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心の病で悩む同志(とも)へ
私は、唱題の時、必ずすることがある。
お題目をあげながら、過去を、思い出すのだ。
途切れ途切れの記憶を探り、その時の辛さを忘れないようにしている。
それは、いつしか自分が傲慢になり、感謝の気持ちを忘れないようにする為、
そして、同じように、心の病で悩めると同志(とも)に、寄り添いたいと思うからだ。
行間を空けておきます。
エンパス体質の方は、読むのを控えるか、気をつけて読んでください。

























私の場合、何もできなくなった。
あれはいつごろの事だろう?
阪神淡路大震災 (1995年1月17日午前5時46分52秒に発生した大地震)
地下鉄サリン事件(1995年3月20日)
その頃私は、人形町の業界紙の会社で、経理事務の仕事をしていた。
祈って入社した会社である。
給料、ボーナス、勤務時間、通勤時間すべて、思い通りの会社だった。
たった一つ祈っていなかったこと。
それが人間関係だった。
バブル期の頃、人間関係に悩んだことがなかった。
9時から5時まで仕事をし、退社後は、学会活動、友好活動といつも楽しくやっていた。
毎日乗る通勤電車は、先生へのバッシングが、続けられていた。
そして、会社でも、事あるごとに、学会に対しての、攻撃がされていた。
私は社長、副社長、経理部長と3人の、攻撃の的となった。
それでも、一緒に働く先輩は、聖教新聞の体験談を好み、長期購読者になってくれた。
私には、その先輩と、同僚のお陰で、嫌なことがあっても、なんとか負けずに
勤務することができていた。
家も新築し、我が家で会合をするようになっていた。
当時の、全国婦人部長もみえた。
理事長もみえた。
支部の人たちも、大変喜んでくれた。
だれが、見ても、私達夫婦を羨んだ。
だが私だけ、違っていた。
会社から帰ると、わけも無く涙が溢れた。
真っ暗な部屋で、一人泣いた。
やる気がなくなった。
眠れなくなった。
テレビは、いつもオフタイマー。
あと5分と表示が出て、また、延長する。
内容は、全然分からない。ただ、音だけがする。
たまに、夜中に電話が鳴る。
いつもの、スナックのママだ。
新聞が来てないよ。
時計を見る。まだ、2時だ。
最初の頃は、朝まで待っててね と優しい声もかけられたのだが、何時だと思っているのよ。
いいかげんにして、と私の声も、怒鳴り声。
病んでいたのも気づかずに、ただの酔っ払いと思っていた。
やっと眠れたと思うと、朝だ。
朝になると、吐き気がする。
新聞を配る。
外に出たくない。
それでも、新聞配達だけは、続けた。
やがて、3階から2階の会場に行けなくなっていった。
そして、勤行唱題ができない日が増える。
会社へいけなくなる。
家事ができなくなる。
1階へ行けなくなる。
3階にトイレはあったものの、洗面所、台所、風呂は1階だ。
歯が磨けなくなる。
お風呂に入れなくなる。
幸い、母がいたので、料理、洗濯などは、母がしてくれた。
朝食は、もう何年も摂っていない。
お盆に載せた食事を、毎日お昼に母が、3階まで届けてくれた。
その母が憎い。
母のせいだと思った。
食欲だけはあった。
ブクブク太った。
会社を辞めた。
横になっていることが、多くなった。
しかし、週に3回の夜のバイトだけは、続けられた。
きっと私の場合、躁鬱だったのであろう。
躁状態で、出会ったのが、バカボンパパだ。
私の、折伏精神の炎だけは消えていなかった。
彼の、悩みを聴いた。
新聞啓蒙した。
すぐにいい返事をもらえた。
しかし、会合に出ていない私。
啓蒙用紙も書かず、そのままになって約2ヶ月。
平成10年2月9日に入会となる。
大してお題目もあげていないのにね。
簡単にできたよ。
きっと、伝統の2月、組織では、うんと お題目あげていたんだろうね。
つづく
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by tomotiyoo | 2014-03-18 13:44 | Comments(30)

