母の財務

多分 20年近く前の事だと思います

「私は、80過ぎの主人と2人暮らしで国民年金と1日4時間のパートで生活し、その中から月1万円は財務にと決めております。
去年腰痛で3か月仕事を休み、その間の積み立ては苦しいこともありましたが、がんばってきました。
その頃、指導部の昼間の会合で、ある娘さんが財務に使うようにと100万円お母さんに渡されたという話を聞いたと、ある人が話してくれました。
その話を、娘にしたところ、娘は主人と相談し、足りない分は出してあげるから、できるだけ頑張りなさいと言ってくれました。
私も、娘夫婦の負担を少しでも軽くしようと考えました。私には、20年上の姉がおり、90近くになるのでいつ不幸があってもと思い、10万円だけ別にしてありました。
しかし、姉は今年中は絶対に死なないと確信し、そのお金も出すことにしました。
おかげさまで姉はますます元気に生活しています。
そして、総額の3分の一には少し手が届きませんでしたが、不足分は娘夫婦が足してくれて、3人揃って3ケタの財務をすることができました。

一時期、夏バテで、かなり弱っていた主人も、今年の猛暑にも負けず、元気にしております。
この年になっても、働ける喜びをご本尊に感謝し、去年自分自身でご供養した額は、必ず完遂すべくがんばって参ります」

この原稿が出て来て 自分の記憶は いい加減だな~と思いました
腰痛で 母が 仕事を休んだことは 全然覚えていない100万円 渡した気になっていた
薄情な 娘ですね (´・ω・`)ショボーン
最近 つくづく 思うのですが 母の原稿にもあった「絶対に死なないと確信」ここが 凄いなと
戸田先生が 「偉い人」とは「確信のある人」と仰っていたと思うけど この確信と 覚悟が 大事なのだと思う

一時 超貧乏に突入した私は 母から 母の葬儀代を 借りた事がある
その時 母は こう言った
もし、私が、葬儀代を貯めずに死んだら、葬式は出さなくてもいいよ と
だけど Tちゃんだけは 呼んでね 
Tちゃんは 母が 折伏した 私のいとこ
口の悪い母は 「万年 副B担さん」と呼んでいた
Tちゃんも ホントの事だから しょうがないよ と (笑)

母から借りたお金 母は 返さなくていいと言ってくれた
私は 泣いた
悔しくて 悲しくて 
お風呂の中で泣いた
もう 絶対に 借金はするまいと思った

母は 葬儀代と 車代を残して逝った
子どもの頃 冷蔵庫の中の 無駄な食品を見て育った私
マータイさんの もったいないを 受け継いだ

晩年 母は 無駄遣いはしなくなったけど 決してケチではなかった
人に ご馳走してあげることや 物を差し上げることが 好きだった
最期の 私への 誕生日プレゼントが 車だったんだね
ありがとうって 言えなかったけど(泪)

財務って 人間革命 経済革命ができるんだと つくづく思う
1度だけ 私の心をよぎった 嫌らしい気持ち・・・
「こんなにやってきたのに」

人生 最期の最期まで わかりませんね
途中で 愚癡の心で退転していった方々
本当に気の毒です


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# by tomotiyoo | 2017-09-10 05:30 | Comments(14)

『朗らかに胸張る人間の大地



美しき  
 心の旅路の  
   此の世かな

地球は美しい。それぞれに美しい。 
 わが街の隣人たちと仲良く手を携えていくとともに、遠く離れた街の人々とも心を通わせ、励まし合いながら前進する。
この人間の絆の広がりにこそ、人類が願ってきた「平和」の一つの実像があると言ってもよいでしょう。 
 私の少年期は、残酷な戦争によって、人間の絆がずたずたに引き裂かれた時代でした。 
 真実を語る正義の人は「非国民」と罵られ、文化の恩義があるアジアの人々を見下し、ひとたび敵国となった米英の人々の事は「鬼畜」とまで憎むように仕向けられていたのです。 
 戦後まもなく、19歳の私は、軍国主義と戦って二年間の投獄をも耐え抜いた信念の指導者・戸田城聖先生とお会いし、師と仰ぐことができました。
私たち青年に、いち早く「地球民族主義」という平和と共生の壮大な理念を示してくださったのも、この師です。

「大作、この海の向こうには、大陸が広がっている。
世界は広い。
そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。
いまだ戦火に怯える子どもたちもいる。
東洋に、そして、世界に、平和の灯をともしていくんだ。
この私に代わって─」

 師の心をわが心とする、私の対話の旅は、日本全国、さらに五大陸に広がりました。
今、百九十二カ国・地域に、同じ人間主義の心で、平和と文化と教育に貢献してくれる世界市民の良き仲間がいます。
 多事多難な時代にあって、いざ、ある国、ある地域で災害が起これば、即座に安否を気づかい、無事を祈り、救援や復興の手を差し伸べる善意と人道のスクラムもでき上りました。
 いずこの国にも、素晴らしい人々が光っています。
なかんずく、わが地域を明るく照らす女性たちの「太陽の心」が必ず輝いています。
 そうした懐かしい、あの街、あの国、あの天地へ、読者の皆様方をご案内するような思いで、この連載の”心の旅”に出発したいのです。
 最初の舞台は、私にとって世界への平和旅の原点となった、わが「永遠の故郷」北海道から─。

