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新・幸福論より

「人間の心は、どれほど変化するのか?
仏典では、パチンと指を鳴らすその一瞬の間に60のこころが現れるという。
1日に8億4千万。
1秒間に、9700もの思いがかけめぐる。
自分を知り、自己を高めようと努力する事によって、変わっていける。
大切なことは、だれにでも「仏界」があるということ。
自己中心」のこころの行きつくところが地獄界
「人のため
」のこころの行きつくところが仏界

楽観主義とは、
強き「意志」であり、
悲観主義とは、
弱き「感情」である━アラン」

なかなか楽観主義になれなかった私、
随分と人を傷つけてきました。

コロコロ変わる 私のこころ
それでも、軸だけは、ずれずに、生きてこれたと思う。
それは、どこまで行っても、ご本尊と共に
先生と共に
決して 同志を裏切らない

今は 励まし励まされ、人間の中に飛び込んでいくことで、大きく変われた気がします。

懐かしいユーミン、歌詞だけどうぞ

街角のペシミスト

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by tomotiyoo | 2014-05-21 00:00 | Comments(41)

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshiokono/45594617.html

すごい時代が来たもんだ。
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by tomotiyoo | 2014-05-19 22:10 | Comments(24)

家庭と防犯

自治会の会合でもらってきた、東京防犯協会連合会(東防連)の小冊子5月号。

平成25年の相談受理状況より
「少年相談の窓口より、ネットで知り会った相手とのトラブルや友達が上手にできないなどの問題、しつけに関する問題、いじめなどである。
万引きを繰り返す、小5の少年は、欲しいものがあっても、買って欲しいと言えない事が、問題のようだった。
父親には、子育てには厳しいことも必要だが、子供の気持ちに寄り添うことも大事と話し、問題が徐々に解決。

子供に教える防犯ポイント。
「一緒に車に乗って、駅まで案内して」と言われたら、子供だけでは対応せず他の大人を呼んで、助けてあげるように教えましょう。」

色々な事件の多い時代、子供に大人は怖いもの、知らない人について行ってはいけない、など、いろいろな言葉が飛び交った時代があった。
私には、子供がいないので分からないが、親の心配は、尽きないことであろう。
しかし、子供の頃から、不信を植え付けてしまうことは、とっても悲しい。
親の愛情で、子供を守りつつ、伸び伸びとした子供を作ることは、現代社会では、困難なことであろうか。
人を信じながらも危険を察知できる、そんな子供に育てることは、無理なのだろうか?
無防備な私が、ここまで生き延びられた事は、ひとえに母の祈りがあった事を、今日改めて、しみじみ思うちよであった。
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by tomotiyoo | 2014-05-19 00:00 | Comments(31)

対話

どうぞ
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by tomotiyoo | 2014-05-18 06:22 | Comments(71)

幸せかーい?




はい もういっちょう







今日も1日元喜で!
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by tomotiyoo | 2014-05-17 00:00 | Comments(36)

「 ある意味では、『人間』とは、反省する動物とも言われるように、生きることの意味を問う動物であると表現することもできます。
一方では、日常生活のサイクルに身をゆだねながらも、他方では、そこに空しさを感じ、より自分を生かす道を考えるものです。

向上する意欲は、この「反省」という素朴な態度から、生まれるのではないでしょうか。
反省は、決して後悔や懐古趣味(かいこしゅみ)ではありません。過去を過去として振り返るのではなく、明日を開く自分自身を、みつめることです。

江戸時代中期の碩学(せきがく)である佐藤一斎の言葉に「春風を以って人に接し、秋霜(しゅうそう)を以って自ら慎(つつし)む」という有名な一句があります。
自分に対する厳しさを教えた名言であり、私も、この文句が好きです。
多少、道徳めいていますが、現代の慌(あわただ)しさのなかに、盲点となっているものを鋭く突いているように思えてなりません。

自分を見つめるということは、本当に、こわいことかもしれません。
むしろ、自分の心には帷(とばり)をおろして、なるべく自分でも見えないようにするほうが安心でもありましょう。
その間に、いつか若々しかった心も錆びついてしまい、醜いものとなっているものです。

