先日 ひらがな御書メンバーで 点字をされているまきこさんに 生命の恋人たちを 渡したあと この本が 出てきた
わが本陣長さんご夫婦が 娘さんの家に越され 置いて行ってくださった本の中の一冊である
その中のエピソードに 沖縄のゆかりちゃんとの出会いがある
『「それは、ちようど夕方で、先生の指導はもう終わったあとでした。
各地から集まってくれた会員たちも、おおかたひきあげ、先生はとても疲れておられました。・・・
ぼくらには何もいわれなかったけど、顔色から見て、また熱を出しておられたんじゃないかと思います」
原田君はそのときの様子をふりかえって、感慨ぶかそうにこう話す。
「それでも先生は、遠い辺地の部落から、はるばる
、、、
うちの人たちが来てくれた。ときき、"うれしいな。すぐ会いましょう“といわれましたよ。
そのとき先生は、ゆかりちゃんのサクラにジッと目をとめました。
ゆかりちゃんはサクラをかかえて、先生の胸にぶつかるように走りよってきました」
そしてゆかりちゃんは言った。
泣きながら、とぎれとぎれに。
「先生、これがあたしのおみやげです。
ほかに何にもあげるものがないから、途中で折ってもってきたんです。
いけなかったかしら?
もしいけなかったら、先生、ウンとあたしを叱ってください!」
池田氏はしばらく黙っていた。
ずいぶんコワい顔をしていた。
もしかすると怒られるんでは、と、ゆかりちゃんも部落の人たちも原田君も、少しヒヤヒヤして氏の表情を見守った。
しかしそれは杞憂(きゆう)だった。
池田氏がコワイ顔になったのは、怒ったためでなく、一生けんめい涙をこらえたためだったのである。
でも、こらえきれず、とうとう瞳がキラリと光った。
はにかみやの会長の涙を、原田君はこのとき、秘書役になって以来はじめて見た。
「それからも感激でしたね。
先生は目をしきりにパチパチやって、ゆかりちゃんの涙もふいてやって、とても嬉しそうな声でこういわれたんです。
「ああ、ありがとう。
こんなステキなおみやげもらったの、生まれて初めてだよ。
何をお返しにあげようか。・・・
そうだ。
今聞いたらきみはお父さんを亡くしたっていうから、
わたしが代わりにお父さんになってあげる。
いいね?
きみは今日からわたしの娘だよ。
こんどからお父さんの名前は?ってきかれたら、
“ハイ、池田大作といいます"
胸を張ってそう答えるんですよ」
ゆかりちゃんは何も言えずに泣いていました。
そのあと、先生はゆかりちゃんと手をつないで、そのへんを散歩したり、何かごちそうしたり・・・
本当の父親のようにやさしくしてあげてましたね」
沖縄から東京に帰った池田氏は、半日休んだだけで、またすぐ激務に追いまくられた。
(中略)
さすがの池田氏も、秋口に入って、疲れの色がめだってきた。
原田君はハラハラして休養をすすめ、しかしなかなかきいてくれないので、ある日一計を案じて、四谷のあるシニセから上等の和菓子をとりよせた。
(中略)
「ウワー、うまそうだなあ。こんなの食べたことないよ。
上品すぎてわたしなんかにはもったいないな」
原田君はシメタと思った。
どうかたくさん食べて、少しでもお疲れを直してほしい・・・
原田君は名菓の由来をいろいろと説明し、もう一度熱心にすすめた。
ところが、ここで妙なことがおこった。
池田氏は、勢いこんでお菓子にのばした手を、途中で急にひっこめ、黙って何か考えこんでしまったのである。
「召し上がらないんですか、先生?」
原田君は心配になってきた。
すると池田氏は「ウン」とうなずいた。
そしてつぎに氏がつぶやいた言葉は、原田君にたいへん意外なものだった。
「わたしは食べなくていい。
こんなおいしそうなお菓子、
わたしが一人で食べるわけにはいかない。・・・
これはわたしの子供に食べさせるよ。
おいしいものなんか一度も食べたことのない子供に・・・
「坊っちゃん方にですか?」
原田君はビックリした。
(中略)
「いや、わたしの子供といっても、それは娘のことだよ。
このお菓子はわたしの娘にとどけてやろう。・・・
まだ思い出せないのかい?
わたしはこれを、あの、沖縄のゆかりちゃんに腹いっぱい食べさせてやりたいんだよ」
原田君はポカンとして、
「ああ、そうですか」と返事をした。
しかしつぎの瞬間、ハッキリと思い出した。
それで急いで何かいいかけようとしたが、言葉のかわりに口からほとばしったのは、自分でも思いがけ
、、、
ない感動のおえつだった。
何という記憶力!何という慈愛!
半年間の月日と幾万人への応援をへだてて、しかもなお池田氏は沖縄の貧しい一少女のことを忘れていなかったのだ。
ゆかりちゃんという一少女を通して、沖縄というものを、軍事体制にしいたげられた民衆の姿を、氏はいつも心にきざみつけていたのだった。
原田君は涙をぬぐうと、さっそくお菓子をゆかりちゃんに送る手配をするため、沖縄担当の部署へすっとんでいった。
たまたま上京していた沖縄の幹部が、お菓子の箱を宝物のように抱いて、
直接ゆかりちゃんの部落までもっていくことになった。
箱には心をこめた池田氏の長い手紙をそえて。
それは本当の父親が遠い娘に送るような、こまやかな心づかいにあふれた手紙だった。
はじめと終わりの部分だけを紹介すると、内容はだいたいこんなことである。
「・・・ゆかりちゃん、元気でいますか。
お父さんもゆかりちゃんたちのおかげで元気にやっています・・・
お互い苦しいことも多いでしょうが、がんばってりっぱな女性に、みんなのしあわせのために役に立つ人になってくださいね。
・・・そして大きくなったら、
ぜひ東京へ会いに来てください。
(中略)
この手紙を書くために、池田氏ははじめて厳格なスケジュールを破った。
緊急な用事でやって来た最高幹部の一人を待たせて、池田氏は夜おそく、熱のある体でいつまでもペンを走らせていた。
その姿をみつめたとき、原田君の感じた感想が、この本のしめくくりにもなる。
感動に歯を食いしばりながら、原田君はその時こう考えていた。
(これが創価学会だ。これが池田大作という人の真実だ。
どんな中傷も誤解も、嫉妬も偏見も、この先生の姿のまえには力を失なうだろう。
どんな攻撃やいいがかりをする者も、この事実を知ればあきらめて恥じ入るにちがいない。
そしていつか、いつの日か、この先生の姿に象徴される幸福な未来のためのたたかいを、すべての人が理解するときが来る。必らず来る。
これが創価学会の真実だ。
これが池田大作という人間の姿なんだ!)』
この本を読んで創価学会員で 本当によかった
池田先生の弟子で本当によかったと 今更ながら私は思うのです
「真実を語る」を続けていて 本当によかった
気づいたら 私のブログも もう6年目に突入していたのですね
読んでくださる方 本当に感謝です
この本を 置いていってくれたOさん
本当に ありがとうございました(^.^)
そして五島 勉さん
本当にありがとうございました