なかなか折伏実らず

負け惜しみに聞こえるかも?ですが、入決と言うのは、あまり好きではありません。
もう、何年も前の事ですが、仏壇の横に、入決カードが、ずらり。
その中には、Оさんのもありました。
引越しの際、全て処分しましたが、折伏は今も、続行中です。
人は目に見えないものを、報告することが難しいので、どうしても、数や目に見える形で、報告します。
人間革命にも、確か、折伏から帰ってきた時、池田先生以外は、みな、結果だけを聞く為に、待っていたというような話があったと記憶してます。
どんな小さいことでも、嬉しいと人に話したくなります。
折伏って、本来は、そういうものなのではないでしょうか?
心が変わった。嬉しい。誰かに話したい。
お題目あげると、こんなに心がイキイキするよ。って。

心が汚れると、人の喜びを、わが喜びに感じられなくなります。
ふーん。そうなんだ。私だって、ちょっとがんばれば、そのぐらいできるわよ。なーんて。これ嫉妬ですね。
怖いです。
以前の私は、こういう心に支配されていました。

離婚して、ここに引っ越してきた時、半分世捨て人のような自分になっていました。
もう、勤行と、座談会だけでいいかな?って思っていました。
もう一度、折伏に挑戦できるなどという事は、考えもしませんでした。
着物も、全て処分し、本や服などもたくさん処分し、下手をしたら、先生から戴いたものも、誤って処分してしまうところでした。

近いうち、姉夫婦が引越しをするそうです。
子供、孫と、同居することになったと。
「池田大作全集いる?」と電話がありました。
うちにあるのは、たったの3冊 18 随筆 36・37の日記
久々に、随筆を、開きました。
2001.5.3 佛教西還の押印が。
この頃は、まだ顔晴っていたんだと、ちょっと安心。

「現代の傲慢
   人間━この不思議なもの
深刻ぶって批判はしても、そういうご当人の顔の非常さには、さっぱり気がつかない。
私は、生まれて40年。わが身が疎外されているとか、人の身が不在であるとか、そんな呑気なことを思ったことは一度もない。
ただ、その実在の、さまざまな様相について、いささか目を凝らしつづけ、現在の人々の一人一人の宿命の転換から、人間の宿命の転換を可能にすることによって、切迫しつつある地球上の悲惨を、なんとしても叩きつぶそうと祈りつつ、懸命に努力しているつもりである。
ともあれ、現代人は、傲慢さを捨て「生命」「人間」に関する探求に、謙虚でなければなるまい。」
(昭和44年1月「PHP」掲載)より抜粋。

私がかつて、ダメになったのは、この「傲慢」なのだろう。
以前、友人が、私に言ってくれた言葉。
「ご自分の娑婆世界での振舞いにご自信がおありなのでしょう。
しかし、それを人に押し付けるのは間違いです。」
思ったことを、率直に言ってくれる友人って、ありがたいですね。
最近、喧嘩していませんが・・・

 「わたしがなりたい自分は、謙虚で感謝できる自分であることだ。――
 自分が偉いのではない。支えてくれている人々が偉いのである。謙虚に感謝し、尊敬しなければならない。傲慢になり、独りよがりになった人間は、必ず堕落してしまうものだ。 池田大作」

このような記事も載せてくれましたね。

感謝をしつつ、折伏がんばるよー。
 
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by tomotiyoo | 2014-03-17 17:10 | Comments(36)

3月16日は「広宣流布記念の日」です。
1958(昭和33)年のこの日、戸田第二代会長のもとに、男女青年部の精鋭6000人が集って「広宣流布の模擬試験」と呼ばれる式典が開かれました。
前年の暮れ、生涯の願業である会員75万世帯を達成した後、病の床にあった戸田第二代会長が、池田名誉会長(当時、青年室長)に「将来のために広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしておこう」と提案して行われたのが、この式典でした。
これは、広宣流布の後事のいっさいを、次代を担う青年たちに託すために、広宣流布の成就を想定した模擬的な儀式を行うことを意味していました。

バトンを青年部に託す
12時40分、池田室長の司会で、式典が始まりました。 戸田会長は、急の知らせを受けて全国から馳せ参じた6000人の青年に対し、「われわれには広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は君たち青年に託しておきたい。未来は君たちに任せる。頼むぞ広宣流布を!」と叫びました。そして「創価学会は、宗教界の王者であります」と、戸田会長が生涯をかけた広宣流布の勝利の宣言をしました。式典は、戸田会長が、広宣流布のバトンを青年たちに託す儀式となったのです。
池田名誉会長は、「3.16」の意義について、次のように語っています
「3.16は、師から弟子への『継承』の日であり、『後継』の弟子が立ち上がる日である。その意味で、この日は、永遠の『出発』の日である」
(創価ネットより)

http://www.youtube.com/watch?list=RD2z3KiZyRdlc&v=2z3KiZyRdlc

携帯の無い時代、電話すら各家庭には、普及していなかったであろう。
貧乏人と病人の集まりと揶揄されていた学会員が、全国から集まるという事は、大変な事であったと思う。
師匠の下にはせ参じる、それこそが、学会魂というものではないだろうか。

