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2018年 03月 13日 ( 1 )

学会精神

「こんにちは!皆さんは勝ちました。
人生の試練を見事に乗り越えてこられた。
今日はさらに新しい前進のために、一緒に勤行をしましょう
大きな声でお題目をあげよう」
伸一の導師で勤行が始まった。
呼吸のぴったりと合った、清々しい勤行であった。
題目をしばらく唱え、鈴を叩いて御観念文に入ろうとすると、伸一の背中に、ゴツンと後ろにいた青年の頭が当たった。
視覚障害から、伸一との距離がつかめなかったのである。
伸一は、メンバーの苦労を深く感じ取った。
一つの事柄から、何を感じ取るか。
人の苦悩に対して想像力を広げることから、「同苦」は始まるのである。
配慮とは、人を思いやる想像力の結晶といえよう。
そして勤行を終え、伸一は語り始めた。
「これからも皆さんの人生は、多難であるかも知れない。
しかし、何があろうとも、勇気と希望をもって、人間王者として、晴れ晴れと生き抜いていただきたい。
本源の力、生命の当体が、妙法であり、南無妙法蓮華経です。
やがて肉体は滅び、死んでいっても、生命は永遠です。

ゆえに伸一は、「強くあれ!断じて強くあれ!」との祈りと願いを込めて、釈尊が過去世に忍辱行を修行した仏教説話を語っていった。
それは、大智度論などに説かれているもので、一人の仏道修行者が、嫉妬とおごりに狂った王によって、耳や鼻、手足を次々に切られていったが、心は微動だにしなかったという話である。
「この精神は 私たちにも通じます。
何があっても決して動じることなく、“広宣流布に生き抜こう”“わが使命を果たそう”と、前へ、前へと進んでいくのが、師子です。
右足を切られても、まだ左足がある。その左足で生き抜き、戦い抜くんです。
今度は左足を切られた。でも、まだ手がある。次は、一方の手を切られた。しかし、まだ片手がある。
そして、両手を切られた。でも、耳がある。耳があれば、法を聴聞することができる。
片耳を切られても、まだ、一方の耳がある。両耳を切られても、まだ目がある。
さらに、その目を1つずつ取られたとしても、まだ口がある。口があれば、仏法を語り説くことができる。
題目を唱えることができる。
口を失っても、命はある。命ある限り、心で唱題し続けるんです。
どこまでも信心に、広宣流布に、生き抜いていくのが地涌の菩薩であり、それが学会精神なんです。
その信心に立つ時に、必ずや仏も讃嘆し、一生成仏の大道が開かれる。
幸福は自身の信心で掴むしかない。
ゆえに、信心に甘えがあってはならない」
厳しい口調であった。
しかし、そこに伸一の慈愛があった。
人間は助け合わなければならない。体などに障害があれば、温かい援助の手が必要である。
とともに、自立自助をめざす心が大事なる。
その自立を阻むのが、甘えの心である。
甘えは、時に自分自身を不幸にする要因となる。
自分の思いや欲求が満たされないと、他人や環境、運命を恨み、憎むようになるからだ。
不平や文句、恨みや憎悪に明け暮れる人生は悲惨である。
幸福とは、自分の胸中に歓喜の太陽を昇らせることだ。
自身の輝ける生命の宝塔を打ち立てることだ。
それには自らの生命を磨く以外にない。
伸一は、尊き使命を担った「自在会」のメンバーに、強くなってもらいたかった。
だから彼は、信心の姿勢を、厳しいまでに訴えたのである。
伸一は言葉をついだ。
「妙法を持った皆さんは、昇りゆく人生です。赫々たる太陽の人生です。
三世永遠の生命観のうえから見て、来世、再来世と、体も健康で、幸せに満ちあふれた所願満足の境涯になっていかないわけがありません。これを確信して、朗らかに進んでください」
「はい!」
力のこもった、晴れやかな声が響いた。
どの顔にも涙が光っていた。
皆、自分たちを思う伸一の真心を、限りない優しさを、強く、強く、感じていたのである。」

(新・人間革命第19巻より)



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by tomotiyoo | 2018-03-13 22:00 | Comments(0)

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