異体同心

「随筆 人間世紀の光 009

◆絶対勝利の信心―― 仏法は勝負 君よ断じて勝て ―――― 「極悪」を打ち破る勇者が「仏」なり ―― 

偉大なる歴史家トインビー博士は、鋭く洞察した。 
「この世はたえて空にもならず、静かにもならぬ闘技場だ」 
人間にとって、この世界は「闘技場」である――これが数千年の文明史を研究し抜いた碩学の結論であった。 
その戦いの場はまた、人の内面にもある。「人間の魂はいずれも、善と悪とが支配権を争って絶えず戦っている、精神的戦場である」と。 その通りだ。
仏法の生命観にも通じる卓見である。
 仏と魔は、人間の生命の中で間断なく争っている。
目には見えないが、ここにも熾烈な「闘技場」がある。 
「人間の本性の善なる面が、悪なる面を克服する積極的な闘争を支持したい」と、博士は語っておられた。 
一個の人間が、己心の善悪の闘争に勝つか、負けるか。その勝負が、やがて国家や文明の命運をも左右する。
この一点を深く知るべきだ。 
ゆえに、善は悪に勝たねばならない。
勝てば人間は幸福であり、負ければ不幸だ。
 
昨年十二月、学会の「永遠の指針」の一つとして、「絶対勝利の信心」を掲げた理由もここにある。 
私は、会員の皆様に、一人残らず幸せになっていただきたい。その心は、師匠・戸田先生と全く同じである。 
「一家和楽の信心」「各人が幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」――先生が最初の三指針を全同志に贈られたのは、悲願の七十五万世帯の達成に沸き返った、昭和三十二年十二月の本部幹部会のことであった。 
当時、大半の学会員は信仰歴も浅く、これからが人生の本当の勝負だった。 
その長い前途を思い、先生は、「何のための信心」か、明確な指標をくださったのだ。 
今回、弟子の私は、これまでの三指針に、「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」の二項目を加えさせていただいた。 
「永遠の五指針」は、恩師と私の、師弟不二の“合作”となったのである。      

◇ 最初の三指針が発表される三日前、私は師から頂戴した和歌をノートに記した。 
「勝ち負けは 人の生命(いのち)の常なれど 最後の勝をば 仏にぞ祈らむ」 
仏法は勝負である。ゆえに仏法の師弟も、厳しき勝負に生きねばならない。 
初代会長の牧口先生は、冷たい牢獄で亡くなられた。
最高指導者の獄死は、組織にとって致命的な打撃となり、学会は壊滅状態に陥った。 
だが、牧口先生には、戸田先生がいた。師の仇を討つ、本物の弟子であった。 ――正義の師を殺した邪悪な魔性を絶対に許さぬ! 
地涌の使命を自覚し、生きて牢獄を出た弟子は、反撃を開始し、七十五万世帯の創価の民衆城を築いたのだ。 
この一事によって、学会は勝った。
牧口先生の獄死も、正義の殉教であったことが証明されたのである。 
もしも戸田先生がおられなかったら、今の学会はない。牧口先生の死で、学会も消え失せていたかもしれない。

 しかし一切の歴史は、マイナスからプラスヘ、劇的に変わった。
創価の“第二代”の勝利は即、“初代”の仇討ちの勝利となったのだ! そして“第三代”の私も、青年らしく戦い、恩師に最後の勝利を捧げた。弟子としてこれ以上の誉れはない。 
七十五万世帯の成就は、いわば“三代”を凝結した勝利であった。これが礎となり、妙法は今や世界百八十七カ国・地域へ広がった。 
そして、私の時代に、崩れざる民衆の平和の大連帯が構築されたならば、その完勝劇こそ、創価の永遠の興隆を決定づけるのである。

 ◇ 「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」
(御書一一六五ページ) 
王法とは、社会を支配し、律する力である。王は、規範や法律に基づいて、賞讃したり、罰したりする。 
その賞罰の基準は、時代、社会によって変わるが、仏法は永遠不変の真理に基づいた絶対の法である。 
御義口伝には、「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(同七二〇ページ)とも仰せだ。 
日蓮仏法は、「成仏」という永遠の勝利を決定する因果倶時の妙法であり、正義の中の正義である。 
だが、その勝利も、最後は目に見える現証として打ち立てなければ、凡夫の眼にはわからない。
 勝ってこそ仏法の正しさも証明される。だから「仏法は勝負」であり、勝たねばならないのだ。 
王法の賞罰には順番や序列があっても、仏法の勝負は、勝つか負けるか、二つに一つである。
中途半端はない。 
この闘争に勝った人が仏であり、「世雄」という、人間の世にあって最強の勇者となるのである。 
ゆえに“月々日々に強くまた強く”、自身の弱さや臆病と戦い、徹して邪悪を、また極悪を責め続けるのだ。 
逡巡も、甘えも、油断も、感傷も、一切を排して、完全勝利をめざす真剣勝負のなかでこそ、自己自身を磨き鍛えることができるのだ。 

