真実を語る

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ちよが、本音で語るブログです

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対話

どうぞ
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by tomotiyoo | 2014-02-14 00:37 | Comments(201)

お風呂

「俺、鶴の湯 俺 松の湯 俺 ♪オンリーユー」
なーんて お馬鹿な話が 欽ちゃんに あったのです。
欽ちゃん って知ってるー?
そういう時代に なっちゃったよね
「コント55号」と言う 今で言うお笑いコンビがいて、その相方 、欽ちゃんがやっていた番組で、そんなお馬鹿な事をやっていました。
昭和の時代。 みんな 貧乏でした。
池田先生も、寒くてもオーバーも買えなくて、靴下は穴が開いてて、そんな時代だと聞いています。
先生、皆と一緒に 銭湯に行くんですよ。
皆と 一緒に 語り合うんですよ
ある時は、星を見上げ ある時は、友の苦しみを わが苦しみと知りながら。

おっと

めっちゃ 話が落ちますが
私が子供のころ。父と一緒に 男風呂に行くんです。
そこで、私 深い風呂に落っこちちゃいました。
他の、どこかのおっちゃんが、助けてくれました。
私は、何回も、死にはぐれています。その度に思います
私が、死ぬはずがないと。
何なんでしょうかね?よくわかりませんけど、いつも そう思うんです
それを、元の旦那様と、私の友達は、お母さんの信心に守られているんです
そう 言うんです。
きっと、そうなんだろうなと、今 思っています。
お風呂の話、これ以上言うと ちょっと悲しい話になるんで 今日はやめておきましょう
久しぶりに 温泉 行きたーい
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by tomotiyoo | 2014-02-14 00:26 | Comments(9)

こんなの見つけた

http://www.youtube.com/watch?v=zL9GzM7dQi4

あいのうた

なぜたか泣ける歌だったんだな

http://www.youtube.com/watch?v=xqWoG-msccI

18年ほど前に見た映画
眠れない人 明日暇なら、見てみて
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by tomotiyoo | 2014-02-13 00:02 | Comments(4)

対話

どうぞ
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by tomotiyoo | 2014-02-13 00:00 | Comments(47)

一闡提(いっせんだい)

実父の知人で一闡提と呼ばれていた人がいた。
一闡提とは、本来は、欲求しつつある人の意で、真理を信じようとしない快楽主義者や、現世主義者をさした。
仏法では、悟りを求める心がなく、成仏する機縁をもたない衆生。謗法の重罪を悔い改めないもの、不信、謗法のもの。

立正安国論 p27には

すなわち ねはんぎょうに いわく. 
即ち 涅槃経に 云く. 

「ほとけの いわく ただ ひとりを のぞいて よの いっさいに ほどこさば みな さんたんすべし. 
「仏の 言く 唯だ 一人を 除いて 余の 一切に 施さば 皆 讃歎す可し. 

じゅんだ とうて いわく いかなるをか なずけて ゆいじょ いちにんと なす. 
純陀 問うて 言く 云何なるをか 名けて 唯除 一人と 為す. 

ほとけの いわく この きょうの なかに とく ところの ごときは はかいなり. 
仏の 言く 此の 経の 中に 説く 所の 如きは 破戒なり. 

じゅんだ また いわく われ いまだ げせず ただ ねがわくば これを ときたまえ. 
純陀 復た 言く 我 今未だ 解せず 唯 願くば 之を 説きたまえ. 

ほとけ じゅんだに かたって いわく はかいとは いわく いっせんだいなり. 
仏 純陀に 語つて 言く 破戒とは 謂く 一闡提なり. 

その よの あらゆる いっさいに ふせすれば みな さんたんすべく だいかほうを えん. 
其の 余の 在所 一切に 布施すれば 皆 讃歎すべく 大果報を 獲ん. 

じゅんだ また とい たてまつる いっせんだいとは その ぎ いかん. 
純陀 復た 問い たてまつる 一闡提とは 其の 義 何ん. 

ほとけ いわく じゅんだ もし びく および びくに うばそく うばい あって そあくの げんを はっし しょうほうを ひぼうし その じゅうごうを つくって ながく かいげせず こころに ざんげ なからん. 
仏 言わく 純陀 若し 比丘 及び 比丘尼 優婆塞 優婆夷 有つて ソ悪の 言を 発し 正法を 誹謗し 是の 重業を 造つて 永く 改悔せず 心に 懺悔 無らん. 

かくの ごとき とうの ひとを なずけて いっせんだいの みちに しゅこうすと なす. 
是くの 如き 等の 人を 名けて 一闡提の 道に 趣向すと 為す. 

