学会精神
題目をしばらく唱え、鈴を叩いて御観念文に入ろうとすると、伸一の背中に、ゴツンと後ろにいた青年の頭が当たった。
伸一は、メンバーの苦労を深く感じ取った。
そして勤行を終え、伸一は語り始めた。
「これからも皆さんの人生は、多難であるかも知れない。
本源の力、生命の当体が、妙法であり、南無妙法蓮華経です。
やがて肉体は滅び、死んでいっても、生命は永遠です。
ゆえに伸一は、「強くあれ!断じて強くあれ!」との祈りと願いを込めて、釈尊が過去世に忍辱行を修行した仏教説話を語っていった。
「この精神は 私たちにも通じます。
今度は左足を切られた。でも、まだ手がある。次は、一方の手を切られた。しかし、まだ片手がある。
さらに、その目を1つずつ取られたとしても、まだ口がある。口があれば、仏法を語り説くことができる。
口を失っても、命はある。命ある限り、心で唱題し続けるんです。
どこまでも信心に、広宣流布に、生き抜いていくのが地涌の菩薩であり、それが学会精神なんです。
その信心に立つ時に、必ずや仏も讃嘆し、一生成仏の大道が開かれる。
幸福は自身の信心で掴むしかない。
ゆえに、信心に甘えがあってはならない」
人間は助け合わなければならない。体などに障害があれば、温かい援助の手が必要である。
その自立を阻むのが、甘えの心である。
甘えは、時に自分自身を不幸にする要因となる。
自分の思いや欲求が満たされないと、他人や環境、運命を恨み、憎むようになるからだ。
不平や文句、恨みや憎悪に明け暮れる人生は悲惨である。
伸一は、尊き使命を担った「自在会」のメンバーに、強くなってもらいたかった。
伸一は言葉をついだ。
「妙法を持った皆さんは、昇りゆく人生です。赫々たる太陽の人生です。
「はい!」
力のこもった、晴れやかな声が響いた。
どの顔にも涙が光っていた。
by tomotiyoo | 2018-03-13 22:00 | Comments(0)