 偉大なる
  歴史に輝く
   北海道
  皆に幸あれ
    皆が長者と

 決めた道
  風波も楽しや
    今朝の旅

 大変であればあるほど、たとえば─
「雪かきもゆるくないっしょ?」
「いや、なんも、なんも!そっちこそ、ゆるくないべさ」
 厳しい労作業も、あえて、「きつい」とか「つらい」とか言わず、「ゆるくない」との柔らかな言葉をかけ合い、互いを気づかうのです。
「なんも、なんも」私の好きな北海道の言葉です。
友の苦労をねぎらい、親切に対して感謝すると「なんも、なんも」と返ってきます。
そこには、相手に余計な気を使わせまいとする思いやりの温もりがあります。
さらに、難儀なことにも、「たいしたことないさ」と自分自身を鼓舞する大らかな響きがあるのです。
 仏典には、障害を前にした時、「賢者はよろこび愚者は退く」と説かれます。
どんな困難があろうとも、喜び勇んで新たな開拓に挑む人生に、行き詰まりはありません。
希望の活路は断じて開かれるのです。
 アイヌの言葉で、北海道は「アイヌ・モシリ」━「人間の大地」という誇らかな意義があります。
 思えば、創価教育の創始者・牧口常三郎先生も、直弟子である戸田先生も、北海道で青春を過ごし、北海道で小学校の教員となり、若き命を慈愛を込めて薫陶されました。
 その歴史を踏まえ、私は札幌に創価幼稚園を創立しました。
わが園児たちよ、何があっても負けずに、強く正しく伸び伸びと、幸福の博士に、人生の勝利者に育ちゆけと、祈らぬ日はありません。

 幸福の
  天地は ここにと  
    北海道
  乙女よ 立ちゆけ
   断固と生き抜け
(この記事は いいと思ったので リンクさせていただきました)

 人生の
  博士となりて
   幸福の
  生活楽しく
   君よ 勝ちゆけ

「冬は必ず春となる」
冬が厳しいからこそ、春の喜びも大きい。
 人生は、けなげな母たちの「太陽の心」を携えて、吹雪に胸を張り、勝利の春へ前進しゆく旅とはいえないでしょうか。

 君 立てば
  北海天地は
    春の曲』

(忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第一巻 池田大作より 抜粋)

ネットのおかげで 北海道から 沖縄まで 友人が広がった
なんも なんもが なんくるないさーに 聞こえるのは 私だけだろうか?
遠く離れていても お題目で繋がれる
創価の心は 何があっても 負けじ魂
これさえあれば 大丈夫!

      


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# by tomotiyoo | 2017-09-09 00:00 | Comments(10)

おはようございます

先生と お会いした夢を見たよ(^^♪
色紙をくださって その後 一緒の方も(誰だか不明)会館の書籍を売っているところで 何かいただいて誰かに 報告しようとしたら
電話が混線してて 気がついたら 靴下をはいてなくて 靴下を買いに行って 気づいたら 先生と勤行をしてて 大泣きして
帰ろうとしたら 靴をおいた場所が分からなくて
という アホな 夢でした
色紙をいただいた時 何故 握手をしてもらわなかったのかと 目が覚めた後も 悔やんでます
先生 お元気でしたよ\(^o^)/


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# by tomotiyoo | 2017-09-08 06:05 | Comments(15)


かっこちゃんからも 再放送の 情報をいただいて 有り難い
これがある意味 ネットの醍醐味だね\(^o^)/

かずきさんは トレーラーの運転手
お母さんを 亡くされて 立ち直りの途中 コメントをくれるようになった
仕事の 関係で なかなか 会合には出られない
酷い時は 車の中で 寝起きをする状態
夏は 汗をかくため 携帯本尊は身につけられない
かといって 車の中には置いていけない
そんな状態なので ご本尊様を拝むことができない日々がある
彼とは 大誓堂に来た時 ほんの何時間かをわが家で過ごした
お昼を一緒に食べ 楽しい会話
その後も ラインで 繋がっている

ネットをよく思わない幹部もいるようだが わが地区 支部では かなり 見方が変わったようだ
私は 反対に 何でも メールやラインで済ませることの方に これでいいのかな?と思うことがある
私たちは 遠くにいるので これでしか 繋がれない
ネットの使い方 もう一度 考え直す時期に来ているのかもね?


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# by tomotiyoo | 2017-09-07 00:00 | Comments(14)

みるきゅうさんの ブログより

「今夜8時から、先日新聞に紹介されていた方が、NHKEテレ2チャンネルに出ると聞いて私も、見てみました。

子供の頃に病気だった宿命を使命に変えて、すごいな、と思いながら、見ているうちに、涙が出ました。

私も、高三から、神経の病気で、合う薬が見つかるまで、20年近くかかりましたが、その事で、仕事も辞めたり、休んだり、しましたが、病気で入院している子供達を見て、また、そういう宿命を使命に変えて病気の子供達に楽しい時間を過ごさせてピエロ?のボランティアをしている方を見て、改めて、私も自分の病気も、意味があり、同じ病気の人のつらさ、苦しさを、経験して乗り越えてきた、
今も良くなってきたけれど、そのことを、私も少しずつでも同じ病気と戦う人に、
励まし合いながら、自分らしく、病気の宿命を使命に変えていく戦いを続けていきます。」

私も 協議会を早く終えて 地区のみんなと見ました
感動的です
何で乗り越えたか 思わず 「お題目」
行き詰ったら 「原点に戻れ」

再放送があるみたいなんだけど・・・
どなたか 知ってる?
録画したいから 教えて(^^♪

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# by tomotiyoo | 2017-09-06 00:00 | Comments(36)