時は、黙って、寝ていただきたいなと思う。
お題目が重いと感じられる時、何人かの方が居眠りをしていることが多い。
養父もよく、眠そうにしている。
薬のせいなのかな?と思ったら、今後、怒らないで済みそうだ。
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by tomotiyoo | 2014-01-08 00:00 | Comments(43)

ついに勝ったね

昨日の聖教、太陽の励ましは、岐阜での出来事。
77年(昭和52年)ころから、不知恩の坊主がお講の席で暴言を吐き、学会員を別室に連れて行っては、脱会をそそのかすようになった。
壮年・婦人部の本部長として、同志をを守った功労者がいる。
「こういう方々がいてくださったからこそ、今日の学会の大発展があることを、絶対に忘れてはならない。」と、池田名誉会長。

もともと寺が好きだった私。
常泉寺・本行寺・妙縁寺と3つの寺がある墨田の地に、私は住んでいる。
私の、ご受戒は、本行寺。そして、結婚式の時の僧侶も、本行寺から来た。
折伏した人6人のご受戒は、常泉寺。
夜中でも、受戒を行ってくれていたという、妙縁寺。
それぞれ思い出がある。
なかでも、常泉寺の早朝勤行には、随分と通った。
高校受験の時には、毎週日曜日は、同級生と一緒に通った。
彼女は、いつも私の家に迎えに来てくれていた。
冬の、寒いさなかである。5時半と言えば、あたりは、真っ暗だ。
今考えると、たまには、私が迎えに行けばよかったと、反省する。
高校生の頃だっただろうか。
1階のテーブルに、1冊のノートが置かれ、法華講、学会員ともに、自由に書いていた。
そこには池田先生の悪口も、書かれていた。
何が起こっているのか、私には、わかるはずもない。
でも、一生懸命、ノートに反論した。

同志の、葬儀の際には、母たちは、とても、坊主に気を使った。
ご本尊様が、揺れているといって、なかなか勤行しなかった坊主もいる。
送り迎えを、しているのにもかかわらず、お車代として、お金を包んでいた。

静岡の、清水では、応援させていただき、地方折伏ができ、ご受戒の前、題目をあげていたら、電気を消されたこともある。

学会は、そんな、宗門から離れて、20年以上経った。
そして今年、世界広布新時代開幕の年を迎えた。
どこまでも、師と共に、全国、全世界の共と友情を広げ、励ましの連帯を築いていきたい。
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by tomotiyoo | 2014-01-06 22:00 | Comments(23)

好きな言葉

努力したからといって、報われるわけではない。
でも、努力をしないと報われない。

嫉妬と忘恩は悪魔的
私は私の道を行く

なぜ憎み合うのか
僕らは、同じ地球によって運ばれる、連帯責任者だ。
サンデグジュペリ

哲学はこの広大な
誰かの役に立てないかと言うこと
糸川英夫

雪のひとひら 砂一粒も
二つと同じものはない
わかってほしい
あなたという存在もたったひとつ
宇宙は無限の可能性の中から、あなたをこの世に選び出した
わたしという存在が、奇跡であると 宇宙は教えてくれました
アメリカ先住民

他人の失敗を指摘する間もないほど、自己の向上に専念すること。
池田大作

インディアンの言葉

勇気だけは、どんなに年をとっても、経験をつんでも毎日勇気を持って生きようと過ごさない限り、もつことができない

褒められる中で育った子は、いつも感謝することができます

心で尋ねれば、心からの答えがもらえる

弱い自分を認めることができるというのは、本当は強い人間と言うことなのだ

口論を正当化することはできない

知恵を子供に与えてあげれば、その知恵を子供は一生涯にわたって、使うことができる




この言葉 一つ一つを、心に刻み、今日からまた新しい一歩を、皆さんと共に歩んでいきます

♪あなたと歩いていきたい 信じたこの道を
 どんな困難だって、乗り越えていけるから♪
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by tomotiyoo | 2014-01-06 03:54 | Comments(29)

さあ 何て読む?

