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戸田先生 いわく
「酒は強い。王は更に強い。女は更に強い。
だが真理は最も強い」といった西洋に思想家がおります。と

そして
「白ゆりの 香りも高き 集いかな
  心の清き 友どちなれば」
と 

人間革命第5巻 P65
髄喜をお読みください。
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by tomotiyoo | 2014-06-10 00:00 | Comments(22)

赤鬼さんの体験談

赤鬼の体験談                      Akaoni
 私の入信は、昭和39年(1964)9月です。
入信前の生活は、村で一番の貧乏と笑われるほどの生活をしていました。
 昭和18年(1943)横浜で生まれた私は、20年4月、空襲で家と祖母を失い、祖父の郷里である滋賀県東部の村はずれの田んぼの中に、8畳余りの小屋を建て、そこで私たち兄弟3人と母親だけの生活が始まったのです。
(祖父はすでに亡く、父は出兵していて、そのまま帰らぬ人となりました)
 その小屋は電気も通っておらず畳もなく、農業用の井戸水を飲料水とする生活で、草ぶきの屋根は雨もりがし、真冬になれば、雪が枕元にまで舞い込むという有り様でした。
 そんな中で中学を卒業し、町の鉄工所へ働きに出たのですが、元来、内向的な性格であった私には、親しい友人もできぬまま、好きな本を読んでは『生きるとは何だろう?』『人生とは?』と、ひとり哲学じみたことを考え、夢想する毎日を送っていました。
 そんな時だったと思います。とある知り合いから『創価学会』なる単語を耳にしたのは・・・・。
 彼は幾度となく『幸福になろう』『明るい性格に変わろう』と、折伏してくれましたが、信心で性格が変わるとは、とうてい信じられなかった私は、彼の話し相手にはならず、また、元来内向的な性格も手伝って、ますます落ち込み、自分というものが分からなくなり、自殺未遂まで起こしたのです。
 そんなある日の事、違う友人が、私を元気づけようと思い『遊びに来ないか』という事で母と二人で出かけてみると、そこには鶴のマークの入った仏壇があったのです。
 何人かの知らない人が集まって来て、あれやこれやと話しているうちに、(座談会だったのですね)私たちを思う真心にうたれたのか、母は『入信する』と言い出し、面倒くさくなった私も、入会するはめになりました。
 その夜、ミカン箱に半紙を張り合わせて祭壇を作り、牛乳瓶にシキミを立て、私たちの信心がはじまりました。
 しかし、学会員といったものの、信心する気など全くなかった私は、勤行はおろか、座談会にも出席しませんでしたが、母は熱心に信心していたようで、この母の功徳により入信6ヵ月後、彦根の地で、6畳一間、トイレ・炊事場は共同というアパートですが、電気のつく部屋に引っ越すことができたのです。
  こうして彦根に引っ越してくると、今度は男子部の空襲がはじまりました。彼らは2・3人のグループでやってくると、色々、難しい話をして帰っていきます。居留守を使おうにも6畳一間ではどうすることもできません。無理やりの形で会合に連れ出され、気が付いたときには役職を受け、友人も折伏していました。 
 そんなある夜、会合の帰り、激しい頭痛に襲われ、その場にしゃがみ込んでしまいました。翌日、診察を受けると鼻の中の血管か損傷・化膿し、膿が頭の中にたまっているとのことで、命にも及ぶかもしれないということでした。
 直ちに緊急手術を受け、一命はとりもどしたものの、弱った血管は、ちょっと無理をしただけですぐ現象が出ます。幸い脳のほうにはいかず、鼻血になったため、救われたのですが、あらゆる薬で一時的な出血は抑えられるものの、決定的な治療法はありませんでした。(現在では医学が発達し、簡単に治療できるそうです)
 特に雨の日や、気候の変化が激しい冬は特にひどく、眠っている間にシーツを真っ赤に染めたことも、幾度となくありました。
 そんな朝は身体もふらふら、到底仕事などいけません。一か月に半分仕事にいくのがやっとという日々が数年つづきました。
 心配した先輩は、男子部の主任務であった警備担当から、比較的室内にいられる設営部員に任命してくれました。
 当時の設営部の仕事は、外部会場を借りて行われていた幹部会等のバックタイトルの制作です。模造紙を何枚も張り合わせて、ステージのバックを装飾するのです。
 しかもわたしたちは、デザイナーや看板屋などのいない素人の集まり。制作する者は最も多く使った外部会館を例にすると、高さ4・5メートル幅12メートルという大きさです。
 当然それだけの物を一所に広げて書くような会場はありません。張り合わせがうまくいかず、文字のバランスが崩れたり絵の具が流れたり、失敗の連続でしたが、幹部の方から『真心の作品だ』と使っていただいたこともありました。
 このことが縁で、昭和47年(1972)池田先生を滋賀県立体育館に迎えての記念撮影の折には、大工さんたちの手伝いとして、舞台設営にも参加させていただきました。
 当日は朝からの曇り空が、午後から雨になり、私たちが舞台の解体を始めたころは、激しい雨となりました。当然雨は私の身体の大敵です。だからといってやすむ事も出来ず、作業に参加したところ、翌日、妙法の功徳によって、先生に守られ、元気に出勤することができたのです。
 以来あれほど苦しんでいた病魔もすこしずつ回復の兆しが見えだし、昭和49(1974)~53(1983)の5年間にかけて、会社から年間皆勤務賞の表彰をうけるまでになりました。
 また、設営部は発展して関西鉄人会となり、大阪・長居陸上競技会での関西文化祭、京都・滋賀・福井合同の三県文化祭、琵琶湖研修所落成法要等、(順序は前後しています)先生を迎える設営だけでも8回の思い出を作っていただき、男子部卒業の日までお世話になることになりました。
 昭和62年(1987)9月には、JRの駅から徒歩3分のところの160坪(うち畑30坪)建坪延べ60坪の古家を購入し、一部を30畳の仏間とし、別室に10畳の図書室を作り、座談会・協議会・また男女青年部の懇談・修学の場として現在も利用していただいています。(図書室には昭和31年当時の大白蓮華~現在・(数巻かけています)三代会長全集(新・旧とも全て揃っています)人間革命・新人間革命、御書講義録(全巻)青年部教学研修シリーズ(全巻))などが揃っており、地域の皆さまの教学研修の部屋として使っていただいております。
 平成11年(1999)9月には事故により頸椎を損傷し、全く動けない状態、病院の先生からは、『治っても車いす生活』といわれたそうですが、地域の学会員の懸命な題目に守られ、入院5ヵ月を経て、走ることはできないまでも、歩くに不自由なく、指先で箸は使えませんがスプーン・フォークでの食事は問題なく、身の回りのことはすべて一人ででき、また、入院中の指のリハビリとして教えていただいたパソコンは、以前から集めていた創価教学を学び、それを発信する個人ページとして最高峰(自慢しておこう)のものを作らせていただいております。
 幼少の頃苦労ばかりだった母も、平成15年(2003)6月地域の皆さまに守られ、霊山に送ることができました。
 池田先生有り難うございました。思えば電気さえない生活をしていた私が、地域の皆さまに集っていただける会場を管理させていただいております。
 日蓮大聖人様、有り難うございます。中学しか卒業していない私が、最高峰の哲学を同志の皆さまに配信させていただける身分とならせていただきました。
 生涯求道・生涯学習。これこそ我が一念と定め、今日より更に前進させていただきます。