 ◇ 仏典には、次のような仏の別名が説かれている。 
「勝導師」――勝利に導くリーダーである。 
「十力降魔軍」――仏の十の力で魔軍を全滅する人である。 
悪との戦いには、そして、正義の広宣流布を阻む魔軍や仏敵との戦いには、断じて、中途半端はない。 
「もう、これぐらいでいいだろう」という弱さがあってはならない。その弱さが魔の付け入る隙になる。 
「まだ攻撃してくるのか」「いい加減にしてくれ」と、相手が身震いし、音を上げるまで責め続けることだ。 
民衆の敵と容赦なく戦った中国の文豪・魯迅には、仇をなす者も多かった。 
「私の敵はかなり多い」と自覚していた魯迅は、自らの死期を悟っても、過去を水に流すことはなかった。
それどころか、こう毅然と言い放ったのである。「勝手に恨ませておけ。
私のほうでも、一人として許してやらぬ」 その言葉を聞いた敵たちは、肝をつぶした。 
“魯迅の執念深さは死んでも直らないのか!” 彼らは、身震いして魯迅を恐れたのである。 
ここまで敵に憎まれてこそ本物である。      

◇ 「かならず勝とうと堅く決心した者が勝つのだ」とは、傑作『戦争と平和』の、私の忘れ得ぬ一節である。 
トルストイはこの言葉を、ナポレオン軍と激突したロシア軍の不屈の闘魂として、書きとどめている。 
ナポレオン軍が撃っても、撃っても、ロシア兵は一歩も引かず、厳然と立っていた。 
この時、ロシア軍が獲得したものは何か。 
大文豪いわく、「敵をしてわが精神力の優位と、自己の無力を確信せしめる、あの精神的勝利」と。 
精神力において優位に立てるか否か、ここに実力伯仲の戦いを制する要諦がある。 
その精神の力は、強靱なる団結から生まれる。
各国の混成部隊のナポレオン軍より、全軍あげての「断じて勝つ」という気迫が、ロシア軍は、はるかに勝っていたのだ。
 御書に、「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)と仰せである。 
いかに悪が結託し、卑劣な攻撃を仕掛けようとも、正義の陣営が団結する限り、最後は絶対に勝てるのだ! 
そのために正義の団結を! 異体を同心とする団結を! 悪と戦い抜く団結を! 
これが、「異体同心なれば」と大聖人が御遺言の、「絶対勝利の信心」の極意なのである。
2004.2.23 」

※どなたが載せてくださったのかわかりませんが 御礼申し上げます
東京大勝利 自分に大勝利を祈りつつ


[PR]

# by tomotiyoo | 2017-05-20 21:20 | Comments(12)

お誕生日 おめでとう


(また会う日まで 尾崎紀世彦 )

よい1年でありますように\(^o^)/

[PR]

# by tomotiyoo | 2017-05-20 09:10 | Comments(5)

5月18日 聖教体験

昨日の新聞なので 読んでくださいね

「以前は ”勤務日には、患者さんが亡くならないように”と祈ったこともありました。
でも信心を深める中で、”死と向き合う患者さんと共に歩もう”と思えるようになったんです」

題目を唱えたい。だがご本尊の前に座れない。
「祈ることは、自分の生命と向き合う事ですから、”元気がない自分”の存在を、受け入れられなかったのだと思います。」
「無理に唱題しなくてもいいよ。俺が、君の分も題目を唱えるから」夫 地区部長兼任副支部長

”生きていることの尊さを、看護と信心から学んできたじゃないか。
どんな私であっても、その価値を認められる自分でありたい

”治療も奏功し、1か月後、職場復帰を果たすことができた。」
(抜粋)

今日 ふなっしーの家族は 医師との 話し合いになる
昨日 ふなっしーに会って みんながお題目を送っていることを話した
途中 ふなっしーの友人から ふなっしーの携帯に電話が入る
代わりに私が出て 話ができた

今後の事も 彼女のご家族の了承を得て 綴っていきたいと思う

いつも いつも お題目の応援 ありがとうございます

[PR]