もし しじゅうを おかし ごぎゃくざいを つくり みずから さだめて かくの ごとき じゅうじを おかすと しれども. 
若し 四重を 犯し 五逆罪を 作り 自ら 定めて 是くの 如き 重事を 犯すと 知れども. 

しかも こころに はじめより ふい ざんげ なく あえて はつろせず. 
而も 心に 初めより 怖畏 懺悔 無く 肯て 発露せず. 

かの しょうほうに おいて ながく ごしゃく こんりゅうの こころ なく きし きょうせんして ことばに かぐ おおからん. 
彼の 正法に 於て 永く 護惜 建立の 心 無く 毀呰 軽賎して 言に 過咎 多からん. 

かくの ごとき とうの ひとを また いっせんだいの みちに しゅこうすと なずく. 
是くの 如き 等の 人を 亦た 一闡提の 道に 趣向すと 名く. 

ただ かくの ごとき いっせんだいの やからを のぞいて その よに ほどこさば いっさい さんたんせん」と. 
唯 此くの 如き 一闡提の 輩を 除いて 其の 余に 施さば 一切 讃歎せん」と. 
(ひらがな御書より)

その人は、母を折伏してくれた人の、旦那さんで、実父と同業者だった。
子供のころ、家族には嫌われ者のその人だが、私のことは、どういうわけか、かわいがってくれた。
下町の一角のその家は、母屋と、離れがあって、中庭には、柿の木やイチジクなどが、植えられていた。
渡り廊下の途中に、お風呂があったりと、そこは、別世界だった。
その人は、奥さんが信心することを反対し、ご本尊様にまで、手をかけるような人だった。
随分と、暴力も振っていたようだ。
次女が嫁にいき、その奥さんは娘夫婦の家に、ご本尊様をご安置し、同居することになった。
奥さんは、至れり尽くせりの晩年を過ごした。

その頃、彼も年をとり、すっかりいいおじいさんに変わっていた。
選挙も応援してくれるようになり、座談会にも出席するようになる。
10年ほど前の、2月のこと。
我が家では、毎週のように、支部10時間唱題会が行われていた。
そのさなかでの、座談会。
母は、その人を座談会に連れ出す。
当時の支部長が
「○○さん、そろそろ、私たちの仲間に入りませんか?」
と、握手をしようと手を伸ばすと、
「はい、よろしくお願いします」
と、手を差し出すじゃありませんか。
耳の遠くなっているその人に、母は
「○○さん、創価学会に入ろうと言ってるんですよ」
と、まさかそれは聞き間違いだとも言うように、念を押した。
「はい。よろしくお願いします」
ひょうたんから駒のような話である。
そして、めでたくご本尊様をいただくのであった。
その、吉報を聞き、奥さんはその後霊山へと旅立つ。

その後、長女の家族と同居し、最期を迎えるのであるが、そのとき私は、バカボンパパと一緒に、冠婚葬祭の仕事をしていた。
その人を、仕事として、見送ることになる。
霊柩車で、運ばれた、その人の手は、布で軽く結わかれていた。
運転手に聞くと、掌を組んでも、やわらかくて、だらりとなってしまうという事だった。
眠っているかのようなその人の、掌の布を、ほどいた。
生きているときと変わらない、柔らかな手だった。
家族葬で送り、うちの母に、最後のお別れの言葉を言ってもらった。
「○○さんは、学会に奥さんをとられてしまったような、錯覚に陥ってしまったんでしょうね。
来世は、仲良く、学会家族として、生まれてきますね。
そのうちお邪魔しますが、それまで2人で仲良くやってください」と
長女が、号泣した。
いやなおやじのまま、死んでくれれば、こんなに悲しくなかったのに。と
いくつになても、人は変われるのだ。
新たに、入会するって事は、悔い改めて、出直すって事でしょ。
どんなに過去が悪くても、心からその罪を悔い改めれば、成仏できることを、目の当たりにした出来事であった。
ご本尊様って、ほんとにありがたいね。


 
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by tomotiyoo | 2014-02-12 00:01 | Comments(22)

対話

そう言えば、ファーストペンギンの話
誰も答えてくれなかったね
寂しい
2月10日の 名字の言を読んでね
もう一度聞きますよ
ファーストペンギンになる人?
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by tomotiyoo | 2014-02-12 00:00 | Comments(40)
大好きな大好きな、戸田先生のお誕生日
そして「戸田記念国際平和研究所」発足の日 おめでとうございます。
戸田先生は、1900年(明治33年)石川県で生まれた。
生きていれば、114歳?ですかね。
私の実の父と、10歳違いだ。今更ながらにへー。