わが地区では、この儀式に参加した方が、1名いらした。
その方は、元喜に、今も、折伏精神満々で、一昨年、元小学校の教師の方を、折伏されている。
折伏が、楽しくて楽しくて仕方が無いという、そのご婦人は、生涯青春である。
私も、年は老いても、「私達青年は」と、後継の人たちと共に、学会精神を学び合いたいと思う。
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by tomotiyoo | 2014-03-16 07:33 | Comments(72)

三障四魔

三障四魔とは、正法を信じ行ずるときに、これを阻もうとして起こる三つの障りと四つの魔のこと。
摩訶止観の第五巻には“修行が進み、仏法の理解が深まってくると、三障四魔が紛らわしく入り乱れて競い起こってくる”と述べられている。

三障の「障」とは、障り、妨げということで、信心修行の実践を、その途上に立ちはだかって妨げる働きをいい、煩悩障、業障、報障の三つ。

煩悩障とは、貪り(むさぼり)、瞋り(いかり)、癡(おろか)などの自身の煩悩が信心修行の妨げとなる。
業障とは、悪業(五逆罪や十悪業などが挙げられる)によって生じ、妻や夫、子供などによる妨げ。
報障とは、過去世の悪業の報いとして三悪道(地獄・餓鬼・畜生)等によって起こる障りとなる。国主や父母、社会的な権力者などによる障礙。

次に四魔の「魔」とは、能奪命者、殺者、破壊などと訳されるように、信心修行者の生命の内側から、生命の輝きを奪う働きをいい、陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔の四つの魔。

陰魔とは、信心修行者の五陰(肉体や心の働き)の活動の不調和が信心修行の妨げとなること。
煩悩魔とは貪り、瞋り、癡などの煩悩が起こって信心を破壊する。
死魔とは、修行者の生命を断つことによって修行を妨げようとする魔。
また、他の修行者等の死によって信心に疑いを生ずることも死魔に負けた姿といえる。
天子魔とは、他化自在天子魔の略で、他化自在天王(第六天の魔王)による働き。
この魔は、生命の根本的な迷いから起こるものであり、権力者等の身に入るなど、いろいろな形をとり、あらゆる力をもって修行者に迫害を加える。
以上のように、私たちの仏道修行の途上においては、さまざまな障害や苦難が競い起こる。

では、3月度座談会で、勉強した、宗長にとっての三障四魔とは、何なのか?
兄が、勘当されれば池上家の地位や財産は、弟の、宗長が継ぐ事になる。
貪りでしょうか?
そして親が、極楽寺良寛に相談し兄弟の信心を反対する。
報障でしょうか?
兄弟抄には、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」とあるように、弟の宗長に、三障四魔は優しく呼びかけるのです。
魔は、分断を好みます。
兄弟が団結する事を、阻もうとするのです。

今朝の私はと言うと、陰魔というかたちで、私の体に入り、一日ぐらい休んだってしょうがないよ、バカボンパパに頼めばいいじゃない、そんなかたちで、第六天の魔王になり、私の心に呼びかけたのです。がんばるのと、無理をするのは違う、でも今朝のはがんばれたかも知れません。これは自分自身でしか分かりませんから。

以前、私が退転してしまった時、会社の社長などからの悪口がありましたが、何も信心をやめなければ、会社を首になるという事ではなく、その事で、鬱というかたちで陰魔がおこり、勤行唱題ができなくなったことにより、退転してしまったのです。

