人間の肉体でも、たとえば病原菌と白血球が常に戦っている。
戦いに負ければ病、戦いをやめれば死である。
この厳しき生命の法理からは、だれ人も逃れることはできない。
現実は現実である。
観念論はどこまでいっても観念論であり、ゼロにゼロを掛けたように、「幸福」という自分自身の勝利を生みだすことはできない。
そして、この一点がわからなければ、仏法の真髄もまたわからない。
「声仏事を為す」(御書P708)
仏法では、この娑婆(しゃば)世界を「耳根得道の国」(「一念三千法門」御書P415)と説く。
「声」を聞いて成仏する国土とするのである。
目は、使わないときには、つぶる。口も閉じる。しかし耳はいつも開いている。人間に向かい、宇宙に向かって――。その耳に、いかなる声を届け、入れていくか。そこに、あらゆる指導者の苦心もあり、使命もある。また勝利へのカギもある。
「声は第二の顔」(ボーエル)
声は鏡
その人の生命状態、境涯が、くっきりと映しだされる。
天台大師は、上中下と分けた医師のうち、「上医は声を聴き」「中医は色(しき)を相し、下医は脈を診る」
「声」はそれほどデリケートなものである。』
今はカルテだけを見て 患者を診ない医者もいるよね
私は やぶ医者も名医になる を 信じているけどね(^^♪
その後 田中絹代さんのエピソードをはさみ
『たとえば幹部の指導も、何の勉強も工夫も祈りもない安易な話であってはならない。
実際には、内容の浅い話であっても、皆は一応、拍手をしてくれるかもしれない。
しかし、それでよしと錯覚すれば、そこで成長は止まる。
これが組織のもつ悪しき一面である。
これは万般についていえることであり、「組織が偉大であるゆえに、それに甘えて、鍛えなき幼稚な人格の人となってはならない」と強く申し上げておきたい。
勤行の声も「すがすがしい」「さすがである」と言われる指導者であって欲しい。
悪声は地声だからしかたがない。という人もあるかもしれないが、信心の境涯の変化は、勤行の声にもっとも端的に表れるのも事実である。』
『何をさしおいてでも、人々を救うために行動していく━この「人道主義」の生き方こそ、仏法者の道であり、真の人間としての道といえよう。』
私の友人は 皆 声もいい
本当に鬱?と 思える人もいる
それだけ 頑張っているんだよね
メールも いいけど 声も聞きたい
でも やっぱり 会うのが 一番!
また 一緒に 勤行しようね\(^o^)/