H26.6.6.
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by tomotiyoo | 2014-06-09 00:00 | Comments(31)
今日は 母の誕生日。
先日、母と姉夫婦とバカボンパパと私とで、近所の居酒屋さんへ行って来ました
母は、いつものスカイツリーのソラマチ31階のラウンジに行きたかったようですが、東京は大雨。
姉達も、それよりおいしいものを食べたいと言う事で、居酒屋になりました。
お酒が飲めるのは、母と私の2人。
母が好きな飲み物は、ソルティードッグ。
あれあるの?と聞くので、うん グレープフルーツサワーねと言い、母はおいしそうに飲んでいました。
まだまだ 元喜です。

母は、私の姉が、おなかの中にいるときに、連れ合いを亡くしました。
姉が、3歳のころ私の父と再婚。
私の父は、連れ合いを、自殺という形で亡くしていました。
私と姉は、父が違いますが、今ではとても仲がいいです。
20年ほど前、母と2人で飲みに行ったとき、母は昔を思い出し思わず号泣。
それは、姉がまだ幼かった頃、どなたかの葬儀で焼場に言った時の事
トイレに行きたいといった姉に、母は ひとりで行ってらっしゃいと、突き放したことを思い出したようです。
心細かったろうに と 言うのです。
親って、そういう事があるんでしょうかね?
私は、子供がおりませんので、そういうことは分かりません。
でも、これを読んでいる お父さん お母さん。
もしそういう事があったなら、お子さんに一言 謝ってあげてくださいね。
そして、もし、あなたなんか生まなければ良かった なんて口ばしってしまった方がありましたら、本当はそうじゃなかったと きちんと話してくださいね。
あなたのお子さん。そういう事で、悩んでいるかもしれません。
一番の特効薬は、ご両親の愛情ある言葉です。