191の御書に、魔と言う言葉が出てきます
「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」
そして、魔は天界にすむ とも言われています。
今、考えてみると、私の場合、欲しいものが手に入り、喜んでいる心の隙に、惰性からくる魔というものに、すっかりやられてしまったのかもしれません。
ではどうすれば、この魔を打ち破ることができましょう?
お題目しかないと私は思っています。
欝はある意味何をする気もなくさせる、紛れもなく魔の姿だと思います。
魔は先ほども行ったように、能奪命者、殺者、破壊などと訳されるように、信心修行者の生命の内側から、生命の輝きを奪う働きです。
お題目さえあげられなくなってしまうのです。
では、なぜ私は、その状況から、脱出することができたのか?
それは、折伏以外の何ものでもないと思います。
少し、状態のいいときに、私は、バカボンパパを折伏しました。
そして、そのバカボンパパによって、助けられるのです。
私の、鬱は、家族も受け入れられなかったと思います。
それだけ、一般的に言われていた、鬱になりやすい傾向性の人と、私はかけ離れてみえたからです。
本来なら、旦那さんと共に、乗り越えることだったのでしょうが、共倒れを恐れて、私は、バカボンパパのところに逃げて、また、旦那さんも私を預けるという形になったのです。
バカボンパパは、私の分まで、勤行唱題してくれました。

御書には「此の娑婆世界は耳根得道の国なり以前に申す如く当知身土と云云、一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂を明が故に是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり、」とあります。
耳根得道(にこんとくどう)とは、妙法蓮華経の声を聞くことによって、成仏得道(成道)すること。「耳根」とは、眼、耳、鼻、舌、身の五根のひとつで、声や音を感受する器官およびその能力のことを言います。
もし、どうしても、どうしても、お題目が上がらない状況にあるときは、是非、誰かにお願いしましょう。
必ず、あなたの周りにそういう人がいるはずです。
また、お題目があげられなくて、悩んでいる人がいたら、一緒に唱題してあげましょう。
三障四魔に負けず、自由自在の人生を、共々に、歩んでいきましょう。
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by tomotiyoo | 2014-03-15 20:43 | Comments(20)

B座の体験

http://tomotiyoo.exblog.jp/20646445/
ここで、紹介されている方が、体験発表してくれました。

昭和54年結婚相手が、学会員だった為、結婚と同時に入会しました。
2人の子どもに恵まれましたが、性格の不一致で、離婚。
経済苦で、娘が、中学3年息子が小学校5年の時に、母子寮に入りました。
母子寮に入ってまもなく、都営団地があたり、引っ越してきました。
子供も成人し、いつか、再婚をしたいと思っていました
小Gの勉強会をしていく中で、子どもへ信心の継承をと言うことで悩んでいました
以前から、古くなった、お厨子を仏壇に変えたいと思っていたのですが、ある日仏壇やへ行くと、100年し様の仏壇が売っていました
自分の父が大工だったこともあり、わずかながらの知識ですが、一枚板だし、組み込み式で、細かいつくりが良く、私はその仏壇に一目ぼれをし、欲しいなと思いました。
ちよさんは、
「手ごろなものを早く買って、きちんと勤行できたほうがいいんじゃないの
仏壇やさん また、高いのを売りつけようとしてない?」
と言ってくれました。
「いえいえ これを買ってもらっても、たぶん、またこっちが欲しくなるでしょう
うちは、二つ売れれば 、なおもうかりますがね」
私自身、ローンを組めば、買えない事もないのですが、仏壇やさんには
「しっかりお題目をあげて、買える境涯に自分を変えてから、もう一度来てください。」と言われ、売ってくれませんでした。
いつか手に入れようと思い、名刺だけ置いてきました。
その日から、ちよ宅で9時から1時間お題目をあげるようになりました。
仕事が忙しく、なかなか続けるのは大変でしたが、できたりできなかったりとありましたが半年ほど続けました。
ある日、行きつけの店に行くと、知り合いの方から、結婚相手を探している人がいると聞き、一度会ってみることにしました。
何度か会っているうちに、信心の話をしなければと思っていたら、相手もそう思っていたようです。
後で聞くと、相手の方は、元男子部の副部長。
たまたまテレビで孤独死をやっていて、俺もこのままいったら、孤独死だなと思い、毎日3遍のお題目をあげて、私と知り合ったそうです。
1時間と3遍では、ちょっと不公平な気もしますが、彼は、私に信心の話をしなくてはいけないと思い、かなり悩んでたくさんお題目をあげたようです。
人間的にも優しく、2人の子供とも気が合い、仏壇を買ってくれるとも言ってくれたので、結婚を決めました。
彼が、住む自宅マンションで、暮らすことになり、ベランダから、スカイツリーが正面に見え、晴れた日には、東京タワー、富士山も見えます。
これからは、夫婦二人で、子供が信心していけるよう、がんばっていきます。