御書に出てくる漢字です。
御文が出てれば、分かりやすいかもしれないけど、そこまで、きちんとしてなかったの。
ごめんなさい。
頭の体操と、思ってね。

谷れり 
粗 
良に 
墓ない 
将て 
所似  
数ば 
山人 
海人 
縦にし 
注し置く 
有しき 
飜える 
厭う 
分身 
情 
災兵 
哀む 
有さず 
石女 
曲意 

私は、蛆虫 が読めなくて、(もちろん上の字 全部読めなかったけど)ある教学部の方に電話したのが、その方との交流の始まりでした
その方、前後読んでくれる?と言って、私が読むと○○むしだよと、教えてくださいました。
うわー教学の神様 驚愕の神様 なーんて 
今考えると、うんうん 読めるよね 納得 なんですが、その御書どこだか分からなくなっちゃった
誰か分かったら、教えてー
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by tomotiyoo | 2014-01-05 00:38 | Comments(123)

平和

映画「永遠の0」を見たというコメントをいただき、私は、見ていないのですが、平和を考えるきっかけになればと思い、記事にします。

「今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したい」「私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」「(この)思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります」と高らかに宣言しました(創価ネットより)
皆さんも、よくご存知である、戸田先生の原水爆禁止宣言です。

第三文明 1月号P52~
核時代平和財団会長 デイビッド・クリーガーさん

「核兵器廃絶のためになぜ活動をすべきかの12の理由
①私たちは、世界を変えることができる
⑥私たちは、核兵器によって引き起こされる全面殺戮(さつりく)の脅威を終わらせることができる
⑧私たちは、人間の慣習ともいうべき戦争を起こさない方向へ導くことができる
⑩わたしたちは、思いやりを行動に、そして行動を思いやりに込めることができる
⑫私たちは、核兵器廃絶を達成し未来の人たちへ安全な世界を残すことができる

あなたの選択

残酷な戦争に対して
あなたは声を上げたことが
ありますか

人間は選択する力を持っています
みなさんは、その選択をしたことが
ありますか

今までそうではなかったかもしれない
でも、これからはそうであって欲しい

私たちは共に世界を変えることができる
あなたはその選択をしたことが
ありますか」


もし私が、創価学会の信仰をしていなかったら、戦争を「仕方がないこと」と思っていたかもしれない。
私は、過去、自分自身の事を、「暴力的な平和主義者」と呼んでいた
そんな事は、あってはならないのだ。
言葉と行動が、一致しなくては、誰からも信用されない。
私自身が変わること。
そして、信頼される人になること。
まずは、これを目指そうと思う。

私にできる、平和は何か?
一人一人が、考えるきっかけになれば、幸せです。
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by tomotiyoo | 2014-01-04 00:00 | Comments(98)
早くも1月3日ですね。
大晦日も、お正月も、関係なく、お仕事の人もいらっしゃるでしょう。
♪これも修行ぞ。苦は楽しー♪

私も3年前は、大晦日も元日も夜中の仕事をしていました。
今は、楽しい思い出です。
では、続きです。

本文
いま しょうがつのはじめに ほけきょうを くようし まいらせんと・
今正月の始に法華経をくやうしまいらせんと・
おぼしめすおんこころは きよりはなのさき いけより はすのつぼみ・
をぼしめす御心は・木より花のさき・池より蓮のつぼみ・
せっせんの せんだんのひらけ つきをはじめて でるなるべし・
雪山のせんだんのひらけ・月の始めて出るなるべし、
いまにほんこくの ほけきょうを かたきとして わざわいを・
今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを
せんりのほかより まねきよせぬ これをもって おもうに いま・
千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今
また ほけきょうを しんずるひとは さいあいを ばんりのほかより・
又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外より
あつむべし かげは たいより しょうずるもの ほけきょうを・
あつむべし、影は体より生ずるもの・法華経を
かたきとするひとの くには たいに かげの そうがごとく・
かたきとする人の国は体に・かげのそうがごとく・
わざわいきたるべし ほけきょうを しんずるひとは せんだんに・
わざわい来るべし、法華経を信ずる人は・せんだんに・
かおばしさの そなえたるがごとし またまた もうしそうろうべし・
かをばしさのそなえたるがごとし、又又申し候べし。
しょうがついつか にちれんざいごはん・
正 月 五 日 日 蓮 在御 判
おもんすどのの にょうぼうごへんじ・
をもんすどのの女房御返事