たとえ、どんなにいそがしくとも、勇気のいることであっても、自身を反省し、磨いていく心のゆとりだけは、もちたいものです。

P454〜455より抜粋」

怖い怖い
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by tomotiyoo | 2014-05-16 00:00 | Comments(34)

『三代会長の宗教改革』軍部政府に迎合する宗門をいさめた牧口初代会長、戸田第二代会長。
「世界広宣流布」への一歩を踏み出した池田大作第三代会長。
牧口先生が、2年間での座談会に行かれたのは、240回
神札絶対拒否

牧口先生の亡き後、一人立った戸田先生は御書の発刊尽力
その時も、よく思わなかったのが、日顕。

新・人間革命(1660)
新航路 六
「両国の日大講堂で開かれた本部幹部会で、正本堂供養への御礼と報告を行った。
僧侶寺同心会 1億5787万8265円
法華講      3億1382万162円
創価学会    350億6430万5882円
総額       355億3600万4309円」

正本堂を破壊したのも、日顕
そして、その間を取り持つカタチで、忘恩の限りを尽くしたのが、山友
男の嫉妬は恐ろしい
釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、
ただ、この男達がいたからこそ、学会は大きく発展したのかもれない
幸福とは、ただ強くなる事
私達、学会員が強くなる事が、本当の幸福。
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by tomotiyoo | 2014-05-15 00:00 | Comments(37)

順番が、違っちゃいましたが
佐渡御書P958

にちれん またかく せめらるるも せんごうなきにあらず
日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず

ふぎょうぼんにいわく 「ございひっち」とううんぬん
不軽品に云く「其罪畢已」等云云、

ふぎょうぼさつの むりょうのほうぼうのものに 
不軽菩薩の無量の謗法の者に

めりちょうちゃくせられしも せんごうのしょかんなるべし
罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし

いかにいわんや にちれん こんじょうには びんぐげせんのものとうまれ
何に況や日蓮今生には貧窮下賤の者と生れ

せんだらがいえにいでたり こころこそ すこし ほけきょうを
旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を

しんじたるようなれども みは じんしんににて ちくしんなり
信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり

ぎょちょうをこんがんして しゃくびゃくにたいとせり
魚鳥を混丸して赤白二渧とせり

そのなかに しきしんを やどす じょくすいに つきのうつれるがごとし
其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し

ふんのうに こがねをつつめるなるべし
糞嚢に金をつつめるなるべし、

こころは ほけきょうを しんずるゆえに ぼんてんたいしゃくをも
心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも

なお おそろしとおもわず みは ちくしょうの みなり
猶恐しと思はず身は畜生の身なり

しきしんふそうおうのゆえに ぐしゃのあなずるどうりなり
色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり



法華経不軽品第二十に「その罪おえおわって」と、説かれている。
私達が、信心をしていく過程において、自分の罪業を全部消していく為に、具体的な難がある。
その時、勝つか負けるかで、結果は変わってしまう。
仏と魔との戦いである。

戸田先生は、汚れたホースの水を例にあげて、こう仰っていた。
汚いものが、出しきってしまわないと、きれいな水は出てこないよ と
仏道修行の間には、思いもしないことが起こります。
自分の汚いイノチ 出し切ってしまいましょう。

折伏に頑張っていた若い頃、非常に、恥ずかしい話なのですが、お酒を飲んで酔ったうえでの事なのですが、当時、お世話になっていた幹部にお酒を頭から、かけてしまったことがあります。
その方、怒りもせず、宿業が切れたね と仰ってくださいました。
その時は、私の怒りはおさまらなかったのですが、あとで、冷静になって、お題目をあげ、自分のした事を反省し、お詫びに行きました。