年老いた母を前にして、未だに手を引けない姉妹がここにいます。
いざとなれば、自然にできることなのでしょうが、出来ないでいる事にも 少し感謝なのです。
いつまでも、元喜でいてください。
あなたがいなければ、多分私は信心していないでしょうから。
その感謝だけは、一時も忘れたことはありません。
感謝をこめて



※ソルティードッグとグレープフルーツハイは同じ飲み物ではありません(笑)
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by tomotiyoo | 2014-06-08 00:00 | Comments(21)

1964年(昭和39年)6月7日
高等部が結成。
詳しくは、新・人間革命 第9巻P107 鳳雛の章。

http://www.miraibu.net/koutoubu/college/koutoubu/

http://blogs.yahoo.co.jp/kojinnbook999/folder/488595.html?m=lc&p=2#14563297

「鳳雛よ未来に羽ばたけ」では
未来の使命を自覚した人は強い。
その時、才能の芽は、急速に伸びるといってよい。と

私も高等部を経験している。
しかし、ボンクラな私は、ちっとも自覚がなかった。
それでも、部員会は、高等部が中心となって行い、歓喜あふれる会合だった。
その中でも、人間革命の寸劇は、感動を覚えた。

 古の 奇しき縁に 仕えしを
  人は変われど われは変わらじ

 幾度か 戦さの庭に 起てる身の
 捨てず持つは 君が太刀ぞよ

 色は褪せ 力は抜けし 吾が王者
 死すとも残すは 君が冠

そして、池田先生役の人が、
10年後の学会を見よ
20年後の学会を見よ
そして わが存在を
ここで、幕がおりる。

戸田先生と池田先生の師弟不二の姿を、私は、このような寸劇で教わるのである。
随分と遠回りをしたようだが、このような時を経て、何度も挫折をしながらでも、今、こうして学会の庭にいられる事に、身の福運を感じている。
その当時の、女子部の高等部担当の方は、自分が住むアパートを、いつでも集まれるように、鍵を渡してくれ、激励をしてくださった。
こうした、陰の先輩たちがいたお陰で、何とかこの年齢まで、信心を続けていけた事に心から感謝したい。
そして、私もそういう存在になっていきたいと、心から思う今日この頃である。
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by tomotiyoo | 2014-06-07 00:00 | Comments(17)
1871年(明治4年)6月6日
牧口常三郎初代会長は現在の新潟県柏崎市荒浜に生まれた。
1928年(昭和3年)57歳の時、三谷素啓の話を聞いて、大聖人仏法に興味を持ち、三谷氏の自宅を10日ほど通い続けた末、日蓮正宗に入信。
「言語に絶する歓喜を以ってほとんど六十年の生活法を一新するに至った。
暗中模索の不安が一掃され、生来の引込思案がなくなり、生活目的がいよいよ
遠大となり、畏れることが少なくなり、国家教育の改造を一日も早くおこなわせなければならぬというような大胆なる念願を禁ずる能わざるに至った等が
それである。(牧口常三郎全集第8巻P406)
牧口先生の確信にふれて戸田先生も入信した。
また、この年の1月に池田先生が誕生している。

ちなみに バカボンパパも 57歳で入会しているのです。
我々青年はと言う牧口先生。
私も 生涯青年の気概でいきたい。

もしも 牧口先生が 創価教育をうちたてていなかったら、私達はどうなっていたのだろう?
子どもたちのために何でもやる。
そういう 思想がなかったら 私達は(私は)どうなっていたのだろう?
醜い大人たちのために 醜い大人になっていたのではないかと思う。

牧口先生は、あかぎれの子がいればお湯で洗ってやり吹雪の日には幼い生徒を背負って家まで送ってくれたという。
三笠小学校(墨田区)の校長の時はお弁当を持ってこられない子のために、
給料をさいて豆もちや食事を用意したという。
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1912.htm

私は 牧口先生の真の弟子になりたい。
今、心の底からそう思う。
権力やいじめや世の中の不条理に負けない真の弟子になりたい。
必ずなれる。
大聖人の そして3代の会長の真の弟子になること。
信者ではなく 行者になること。
牧口先生のお誕生日に、大善生活実験証明することを、私は誓います。


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by tomotiyoo | 2014-06-06 00:00 | Comments(25)