最初に戸田先生の声を、レコードで聞いた時は、とってもショックだった。
その内容
「ご本尊様も紙だ。紙に力ががない?そんな事はない」
って言うようなことだったと記憶している。
その話し方や、声に、私は、ショックを覚えたのであった。
なぜか?
それは、池田先生から、聞いていた、私の勝手な想像と、あまりにもかけ離れていたからだ。
言葉では、どうも伝えにくいのだが、子供のときの感覚は、池田先生の師匠だもの。きっと、こんな声で、こんな話し方というものが、自分の中に、無意識にふくらんでいったのであろう。
戸田先生の、人間革命を読んで、戸田先生のイメージが、私の中でピッタリとあうようになる。

そして、今、戸田先生の御書講義、質問会を聴くたびに、笑いと、涙であふれるのは、なぜだろう。
以前、私は、池田先生よりも、戸田先生のほうが、もっと、好きだった時代がある。
当時の幹部は、ちよちゃんが、境涯が上がれば、池田先生の偉大さがわかるようになると言われた。
牧口は、講義で戸田は将棋。とか、お酒が好きだったとか、豪快なところが好きだったのかな?
池田先生が、戸田先生の理想を、全て実現したからこそ、戸田先生の素晴らしさがわかるというものなのだ。
師匠の正義を、語るのが、私たち弟子の使命。

輝く子どもと人間教育━「教育のための社会」へ p46より
戸田先生が、北海道夕張の真谷地(まやち)小学校の教員時代の話。

「戸田「どうしたの」
タケ 「何でもないの」
戸)「本当かな」
タ)「うん」
戸)「タケ、先生に何でも言うんだよ」
タ)「ユリはいいな。百合で美しい名前だもん」
戸)「ははん。わかったぞ。タケよりもユリの名がいいと思っているんだろう」
タ)「うん」
戸)「馬鹿だな。タケ、竹は真っすぐで率直だからいいんだぞ」
武子の顔はみるみる明るくなった。」

私の小学校の担任の先生
ちよの ちは ちびのち
ちよの よは ようちのよ
それでも、その先生。年に何回か、聖教新聞を購読してくれる。
40年以上たっても、変わらないな と言われる、ちよであった。
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by tomotiyoo | 2014-02-11 00:05 | Comments(11)

対話

戸田先生の、人間革命も 是非読んでみてください。
楽しいですよ。
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by tomotiyoo | 2014-02-11 00:00 | Comments(86)

義父

私には、父が3人いる。
実父 義父 養父 
今考えると、なんて、恵まれているのかと思う。
義父には、家を建てるとき、保証人になってもらおうと思っていた。
しかし、断られた。
自分たちだけでできない事は、しないほうがいい。
時期尚早と言う事だ。
そして、家が建ち、新築祝いに来てくれた。
あの時反対されなかったら、もう少し狭いところに、住まなくてはならなかった。
義父も、お酒が好きだ。
よくカラオケにも一緒に行った。
その日も、家から、もう1件行こうという話になり、私だけ、後片付けをして、後から行くことにした。
仏壇に上げた、お祝いを覗いて見た。
私は、商品券か何かかと思っていた。
現金である。帯がついていた。
100万だ。
思わず、涙があふれた。
義父も、新築の家を、喜んでくれたのだと思った。
ある日、食事に行くと、映画を見た帰りだという。
どんな映画だったの?と聞くと、あんたの事だよと 一言。
映画の題名は あ げ ま ん
見ていないのでなんともいえないのだが、私は、一生のうちでこれほどの、褒め言葉をもらったことがないと思っている。
義父は、C型肝炎から、肝硬変、肝臓がんになった。
もともと糖尿ももっていた。
かたや、栄養を取らねばならない病、かたや、栄養を取ってはいけない病。
義母の、心労は、計り知れなかった。
よくなったら、また、温泉でも行こうと、誘ったが、俺を殺す気かと怒鳴られた。
それでも、私とは、気があっていたような気がする。
最期には、ご臨終といわれたあと、また体が動いた。
何と言うことなのだろう。
葬儀の際、皆で遺影の写真を選んだ。
カラオケで、私の隣でにこやかにしている写真。
一番、いい顔をしていると思った。しかし誰もそれを選ぶことはなかった。
葬儀の日、義父の姉妹は、うちに泊まることになった。
夜遅くまで、思い出話に花が咲いた。
たまには、おいしい日本酒 一緒に飲みたいね。
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by tomotiyoo | 2014-02-10 00:30 | Comments(7)

対話

昨日の唱題 正解は 7時間半でした。
大野さん、またお弁当 期待してがんばります
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by tomotiyoo | 2014-02-10 00:21 | Comments(60)

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by ちよ