現代語訳
今、正月の初めに、法華経を供養しようとする心は、木より花の先、
池より花のつぼみ、せっせんの、
今、日本の国は、法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せている。
このことから考えると、今また、法華経を信ずる人は、幸いを万里の外から集めるだろう。
影は体から生ずるものであり、法華経をかたきとする人の国は、体に影を添うように、わざわいがくるだろう。法華経を信ずる人は、栴檀によい香りが、具わっているようなものだ。

講義
御本尊を信じ、懸命に生き抜く人は、必ず幸せになる!
絶対に、幸福にならないはずがないのだ。
こう御本仏・日蓮大聖人が約束してくださっている。
今がどうあれ、いな、これまでがどうあれ、真面目に信心を貫く人は、これ以上にないという無量無辺の福運に包まれ、大満足の人生を勝ち飾ることができる。
自分ひとりだけの、利己主義の幸福だけではない。自他共に尽きることのない、さいわいに包まれていくのです。
どんな人も、一朝一夕で幸せになったわけではない。
皆、苦労した。皆、必死だった。
泣きながら、題目を唱えた夜もあった。
しかし、断じて、絶望の涙ではない。「絶対に負けない!」「必ず幸せになる!」と勇気を奮い起こし、不幸の闇を転じ、希望と幸福の太陽を昇らせてきた。
自分だけではない。周囲の人たちも照らしゆく宿命転換のドラマを、日本中、世界中で演じてきた。これが創価の勝利劇だ。
法華経に明かす「生命尊厳」「人間尊敬」の思想か、「生命軽視」
「人間軽賤」の、冷酷無慈悲なのか、そうした対比といえる。
コスイギン首相から、「あなたの根本とする思想は何か」と尋ねられた際、
私は「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」と即答した。
牧口先生は、“人生の幸福は価値創造にあり”と洞察された。
信ずる我が同志よ!
愛する我が青年たちよ!
新たな広宣流布の誓願に燃え立ちながら、今年もまた、共々に、勇気凛々と戦おうではないか!と

※ちよより
私も戦うぞー!
共々に戦おう!
そしてまた、1年の締めくくりには、みんなで功徳の体験を語り合おうね
今年もよろしくお願いします
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by tomotiyoo | 2014-01-03 00:00 | Comments(117)

楽しそう

楽しそうだから、こっちくるー?
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by tomotiyoo | 2014-01-02 21:31 | Comments(48)
昔は、毎年、先生の誕生日は、本部へ行ってました。
暮れに、誕生日プレゼントを選ぶのが、楽しみになっていました。
からくり時計は、札幌創価幼稚園に飾って頂けるとのご伝言に、いつか行こうと思いながら、そのままになっている事を思い出しました。
早く、経済革命をして、どこにでも、好きな時に行ける様になりたいです。

では昨日の続きです。 

本文

そもそも じごくとほとけとは いずれのところにそうろうぞと・
抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞと

たずねそうらえば あるいは ちのしたともうす きょうもんもあり あるいは・
たづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は

せいほうとうともうす きょうもそうろう しかれども いさいにたずね・
西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね

そうらえば われらが ごしゃくのみのうちに そうろうとみえてそうろう・
候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、

さもや おぼえそうろうことは われらが こころのうちに ちちをあなずり・
さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり

ははを おろかにすることは じごく そのひとの こころのうちにそうろう・
母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候、

たとえば はすのたねのなかに はなと かとの みゆるがごとし・
譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし


現代語訳

さて、地獄と仏とは、どこに存在するのかと捜し求めてみると、あるいは、地の下にあるという経文もあり、あるいは、仏は、西方等にいらっしゃるという経もある。
しかし、さらに徹して探求してみると、私たちの五尺(151.5センチメートル)の身の内に存在すると説き示されている。
確かにそうかもしれないと思われることは、私たちが、自らの心の中を見た時に父を侮り、母をおろそかにしていることは、地獄がその人の中にあるということだ。
たとえば、蓮のたねの中に、花と みが具わっているようなものだ。

講義

凡夫の眼から見て、1番かけ離れた地獄と仏は、実は全部、一つの心に具わっている。
大聖人は明解に、地獄も仏も、我等が、心の内にあると仰せである。
我等とあるように、大聖人ご自身をはじめ、全ての人の生命に厳然と具わっている。そこに、なんの区別も差別もない。
この十界互具の法理のうち、地獄界が己の心に具わる例として、父を侮り、母をおろそかにする人の心にこそ、地獄があると仰せです。生命の因果の法則は峻厳だ。