補足
長男さんが、おなかにいる時、たくさん題目をあげていたそうです。
帝王切開で、産んだそうですが、へその緒が、首にまつわりついていて、普通分娩だったら、生きてなかったと医者から言われたそうです。
使命ある子、離れても、見守っていきたいと、私達親子は、思っています。
遊びに行くよ、と言ったら、休みの日ならいつでもどうぞって言ってくれました。
ちなみにJさんの引越し先の地区は、地区婦人部長さんが、昔のバカボンパパの相棒で、しらゆり長さんが、私の昔の部員さん。
みんな それぞれがんばってます。
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by tomotiyoo | 2014-03-14 10:00 | Comments(86)

風の強いある日の事。
どこにも行けそうもないし、こんな日は、電話でご機嫌伺いでもと思い、携帯を取り出した。
「あ」 「い」 と、なり、久々 ここに電話してみよう。
バカボンパパが、まず話す。
○○ちゃん 元喜?
今どこに住んでるの?
へーそうなんだ
仕事は
ふーん がんばってるね 
また今度ゆっくり会おうよ

ちょっと代ってよと私

もしもし ○○ちゃん 元喜そうだね
ご本尊様は、ちゃんとしてるの?
あーそう 安心した
会合は出てる?
そう がんばってるんだ
じゃあまたね

と、電話をきった。

ちよ)○○ちゃん 何の仕事してるって言ってた?
バカボンパパ)保険だって
ち)えー あの○○ちゃんが保険?
 さっき、信濃町がどうとか言ってたけど
バ)仕事場が、信濃町だって
ち)やだー それって、○○さんじゃないの?
人違いだよー

慌てて、電話をかけなおす。
ち)ごめんなさい 同じ名字の人がいて・・・すっかり、昔の、部員さんと間違えました。
○○さん)いえいえ 激励のお電話いただいて ありがたかったし、嬉しかったです。

この方、以前都議選の際に、千葉県から応援で来て頂いた幹部の方でした。
選挙を頼みに、飲み屋さんにも、付き合ってくれました。
ご本尊様ちゃんとしてるかなんて、普通聴きませんよね。
その方、相変わらず元喜そうで、ちよちゃんらしいなと思って、話してました。だって。
今となっては笑い話だけど、超恥ずかしかったです。
久々に思い出したから、また電話してみよう。
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by tomotiyoo | 2014-03-13 05:00 | Comments(79)

記憶をたどって

3年前の3月11日。
その日は、仕事が休みだった。
あの地震が起る頃、私は、お風呂に入ろうと思って、お湯を張っていた。
あまりの揺れに、ガスを切り、玄関から外へ出た。
電線と、看板が、異様に揺れ、思わず、心の中でお題目を唱えた。
東京も、これで終わりかと、そんな気持ちが起るような揺れだった。

当時パソコンは、玄関のほうにプリンターと一緒においてあった。
まだ、創価の森ブログの存在も知らない。
冷蔵庫が、動き、バカボンパパは、プリンターが落ちないように、抑えていた。
今はなき実父は、関東大震災を知っているので、小さな地震でも、ご本尊様をお巻きしようとする。
もう一度外へ出る。
並びの方が、携帯をもって出ているが、繋がらないようである。
私も、母のところへ、電話をかけてみたが、やはり繋がらない。

まさか、あのような、大変な事が、東北でおこっていたとは、想像もつかなかった。
揺れがおさまり、車で母の元は行く。
途中渋滞にあい、道を変更し、以前住んでいた近くに、お世話になっていた94歳の婦人がいるので、寄ってみた。
ピンポーン。出てきたのは、うちの母だった。
この家で、お茶を飲んでいたと言う。
もう1人の友人も出てきて、みんな一緒だから、よかったと言っていた。
家に戻ると、いくつもの、人だかりができていた。
みんな、不安なのである。
飼い猫や、飼い犬までも、集まっていた。
声をかけながら、家に帰って、お風呂に入った。
やれやれ そんな感じだったと思う。