打ち出の小槌

随分前の話だが、ご本尊様を 打ち出の小槌になぞって 話をした人がいた。
二束三文の土地が、再開発などによって高く売れたとか、宝くじが当たったとか。
そんな話を聞いた母は、うちの打ち出の小槌は、どこにいちゃったのかしら?なんて馬鹿な話をしていた。

かつてドラマの中でつぶやいた言葉。
人の幸せを他人の尺度で測るな。
うまい事を言うもんだと思った。
ついつい言ってしまう事。
こうすれば ああすれば。
大きなお世話なのにネ。
桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿。

桜梅桃李。
個性を最大に生かしながら、生きていきたい。
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by tomotiyoo | 2014-06-05 00:00 | Comments(18)

10時間唱題

前日の協議会で、急に決まった10時間地区リレー唱題会。
以前、何回も提案してきた事でしたが、なかなか同意が得られず、一昨年の2月,1度だけやる事になりました。
言いだしっぺという事で、会場は、我が家に。
派遣の婦人部の方と、一人の婦人部員さんが、ほぼ 10時間あげていました。
男子部の導師にはじまり、あまりの参加者の多さに、この地区の底力を感じました。
今では、地区部長の一言で、唱題会は決まり、各自の分担時間を決めることで、スムーズに行われます。
私も、もうすぐ10時間という所でしたが、私用ができ9時間30分どまりになりました。
バカボンパパは、4時間でした。
昨日は、朝から眠く、正直5時間上げられればいいかな?と思っていたんです。
そんな時、コメントに9時間55分と返事を頂き、少し本気モードになりました。
人間の心って、不思議ですね。
ある人の、一言で、やる気にもなるし、やる気を失せる事もあります。
私は、実際、どちらかというと、やる気を無くさせる言葉が多いようです。
今 やろうと思ったのに言うんだもんなー こんなCMありましたよね。
気をつけなくてはいけないところです。
でも でもですね

「だけど 最後の答えは 自分で見つけるのね
めぐり続く 明日のために」

というわけで、1曲どうぞ




そうそう 今日は世界池田華陽会の日ですね
詳しくは こちらで
http://www.seikyoonline.jp/news/discussion/2014/1213067_4353.html

私の先輩が載ってます
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by tomotiyoo | 2014-06-04 00:00 | Comments(27)

リアルよりリアル?

みんな 何か 問題を抱えている。
その問題を解決する為 悩み もがいている。
そして私達 学会員は その時 「祈る」ということができる。
それは ただ自分の事だけでなく、友人 知人 眷族に対してもだ。
それは、近くにいようが 遠くにいようが はたまた時空を超えてもできる。

解決するのは、その人自身でなければできない。
しかし同苦し、寄り添い、励まし、そして祈る。
その事により、自他共の成長 自他共の幸福を得ることができる。
あなたの幸せが 私の幸せ
そう感じることができるまで、絆を結んでいこうよ
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by tomotiyoo | 2014-06-03 00:00 | Comments(28)
今日から 1週間が始まりますね
晴れている所も 雨が降っているところも・・・・・

心が晴れてれば いいじゃない


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by tomotiyoo | 2014-06-02 02:50 | Comments(25)

今日から6月

ちょっと 寂しい曲だけど 好きだったな
懐かしいので 聴いてみてね




Midnight Love Call
作詞:南佳孝
作曲:南佳孝

こんな夜中に電話して ごめんなさい
ただなんとなく声がききたくて
仕事のおじゃまになると 思ったけど
やっぱり私かけてしまった
外は冷たい雨が降る
私 雨はきらい ひとりでいるのが
とてもいたたまれなくなるから

少しお酒を飲んでみたの 気持ちが落ち着くように
今日は何か 変わったことがあったかしら
私はあいかわらずだったわ
外は冷たい雨が降る
私 雨はきらい ひとりでいるのが
とてもいたたまれなくなるから

言いたくて言えない言葉ひとつ
「愛してる」とここまで 出かかってるのに

私 肩が少し冷えてきたから
青いセ-タ-でもかけてくるわ
そのまま切らずにいてね お願い
今夜はずっと話していたいから
外は冷たい雨が降る
私 雨はきらい ひとりでいるのが
とてもいたたまれなくなるから



ずっと 石川せり(陽水の奥さん)の作った歌だと思っていたら、南佳孝だったのですね。
もしブログをやっていなかったら、気がつかなかったかも?
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by tomotiyoo | 2014-06-01 00:48 | Comments(29)

ちよが、本音で語るブログです


by ちよ