本文
ほとけともうすことも われらのこころのうちに おわします たとえば・
仏と申す事も我等の心の内にをはします・譬へば

いしのなかに ひ あり たまのなかに たからのあるがごとし われら・
石の中に火あり珠の中に財のあるがごとし、我等

ぼんぷは まつげのちかきと こくうのとおきとは み そうろうことなし・
凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、

われらが こころのうちに ほとけは おわしましけるを・ 
我等が心の内に仏はをはしましけるを

しりそうらわざりけるぞ ただし うたがいあることは われらは ふぼの・
知り候はざりけるぞ、ただし疑ある事は我等は父母の

せいけつ へんじて ひととなりてそうらえば さんどくの こんぽん・
精血変じて人となりて候へば三毒の根本

いんよくの みなもとなり いかでか ほとけは・ 
婬欲の源なり、いかでか仏は

わたらせたもうべきと うたがいそうらえども また うちかえし・
わたらせ給うべきと疑い候へども・又うちかへし・

うちかえし あんじそうらえば そのゆわれもや と おぼえそうろう・ 
うちかへし案じ候へば其のゆわれもやとをぼへ候、


現代語訳

仏というも私たちの心の中にある。たとえば冷たい石も打てば、火を放つ。
まつげが近すぎて見えず、虚空があまりにも遠すぎて見えない。
我等が、心の中に仏界があるという真実が、多くの人には信じられない。
私たち、凡夫の汚れた肉体、心の中に、仏がおられるのを知らないでいたのです。
ただし、疑問に思うことがある。
私達は父母の精子と卵子が変じて人間となったのであるから三毒の根本の、色欲の根本だ。凡夫の身にどうして、貴き仏がおられることかと疑うが、繰り返し、繰り返し、重大な課題を考えてみると、その道理もなるほど思える。

本文
はすは きよきもの どろよりいでたり せんだんは こうばしきもの・
蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物

だいちより おいたり さくらは おもしろきもの きのなかより・
大地よりをいたり、さくらはをもしろき物・木の中より

さきいず ようきひは みめよきもの げじょのはらより・
さきいづ、やうきひは見めよきもの下女のはらより

むまれたり つきはやまよりいでて やまをてらす・
むまれたり、月は山よりいでて山をてらす、

わざわいはくちよりいでて みをやぶる さいわいは こころより・
わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心より

いでてわれをかざる・
いでて我をかざる。

現代語訳

蓮は清らかなものですが、泥の中から生まれ出る。
栴檀は、香りのいいものですが、大地から、生ずる。
桜の花は、趣のあるものだが、木の中から咲き出でる。
楊貴妃はきれいですが、身分の低い女性の腹から生まれている。月は山の端から出て、山を照らす。禍は口から出て身を破る。幸いは心から出て、自分を飾るのです。


講義

蓮は、何千年も泥に埋もれていても時を得て芽生えつぼみをつける。
桜の木も厳冬の寒さを乗り越えて、爛漫と花開く。
どのように厳しい状況にあっても、必ず必ず幸福の花が咲き出て、自身を飾っていける。
もともと具わっている可能性が現れ、開花する、ダイナミックに働き始める。
私たちが感ずる人生の不幸や幸福の原因は、心の外にあるのではなく、どこまでも、われらの心の内にある。

つづく

※ ちよより
わざわいは、口より出でて、身をやぶる
昨年は、九思一言(くしいちごん)という中国の孔子の言葉を、勉強させていただきました。
九思とは君子が心がけなくてはならない九つの事柄で明・聡・温・恭・忠・敬・問・難・義の事。
この九つの思いを重ねたうえで、一言を言い出すとの意味。
視は明を思い、聴は聡を思い、色は温を思い、貌は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑は問を思い、忿は難を思い、得を見ては義を思う。
他人に、何かを述べる場合にも、どう話したらよいか、それが話してよいものかどうか、9回考え直してから述べたと言う。そのくらい、言葉、振る舞いというのは大事なのだ。と
口から生まれてきたような、私。
おいおい と思う時は、どうか、優しく教えてくださいね。
今年もよろしくお願いします
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by tomotiyoo | 2014-01-02 00:00 | Comments(58)