# by tomotiyoo | 2017-05-19 00:00 | Comments(42)

法華経の兵法 (赤鬼さんより) 3

苦悩の淵に沈む人。 
差別されてきた人。 
虐げられてきた人。 
誠実に生き抜く人。 
こうした人々をこそ、全身全霊で励まし、生きる力を送り、最強の仏の境涯を開かせゆくのが法華経です。
日蓮仏法であります。  

世界的な仏教研究者である、ロケッシュ・チャンドラ博士が語っておられました。 
「釈尊は、人間を世界の中心に位置づけた、人類の精神の先駆者である」と。 
あらゆる人間を最高に輝かせ強く賢くするのが、仏法の将軍学です。 
庶民の心の中に飛び込んで、「ともに幸福になろう!」「ともに勝とう!」という渾身の励ましを送る。
そして、偏見や旧習の壁を打ち破って、民衆の栄光を勝ち開く。
これが「法華経の兵法」であります。

戸田先生  戸田先生に初めてお会いした62年前。私自身、戦争で兄を亡くし、家を焼かれ、病魔に侵されていました。
それまで信じていた価値観が崩れ去り、誰もが深い精神の闇に沈んでいた時代です。 
先生は、19歳の私をご覧になり、暗雲に包まれた私の心を瞬時に変えてくださいました。 
「一家のことを、一国のことを、さらに動乱の世界を考えた時、私は、この世から、一切の不幸と悲惨をなくしたい。
これを広宣流布という。どうだ、一緒にやるか!」 私の体中に電撃が走りました。
これほど明快に、人生と社会の正道を示してくださる指導者はいませんでした。
私は「この人ならついていける」と直感しました。いな、心から魅了されたのであります。  
戸田先生は、希有の大師匠であられました。
また、本当に鋭い人間学の大家であられた。どんな人に会っても、たちまち相手の生命の奥底まで見抜かれるのが常でした。 
先生は、まるで精密機械のように、その人の生命の癖を正確に喝破されたのです。 
「歩き方、肩の怒らし方、また声で、その人がわかるものだ。ドアの開け方ひとつで、その人の悩みがわかるものだ」と、鋭く話されたこともあります。 
特に、嘘やごまかしを言う人間には、本当に厳しかった。 
「あの男の心には二心がある」「これは嘘だ」「この話は、うますぎる」と。 
私は、その偉大な先生から、破邪顕正の将軍学を教わりました。
先生の「法華経の兵法」を、わが生命に徹底的に叩き込んでいただいたのであります。
一心不乱の祈りを謀を帷帳の中に回らし 勝つことを千里の外に決せし者なり 我らの信心の次元で言えば、「謀を帷帳の中に回らし」とは、同志が緻密に連携を取り合い、隙のないよう呼吸を合わせていくことです。
その根本は、真剣な祈りです。

大阪の戦いの間も、私は関西本部で、戸田先生が願主である「大法興隆所願成就」の御本尊に、深夜、一人で丑寅勤行を続けていました。
誰が知らなくとも、師匠のため、広宣流布のため、一心不乱に祈り抜き、祈り切ることです。
誰が見ていなくとも、大聖人が御照覧です。
自分自身の仏界が見ています。そこに、諸天善神が必ず動き始めるのです。
そして、「勝つことを千里の外に決せし者なり」とは、勇気と団結の行動です。
これほど心強い、絶対の兵法はありません。
御書は、大聖人が遺してくださった人類救済の「法華経の兵法」の指南書です。広宣流布と人生行路の一切の壁を突破しゆく「勝利の経典」であります。
御聖訓を心肝に染め、正しく行じていくならば、わが生涯も「まさかが実現」の大勝の劇で悔いなく勝ち誇っていけることは絶対に間違いない。
本抄を頂いた四条金吾が逆境をはね返し、勝利の実証を示したのも、師匠である大聖人の仰せ通りに「苦楽ともに思い合せて」題目を唱え抜いたからです。
そして聡明に身を律し、勇気で戦い切ったからにほかならない。師匠の深き一念に心を合わせて戦えば、勝でない戦などありません。
「創価の師弟に一生を賭けてごらん。
後悔は絶対にない。
勝利の笑顔で、この人生を必ず飾っていけるよ」戸田先生の大確信です。  

私は、恩師から学んだ「法華経の兵法」で戦ってきました。
法華経の兵法は、通途の兵法と比較にならぬほど優れている。
いな、その根底においては、孫子の兵法なども、法華経の兵法から来ているのです。