その後、水商売のバイトをしていた時、お客さんに同じ事をされました。
私は、怒りもせず、頭を拭いて、時間まで仕事を続けました。
因果って不思議ですね。
私は、今世で、因果を知ることができました。
自分の罪が、終わったのかどうかは定かでありませんが、修羅のイノチを、お題目で洗い流して、宿命を使命に変えていきたいと思います。
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by tomotiyoo | 2014-05-14 00:00 | Comments(45)

因果

佐渡御書 P959

「はつないおんきょうにいわく
般泥洹経に云く

「ぜんなんし かこに むりょうのしょざい しゅじゅのあくごうを
「善男子過去に無量の諸罪・種種の悪業を

つくらんに このもろもろの ざいほう あるいは きょういせられ
作らんに是の諸の罪報・或は軽易せられ

あるいは ぎょうじょうしゅうる えぶくたらず おんじきそそ 
或は形状醜陋衣服足らず飲食麤疎

たからをもとめて り あらず ひんせんのいえ および じゃけんのいえに
財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に

うまれ あるいは おうなんにあう」とううんぬん またいわく
生れ或は王難に遇う」等云云、又云く

「および よのしゅじゅのにんげんのくほう げんせにかるくうくるは
「及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くるは

これ ごほうのくどくりきによるゆえなり」とううんぬん
斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、

このきょうもんは にちれんが み なくば ほとんど ほとけのもうごと
なりぬべし
此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、

いちには わくひきょうい にには わくぎょうじょうしゅうる
一には或被軽易二には或形状醜陋

さんには えぶくふそく よんには おんじきそそ
三には衣服不足四には飲食麤疎

ごには ぐざいふり ろくには しょうびんせんけ 
五には求財不利六には生貧賤家

ななには ぎゅうじゃけんけ はちには わくぞうおんなん とううんぬん
七には及邪見家八には或遭王難等云云、

このはっくは ただ にちれんいちにんが みにかんぜり
此八句は只日蓮一人が身に感ぜり、

こうざんにのぼるものは かならずおり われひとを かろしめば
高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば

かえりて わがみ ひとにきょういせられん
還て我身人に軽易せられん

ぎょうじょうたんごんを そしれば しゅうるのむくいをえ
形状端厳をそしれば醜陋の報いを得

ひとのえぶく おんじきをうばえば かならず がきとなる
人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる

じかいそんきをわらえば ひんせんのいえにしょうず
持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず

しょうほうのいえをそしれば じゃけんのいえにしょうず
正法の家をそしれば邪見の家に生ず

ぜんかいをわらえば こくどのたみとなり おうなんにあう
善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ

これは つねのいんがの さだまれるほうなり
是は常の因果の定れる法なり、」


今世でおこる事は、過去世の行いによる因果だと説いている。
他人に軽んぜられたり、衣服が足りなかったり、食べ物が粗末だったり
お金が思うように入らなかったり、貧乏な家に生まれたり、正しい見方のできない家に生まれたり、謗法の国に生まれて、権力によって苦しめられたりするのは、すべて、過去世に作った悪業によっておこる結果でしかない。
この因果の法は、誰人も逃れることができない。
でも大丈夫。
私達、創価の同志(とも)は、宿命転換の方法を知っている。
私の場合、過去世というより、今世の悪い行いで、今の生活に到っている事が明白だ。
今まで、傷つけた、全ての人に懺悔しつつ、(あらゆる罪業は妄想から生ずるのであるゆえ、その罪を懺悔しようと、欲するならば智慧を明らかにしなくてはならない。)唱題をしていこうと思う。
御義口伝に云く衆罪とは六根に於て業障降り下る事は霜露の如し、然りと雖も慧日を以て能く消除すと云えり、慧日とは末法当今・日蓮所弘の南無妙法蓮華経なり、慧日とは仏に約し法に約するなり、
と述べられているように、ご本尊を信じ題目を唱えることである。
今は、福運をつける時と、腹を決め、過去を清算しつつ、前に前に進む道を、私は選ぶ。
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by tomotiyoo | 2014-05-13 00:00 | Comments(48)

対話

どうぞ
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by tomotiyoo | 2014-05-12 01:13 | Comments(30)