世界広布新時代開幕の年

あけましておめでとうございます
年賀状代わりに、大白1月号P28
もうお読みかとは、思いますが池田名誉会長講義の抜粋で、お贈りします。
御書と、大白をお持ちの方は、それでお読みになってください

むしもちごしょ
十字御書
新しき一年 希望と幸福の花を爛漫と
「世界広布新時代」が晴れ晴れと開幕。
「人生には、希望がなくてはならない」恩師戸田城聖先生は、ある年の新春に寄せて、こう力強く訴えた。
自他共に、輝かしい希望とほうじょうなる幸福に満ちあふれた一年に。

背景と大意
本抄は、弘安4年(1281年)のご執筆と推定される。本抄を賜った重須殿女房は、駿河の国重須郷(現、富士宮市)の地頭・いしかわしんひょうえ よしすけの妻で、南条時光の姉にあたる。
南条時光は、大聖人門下であることから、権力者から圧迫され、思い雑税や、ぶやくを課せられて困窮していた。重須殿女房は、弘安元年春、愛娘を病気で失っていた。
愛娘は、ひめ御前は未婚の若い女性であったようで、生前、幾度となく大聖人にお手紙を送り、ご指導を戴いていた。亡くなる直前にも。「これが最後のお手紙になるでしょう」と大聖人に臨終正念の澄み切った心をお伝えしていた。

上野殿御返事 p1545に

「さんがつの じゅうしごや げにて そうらいしやらむ おんふみありき.
三月の十四五やげにて候しやらむ御ふみありき、
このよのなかを み そうろうに やまいなきひとも こねんなんどを.
この世の中をみ候に病なき人も・こねんなんどを
すぐべしとも みえそうらわぬゆえ もとより やまい ものにて.
すぐべしともみへ候はぬ上・もとより病ものにて
そうろうが すでに きゅうになりてそうろう さいごの.
候が・すでにきうになりて候さいごの
おんふみなりと かかれてそうらいしが されば ついに はかなく.
御ふみなりと・かかれて候いしが、されば・つゐに・はかなく
ならせたまいぬるか.
ならせ給いぬるか。」
とある。

むしもち御書 p1491 

本文

むしもち いっぴゃくまい かし ひとこ たまいおわんぬ しょうがつの.
十字一百まい・かしひとこ給い了んぬ、正月の
ついたちは ひのはじめ つきのはじめ としのはじめ はるのはじめ.
一日は日のはじめ月の始めとしのはじめ春の始め・
これをもてなすひとは つきのにしより ひがしをさして みつがごとく.
此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく・
ひのひがしより にしへわたりて あきらかなるがごとく とくもまさり.
日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく・とくもまさり
ひとにも あいせなりそうろうなり.


現代語訳
むしもち百枚 果物ひとかごを頂戴しました。
正月の一日は、日の始めであり、年の始めであり、そして春の始めであります。この正月一日を正法をもって祝う人は、月が(その出る位置が)西から東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡っていくにしたがって
明らかになるように、徳も勝り、また人々にも愛されるのです。

講義
正月を祝う真心の供養
十字と書いて、むしもちと読むのは、分けやすくするために、もちの表面に十字の切れ込みを入れたから。
正月一日は、春のはじめ。
誰でも、清い新しい決意で、1年を始めることができる。
自身をいわば本因妙の精神に、目覚めさせる、好機になり、我が生命が喜びに躍動しないわけがない。
毎日が元日であり、最高に充実した人生を歩んでいくために信心だ。

つづく

※ちよより

むしもちって、パリッともちに似てるのかな?とお馬鹿なことを正月早々思い、
ユーモアとふざけは違いますよの、言葉を思い出しました。
いまだによく分かっていません。
それはふざけだよという事がありましたら、どうか今年も遠慮なくご指摘ください。
「ひとにも あいせなりそうろうなり」
嫌われてなんぼの私だったけど、愛されなくてはいけませんね。
どうぞ、今年もよろしくお願いいたします
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by tomotiyoo | 2014-01-01 00:00 | Comments(121)

ちよが、本音で語るブログです


by ちよ