善の力を組織化せよ
御書根本の団結  アメリカ公民権運動の指導者・キング博士の盟友で、米国のキング記念センターの初代所長を務められたハーディング博士が話されていました。
「希望とは、人間が、よりよき社会を築く可能性を持っていることへの確信です。
しかしそれは、一人の人間が単独でできるものではありません。
創造のための力を合わせていかねばなりません。
キングはいつも語っていました″善の力を組織化せよ″と」
「善の力を組織化」―─重大な視点です。その最大の力である、仏の大生命力を引き出し、結合し、連帯させゆく運動が、私たちの広宣流布です。「法華経の兵法」です。
友に励ましを送る学会の同志こそ、この兵法の偉大な実践者であられます。  
私は、大阪の戦いで″妙法の善の力″を大拡大すべく、この法華経の将軍学をまっすぐに実行しました。  
それこそ、一念に億劫の辛労を尽くす祈りと行動を貫き、人々の心を揺り動かし、一変させていった。
そこには、「悪鬼魔民をも味方にする」勢いがありました。  
そして、関西中の庶民の心に「我らの力で社会を変えられる!」「必ず幸福の道を開いていける!」という勇気と希望の炎が燃え広がって、「まさかが実現」の金字塔が打ち立てられたのです。  
大阪の戦いでは、ほとんどの友が入信まもない″新会員″でした。
戸田先生から勝利を託された若き闘将の私に、健気なる関西の同志は、ガッチリと心のギアを合わせてくれました。  
御書根本──そこにおのずと「最高の団結」「最高の勇気」が生まれ、不可能を可能とする必勝のリズムができ上がったのです。  
大聖人は『謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり』(御書183頁)との言葉を引かれています。
これは、中国の『史記』に記された名将・張良の故事です。  
陣中にいながら、はるか千里の向こうにいる敵に勝つ作戦を立てる―─。これが戦乱の世を勝ち抜く王道とされてきました。  
我らの兵法は「信心」です。
最高の祈り・作戦・行動、そして団結・勇気! 
すべてを生かし、勝利の方向ヘダイナミックに回転させていく原動力が「法華経の兵法」なのです。  

小樽問答、山口広布開拓、夕張炭労事件──戸田先生が今世の指揮を執られた最後の数年間、私は先生と二人であらゆる作戦を立て、一切を圧勝で飾りました。
常に先生と私、二人きりの語らいから、「千里の外に」勝利を決する創価の大進軍は始まったのです。
「法華経の兵法」は真剣勝負で相伝先んずれば人を制す  この「法華経の兵法」は真剣勝負で戦わなければ相伝できません。
真剣勝負で師匠に続かなければ継承できない「広宣流布の相伝」であります。
若き日以来、私はすべての戦いを「先手必勝」「電光石火」の指揮で勝ってきました。
「先んずれば人を制す」──言葉は簡単ですが、勝敗を決する大事な一点です。
あの小樽問答の勝利を喜ばれて、戸田先生は言われました。
「敵が攻めかかってきたが、守勢に回らないで、攻勢に転じて、先手先手と攻め抜いたから勝ったのだ。攻めることが肝心なのだ」
戦いが後手に回った場合、手間が2倍かかり、効果は少ない。先手を打つならば、皆も元気に進んでいけるし、効果は2倍になる。
わずかな差でも、効果・影響はまったく違ってきます。スピードが勝負です。 法華経は、勇猛果敢にすべてに勝ちゆく法則です。 
ともあれ、師弟不二の闘魂を燃え上がらせ、異体同心のスクラムで前進するならば、いかなる障魔が競い起ころうとも「『諸余怨敵・皆悉摧滅』の金言むなしかるべからず」(御書1193頁)であります。 
我らは妙法の革命児です。学会は学会らしく、鍛錬し抜いた生命力で進んでいくのです。 
「師子王の心」で勝つのです。 
なかんずく、広布第二幕の勝利を決する青年部の諸君に、私は万感の思いで叫びたい。 
君よ、今こそ「法華経の兵法」で立ち上がれ! 不惜の精神で戦おうではないか! 
一人一人が、私の分身の青年室長となって、痛快に勝ちまくれ!

 
法華経に  勝る兵法    これ無しと  
縦横無尽に  勝ちゆく人たれ                   

御書と師弟 法華経の兵法 (2009年3月19日)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ

[PR]

# by tomotiyoo | 2017-05-18 00:00 | Comments(18)

お願いします

ふなっしー 救急車で運ばれ 入院しました

お母さんは もう一度 元気になってほしいと 必死に祈っています

お題目の応援 よろしくです

2年と7か月 頑張ってきました
今回も 頑張って欲しいです

皆さん いつもありがとうございます



[PR]

# by tomotiyoo | 2017-05-17 04:56 | Comments(26)