ニュースは、千葉の火災や、関東の被害状況ばかりを、報道していたような気がする。
この年は、地方選があったような・・・
次の日曜日には、我が家で、語る会が、予定されていた。
全ての会合が、中止になったが、もう約束も取れており、区議も来れるという事なので、行った。
夫婦で来てくれるはずだった、奥さんが、宮城の出身。
連絡が取れないということで、かなり心配されており、旦那さんだけの出席となった。
我が家でも、バカボンパパの親戚が、宮城の、亘理というところに住んでいる。
連絡が取れたのは、いつごろだったろうか?
犬が、やられたが、家族は、全員無事だという。
語る会に、誘っていた、婦人の親戚も、全員無事だったという。

私が、以前体調を、大きく崩したのは、
阪神淡路大震災 (1995年1月17日午前5時46分52秒に発生した大地震)
地下鉄サリン事件(1995年3月20日)
の頃である。
阪神淡路大震災のニュースで聞いた、
「おとうさーん おかーさーん おばーちゃーん」
という女の子の泣き声が、いまだに耳に残っている。
当時、私は、人形町の業界紙の会社で、経理事務の仕事をしていた。
祈って入社した会社である。
給料、ボーナス、勤務時間、通勤時間すべて、思い通りの会社だった。
たった一つ祈っていなかったこと。
それが人間関係だった。
バブル期の頃、人間関係に悩んだことがなかった。
9時から5時まで仕事をし、退社後は、学会活動、友好活動といつも楽しくやっていた。
しかし、毎日乗る通勤電車は、先生へのバッシングが、続けられていた。
そして、会社でも、事あるごとに、学会に対しての、攻撃がされていた。
私は社長、副社長、経理部長と3人の、攻撃の的となった。
それでも、一緒に働く先輩の一人は、聖教新聞の体験談を好み、長期購読者になってくれた。
私には、その先輩と、同僚のお陰で、嫌なことがあっても、なんとか負けずに
勤務することができていた。
家も新築し、我が家で会合をするようになっていた。
しかし、3階の自分の部屋から2階の会場に行けなくなっていったのだ。
所謂、何度目かの、鬱の始まりである。

今回は、違かった。
何故か。それは、朝晩の勤行だけは、きちんとしていたからだ。
以前、家が建ち、どこかうかれていたのかも知れない。
魔は天界にすむ。
私は、三障四魔に、勝つことができなかった。
もう、同じ過ちはしたくない。
どんな状況にあっても、勤行と座談会だけは、欠かさないでいこうと思っていたからかもしれない。
もう大丈夫。
東北の人が、あんなにがんばっているんだもの。
強くなることが、幸せ。
今、私は、この事を確信している。
私は、決して、一人じゃない。
暖かい同士がいるから、感謝の気持ちを忘れなければ、何があったって大丈夫。
ねえ みんな。
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by tomotiyoo | 2014-03-12 14:27 | Comments(3)

泣き虫

おはようございます
昨日は少し、泣きすぎました。
泣くと眠くなるのです。
よくバカボンパパに、赤ん坊と言われてましたが、フランダースの犬が、テレビで少しかかるだけで、
「もう眠いよ」が出て来て、眠くなるのです(笑)
もちろん、フランダースの犬を見たわけじゃありません。
ちよは、意外と泣き虫です(笑)
あとで、震災のときの事を思い出して、綴りたいと思います。
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by tomotiyoo | 2014-03-12 06:04 | Comments(38)

3.11 東日本大震災

http://promo.search.yahoo.co.jp/searchfor311/
見てください
ご冥福をお祈り申し上げます
福光
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by tomotiyoo | 2014-03-11 00:48 | Comments(37)

3.11 小樽問答記念日

「1955年(昭和30年)日蓮宗(身延派)と学会の間で、法の正邪を決することになった、あの小樽問答が起こる。
この時、学会側の司会を務めるとともに、運営の指揮をとったのが伸一であった。
彼は、衣の権威を振りかざし、純朴な学会員を見下し、苦しめた者たちを絶対に許せなかった。
邪悪の牙を完全に抜き取るために、この法論は、断固、大勝利しなければならなかった。
この法論は、伸一の司会第一声で、日蓮宗側を圧倒して、勝利の流れが開かれ、学会側の完全勝利に終わった。」
(新・人間革命蘇生 P80より抜粋)
くわしくは、人間革命第9巻「発端」「小樽問答」

先生は、何をしてもすごいよね。
ヤジの対策までしてたんだって。
「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり、」
先生のお姿に、思わず、この御書を思い出しました。
まずは、3.16そして4.2 5.3を目指して、さらなる前進をしていきましょう。
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by tomotiyoo | 2014-03-11 00:40 | Comments(5)